「愛が呼ぶ方へ」
              〜3〜         



11歳といえどもレディが肉親以外の男と同室で休むなどとんでもないと
主張するクラピカの為に、その夜は彼女に一室空け渡し、レオリオは
ゴンとキルアの部屋に転がり込んで来た。
「オッサン、気の毒」
「別にいいさ。今後の事も相談したかったし」
レオリオはそう言って、意味深な笑みを向けるキルアを受け流す。
実際、クラピカには聞かれたくない話をしなくてはならないのだから。



深刻に額を寄せる三名の隣室で、クラピカはベッドに入っていた。
かといって眠っているわけではない。
目が覚めたら5年も経っていて、故郷から遠く離れた知らない土地で、
見た事も無い友人達と共に居る、などという状況では、いかに聡明な
知能を持つクラピカでも、困惑して当たり前。
ハンターになったのは、まだ理解できる。幼い頃から知識欲が旺盛で、
小さな村内の情報だけでは不満だった自覚があるから。
少年のような姿をしているのは、少女の一人旅に伴う危険を回避する為
だろう。
無意識に自分が納得できるよう辻褄を合わせながら、クラピカは故郷の
両親を思う。
ゴン達と一緒にいる時は気がまぎれていたが、夜の闇に包まれて一人に
なると、急に不安が押し寄せて来た。
(…旅に出るなら、家族写真か絵を持ち歩いているはず…)
ふと気づいて、クラピカは起き上がる。
そして自分の荷物とおぼしきバッグに手を伸ばした。

(……何だ?これは)
バッグの中には謎の物体が多々あった。
小さな通信機(5年前のルクソ地方には携帯電話が普及していなかった)。
二つ折りにした金属製の機械板(同じくノートパソコン)。
用途もわからぬ物を所持している事が不思議でならない。
護身用らしき二刀一対の剣も、刃を仕込んだ実戦仕様だし、しかもそれは
父が愛用していた銘入りの逸品。
耳には母が祖母から譲り受けて大切にしていた耳飾りが、なぜか片方
だけぶら下がっている。
クラピカは今更ながら、5年という月日の長さを感じた。
そんな中、普通の紙製の小さな手帳を発見して、少しホッとする。
中身は空欄が目立つが、どうやらスケジュール帳 兼 日記のようだ。
世間では電子手帳が主流だが、デジタル機器は、その種の熟練者には
簡単に盗み読まれる危険性がある。
ゆえにハンター達はホームコードを持っているし、特にクラピカは自身の
身の上や目的を知られる事を警戒し、あえてアナログの手帳を選んだが、
書き文字にはクルタの難解な古語を使用していた為、他者が読む事は
不可能だった。
無論、幼い頃から村の長老に古語の読み書きを習っていた11歳の
クラピカには、それらの文字が解読できる。
『未来の自分』が書いた文章に不思議な感慨を抱きつつ、手帳を開いた。

  
*月※日
今日も収穫なし。
己の無力さが情けない。

△月●日
新たな手掛かり発見。
明日はこれを調査。

○月☆日
また空振り。
決して諦めない。


途切れ途切れに記された、日記というより走り書きのような文面に首を
傾げる。
自分は何かを探しているのだろうか?
それもかなり必死だ。
似たような内容ばかりが点々と綴られている。
(もっと文章力が育つと思っていたのにな……)
そんな事を考えながらページをめくる内、ある日の記述に目が止まった。

★月◎日
今日は四周忌。
地に還りし我が同胞たちの安らかな眠りを
心から祈る。

(……え…?)





隣室での談義は続いていた。
どうするべきか答えは出ないまま、レオリオは無言で酒のグラスを傾ける。
「オッサン、まだ記憶戻んなきゃいいとか思ってる?」
レオリオは苦笑と共に返答した。
「…何も知らねえあいつ見てると、わざわざ教えて傷つけるのは罪悪感だよ」
「……クラピカ、かわいかったよね。明るくて元気で」
レオリオの心情はゴンにもわかるようだった。昨日までクラピカの顔に影を
落としていた憂いが、今日の彼女からは感じられなかったのだから。
「知らないままなら、ずっとあんなふうなのかな」
「オレらが黙ってたって、いつかは知っちまうぜ」
期待を含めた声音で、問うともなしに言ったゴンに、キルアは的確に告げる。
それは正論だった。
「うん……調べたらわかっちゃう事だしね。その前に記憶が戻れば別だけど。
ねェレオリオ、記憶喪失の治療ってどうやってするの?」
「どうって言われても……いろいろあるらしいけどな」
突然の振りに、レオリオは医学書で得た知識を思い起こす。
「普通は家族とか親しい人間が昔の話を聞かせたり、子供の頃の写真を
見せたり、故郷とか育った場所へ連れて行ったり……」
すべてクラピカには不可能な手段だった。
気づいて、レオリオは一旦言葉を切る。
「後は……催眠療法って方法もあるな。専門家が催眠術で記憶を手繰り
寄せるってヤツ」
「…どれにしたってダメじゃん。クルタ族の事を教えずに治すなんてできや
しないよ」
ソファに足を投げ出して、呆れたようにキルアは言う。
沈んだ空気が室内を漂った。
「そうだな……クラピカにとって、一族の滅亡は人生最大の悲劇だった
はずだ。むしろ真っ先に思い出すべき記憶だろうし……」

バキン!

その時、異様な破壊音が響いた。
三人が一斉に振り向いたその先には。
「……クラピカ!!」
青ざめ、呆然と色を失い、クラピカは壊れたドアノブを握り締めて立ち尽く
している。
忘れていても彼女には『試しの門』で鍛えた腕力があるのだ。開けようと
していたドアを、ショックのあまり破壊してしまっても不思議は無い。
「お前、いつからそこに……」
「………滅亡…って……」
レオリオの声を遮って、クラピカの口から最悪の言葉が飛び出した。
「本当に……本当に滅びたのか!? 私の一族…クルタ族が!!」
一番知られたくなかった事を知られてしまい、レオリオ達は言葉を失う。
「まさか……まさか本当にそんな事……!クルタ族は武術に長けている、
なのに滅亡だなんて!…父様も母様も、死んでしまったなんてありえない!!」
その悲痛な叫びは、レオリオ達が嘘を言ったという怒りではなく、むしろ
現実に対する否定。
「……クラピカ、もしかして何か思い出したの?」
ゴンの問いかけに、クラピカはぶんぶんと頭を振る。
「違うよね、ゴン?村に戻れば、父様も母様もちゃんと待ってるよね?
……私は、仇討ちの為なんかにハンターになったんじゃないよね……?」
緋の色が見え隠れする瞳に涙を潤ませてクラピカは問うた。
記憶が戻っていないのなら、なぜそれを知っているのか不思議だったが
ゴンには答える事ができない。
教えたくないと言ったレオリオの気持ちが、痛いほどわかった。
――― 仇討ちの為だよ」
その時、空気を凍らせるような一言が響く。
全員が固まる中、発言したレオリオだけが静かに立ち上がる。
「……レオリオ!?」
驚き、咎めるような声でゴンは呼ぶ。キルアも驚いて彼を見た。
しかしレオリオは更に続ける。
「今から四年前、お前が12歳の年にクルタ族は、ある集団に襲撃されて
全滅した。一人生き残ったお前は、仲間の仇討ちの為に、ブラックリスト
ハンターになったんだよ」
「やめてよレオリオ!!今のクラピカにそんな事……!」
「嘘だっ!!」
ゴンの制止とクラピカの叫びは同時だった。
遂に堪えられず、緋色の瞳から涙があふれる。
「そんなこと嘘だ!お前の言う事なんか信じない!!」
頑強に否定するクラピカの眼は、涙に濡れてもなお鋭い光を失わない。
そんな彼女をレオリオは正面から見つめた。
「『偽証はもっとも恥ずべき行いだ』」
「!!」
「お前にだけは、嘘はつかねえ」
刺すような沈黙がその場を走る。
「…………ゴン」
まるで助けを求めるように、クラピカはゴンを見た。
「……ゴメン」
しかしゴンは、それだけしか言えずに俯く。
次にクラピカはキルアに視線を向けたけれど、彼は落ち着いた態度のまま
黙ってこちらを見ている。その表情が『真実だ』と告げていた。
「…嘘だ…」
「クラピカ…」
「嘘だ嘘だ!!嘘つき!!……お前なんか大っ嫌いだ
――― !!」
慟哭にも似た叫びを残し、クラピカは部屋を飛び出す。
そして隣室に戻り、中から鍵を掛けてしまった。



「……なんで話しちゃったの?レオリオ」
重苦しい空気の中、ゴンはレオリオに問いかける。
「教えたくないって言ってたのは、レオリオなのに…」
責めるつもりは無かったが、つい追求口調になってしまう。
レオリオは再び椅子に腰掛け、グラスの中の酒をあおった。
「…あいつは、真実の片鱗を知っちまってたからな」
思い出したのか、夢でも見たのかはわからないが。そうなった以上、あの
賢いクラピカを騙し通す事はもうできない。
そう悟ったから、意を決して事実を語った。
「嫌われついでだ、恨まれる覚悟は出来てるさ」
「……レオリオ」
「カッコつけちゃって…」
辛かったのは、レオリオも同じ。
なのにあえて告げた彼のクラピカに対する思いの深さを、二人は知っていた。