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三人は朝食を終えて部屋に戻り、ハンター協会を通じて世界屈指の
名医に往診を依頼した。
一日後には到着するという医師が、それまで患者を刺激しないようにと
忠告したので、クラピカは室内で過ごしている。
彼女を一人にするのがためらわれた為、他の三名も傍を離れない。
ゴンはクラピカを誘って、備え付けのTVゲームを始めた。
「私の勝ちだね、ゴン」
「またやられちゃったー。よし、もう一戦!今度は負けないよ」
レオリオとキルアは少し離れた長椅子に座り、二人の様子を眺める。
子供向けの対戦ゲームに興じるクラピカは楽しそうで、コロコロとよく
笑った。
今までの彼女を知っているだけに、違和感が否めない。
「…クラピカとは思えねーな」
「あいつだって『普通』に育ってりゃあ、こんなもんだろ」
幸せな世界しか知らない、幸せに育ったクラピカ。
――― 悲嘆も孤独も、憎悪も復讐も知らないクラピカ。
「……このままだったら、あいつ、どんな人生送るかなあ…」
「――― おい、オッサン?」
言うともなしにこぼれた言葉をキルアが聞き止める。
「何考えてんだよ?もしかして記憶戻んなきゃいいとか思ってる?」
レオリオは否定せず、ゴンと笑い合うクラピカを見つめて呟いた。
「こんなに明るいクラピカ見るの、初めてだからさ…」
素直で明るい11歳の少女は、一年後、悲劇に見舞われる。
嘆きと悲哀は彼女から笑顔を奪い、少年のような姿に身をやつして、
暗く汚れた闇の世界へと足を踏み込ませるのだ。
「『知らなければ』幸せに生きてけるんじゃないか、なんてな…」
苦笑するレオリオの胸中は、キルアにも察せられる。
確かに、虐殺の記憶など、思い出さない方が幸せかも知れないが。
「……けど、それじゃあ今までの5年間はどうなんの。辛かろーと何
だろーと、あいつが生きてきた時間だぜ?それに…」
キルアは一旦言葉を切った。
「オレ達はともかく、レオリオの事『知らない』まんまでいいのかよ?」
「……そうだよなぁ。まだ11歳なんだし、もう一度オレを好きになっちゃ
くれねーだろうな…」
レオリオは遠い目をして微笑した。
「それでも、クラピカの幸せの方が大切だよ」
視線を感じたのか、クラピカがふと振り返る。
目が合ったので、レオリオはにまっと笑い、手を振った。
なるべく普段通りに振舞っているつもりだったが、それがクラピカには
不審に映ってしまうらしく、ツンと顔を背けてしまう。
気配を察し、ゴンが口を開いた。
「おやつにしようか、クラピカ」
「ゴン」
「何?クラピカ」
お茶菓子の用意をするゴンを手伝いながら、クラピカは訊く。
「彼は、何故君達の友達なの?」
彼女が視線で示した相手は、レオリオ。彼は時間を測りながら、香りの
良い紅茶を抽出している。
その茶葉はクラピカの好きな銘柄。
「どうして?何かおかしい?」
「…だって、年齢も離れているし」
「レオリオはオレ達と同じ10代だよ」
「嘘!?」
思わず上げた声に、レオリオが振り返った。クラピカは慌てて目を逸らす。
「………歳は、ともかく。…変な目で私を見るし…」
「心配してるだけだよ。だって、レオリオとクラピカは」
「ゴン!!」
突然の大声に、クラピカはビクッと身を震わせた。
レオリオはゴンに歩み寄り、襟首を掴んで引き寄せる。
そして耳元でこっそり告げた。
「余計なコト言うんじゃねえ。相手はお前より年下で何も知らねえガキだ、
そのへん配慮しろ」
「あ、……ごめん。わかったよ、レオリオ」
さすがにゴンにも理解できたらしい。だが次の瞬間、クラピカが割って
入った。
「乱暴はやめろ!!」
「え?」
「ク…クラピカ?」
彼女は怒りの表情で仁王立ち、レオリオを睨んでいる。
「年下の、それも友人に暴力を振るうなんて最低だ!」
「暴力って……」
「ち、違うよクラピカ!今のはオレが悪かったし、暴力じゃなくて、その…」
ゴンのとりなしも耳に入らず、クラピカは嫌悪もあらわにレオリオを見た。
「野卑で下品で暴力的で、私の一番嫌いな人種だ!こんな人が本当に
ハンターなのか!? まして私の友達だなんて、信じられない!!」
そう怒鳴りつけ、クラピカは部屋を飛び出してゆく。
慌ててゴンが後を追った。
レオリオとキルアの残った室内に、痛いような沈黙が漂う。
「……さすがに、ちょっとこたえたなぁ…」
弱々しく呟きながら、レオリオはソファに座り込んだ。
相手は何も知らない子供、と言ったのは自分だったのに。
「…いつも似たようなコト言ってケンカしてるじゃんか」
傍で事態を見ていたキルアは、あえて普段の口調で言葉をかける。
「やっぱ違うさ。――― いつもは、本気で言ってねぇってわかってるからな。
けど…さっきのあいつは、目一杯本気だった。本気でオレを嫌ってた…」
「ガキの言った事だろ?第一、今のクラピカはあんたを知らねえんだから」
キルアが慰めようとしている事に気づき、レオリオは力なく笑って見せた。
「仕方ないかもな。元々オレとあいつは、初対面で決闘するほど相性が
悪かったんだし」
ハンター試験を共に越えるという経緯が無ければ、クラピカに愛される事
など無かっただろう。
「そう考えりゃあ、無理もねーよ」
自虐的に言いながら、レオリオは目を閉じた。
「……我慢できると思ったけどよ。『忘れられる』ってのは、けっこう辛い
もんだな…」
――― 好きな相手だから、尚の事。
慰めの言葉というものをキルアは知らない。
無言のまま立ち上がり、部屋を後にした。
ほどなく、ゴンはクラピカに追いついた。
部屋に戻りたくないという彼女を空中庭園に誘い、そこで話し合う。
「クラピカ、レオリオに謝って」
「何故?」
それまでの無邪気なまなざしとは違い、キッと見据えるゴンにクラピカは
反論する。
「レオリオを傷つけたから」
「だって彼がゴンを!」
「クラピカにどう見えたか知らないけど、レオリオは暴力なんか振るって
いないし、オレも乱暴されたとは思ってないよ」
「…………」
たとえ相手が記憶障害だろうと、年下だろうと、ゴンの正義感は妥協を
許さない。まっすぐに突きつけられ、クラピカは言葉を失う。
「レオリオはオレの大事な友達だからね」
「オレにとっても、な」
声と共に、背後からキルアが現れた。怒りを秘めた瞳が眇められている。
「……キルア」
「あんた、よくあんな酷い事レオリオに言えるね」
鋭い気配が伝わるのか、クラピカは思わず身構え、後ずさった。
「今この世で誰よりもあんたを大切に思ってるのはレオリオなのに」
「――― え?」
「もうハッキリ言ってやるよ。レオリオとあんたはなぁ」
「キルア!」
横からゴンが彼を止めた。いくら何でもダメだと判断したのだろう。
「止めんなよゴン、やっぱ教えねーと――― 」
「教えたって知らないんだから、どうしようも無いよ。これ以上ショック
与えるのも良くないし」
「けどよ…!」
「何なのだ、一体」
目の前で揉める二人に、クラピカが不審と呆れの混じった声を漏らす。
ゴンはキルアを抑え、再度クラピカに歩み寄った。
「クラピカ。レオリオは本当に大事な、かけがえのない友達なんだよ。
オレとキルアだけじゃなく、クラピカにとっても」
「……私!?」
クラピカは目を見張る。
「まさか、私があんな男――― 」
「クラピカ、下を見て」
ゴンが指差したのは、水草に飾られた人工池の水面。そこには三人の
姿が映っている。
身長差も明白な16歳の少女と、12歳の少年二人が。
「心は11歳でも、本当は16歳なんだよ。5年後のクラピカは、レオリオを
すごく大切に思ってるんだ。――― 本当にね」
「…………」
ゴンの言葉に、クラピカは俯く。
「落ち着いたら、部屋に戻って来てよね」
「今度レオリオに酷い事言ったら、許さねーかんな」
そう言い残して、ゴンとキルアはその場を後にした。
クラピカは一人、池を見つめる。
心までも映したように、水面が揺らめいていた。
タイムスリップして来たも同然の彼女にとって16歳までの五年間は空白。
その間に何が起きて、どんな感情の変化があったのかなど、知るよしも
無い。
それでも、無条件で好感を持ったゴンが怒るほど。
どこか壁のある雰囲気を持ったキルアが怒るほど。
そして自分にとっても大切な存在だという、あの男。
クラピカは少し冷静になって考える。
確かに、男同士ならふざけてじゃれあったり、いささか乱暴なコミュニケー
ションも珍しくは無い。
思い返せば、同胞の少年達もそうだった。なのに自分の判断で『暴力』と
決め付けたのは早計だったかも知れない。
犯した過ちは即、正せ。
そう教育されてきたクラピカは顔を上げ、意を決して部屋へと戻った。
「非礼を詫びます、レオリオさん。すみませんでした」
即断即決主義なのは、年齢に関わらずクラピカの性分らしい。
彼女は入室するなり、つかつかとレオリオに歩み寄り、深々と頭を下げる。
その珍しい光景に、当事者のレオリオのみならずゴンもキルアも目を
点にした。
「…あ、いや…そんなマジに謝られても…」
「許してもらえますか」
クラピカはおそらく年長者に対する礼儀で敬語を使っているのだろうが、
普段の高飛車な物言いに慣れているレオリオは、むしろ背中がムズ痒い。
「……気にしてねーよ。それより、その言葉使いやめてくれねえか?
レオリオでいいよ、水くせえ」
それはまるで初対面の頃のやりとりのようで、レオリオの顔に微笑が
浮かぶ。
優しい口調で告げ、クラピカの頭にポンと手を置いた。
それは無意識に出てしまった、クセのようなもの。
はっとして顔を上げたクラピカの目が見開かれる。
「あ、悪ぃ」
すぐに気づいて、レオリオは手を引っ込める。
だがクラピカは別段 不快には思わなかったらしく、少し頬を染めて
ポツリと呟いた。
「……なんだか、父様みたいだな」
その名称に、レオリオは別の意味で絶句してしまう。
「良かったね、二人とも」
素直に仲直りを喜ぶゴンの傍らで、レオリオの心境を察したキルアが
堪えきれずに忍び笑っていた。
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