〜最後の事実〜



レオリオの力は予想以上に強く、クラピカの抵抗をものともしない。
封じられた両手を頭の上でまとめられ、彼自身の体重で全身を
床に縫いとめられる。
「離すのだよ!無礼者!!」
「誘ったのはお前の方だろ?今夜はそばにいてくれ、ってさ」
「違う!あれは……」
「すげー嬉しかったのに……」
――― え?)
その時、ふいに月光がホールの内部を照らした。
至近距離に互いの顔がある。
クラピカの視界に飛び込んで来たレオリオの顔は、なぜだか
悲しそうな表情に見えた。
呆然としているクラピカに、レオリオは自嘲の笑みをこぼす。
「…お前は公爵令嬢サマで、オレにとっちゃ天の上の人なのにさ…」
「…?」
「マジで… …ちまうなんて、な…」
「え…」
再びクラピカの視界が翳る。
この感覚は以前にもあった。昨日、二人で踊った時に。
でも、あの時とは違う。

唇が触れた。


確かな感触。
伝わる体温。
優しい匂い。

(レオリオ……!)

自覚の波が胸にあふれる。
いつのまにか、こんなにも思いは深まっていたのか。
正義と愛情の狭間で、クラピカの心は混迷する。
レオリオに組み敷かれながら、彼女の脳裏を他人事のように
冷静な思考がよぎった。

――― 腕力では男に敵わない。
しかし盗賊に陵辱されたなどと噂になっては公爵家の恥。
脅迫されたら、家名を守る為に屈するしかない。
貴族なら誰しもそうするはず。そして誰も責められない。
なぜなら『仕方が無い』から。

それは、世間にも自分自身にも正論として通じる言い訳だった。
クラピカは考えるのを放棄して瞼を閉じる。
抗っていた手足も、もう抵抗を為さない。
熱く重なる唇の感触に、意識が溶解してゆく。
(……!?)
不意に、咽喉を流れる液体の感触でクラピカは我に返った。
迂闊にも飲み込んでしまった事に気付き、クラピカはレオリオの
手を跳ね除ける。
「何を飲ませた!?」
レオリオは答えない。
ただ寂しそうな瞳で、クラピカを見つめる。
「答えろレオリオ!今、私に……」
しかし問い詰めるまでもなかったのだ。
「何……を……、 …………」
それは即効性の眠り薬。クラピカの意識が急速に遠のいてゆく。
「レオ…、…リオ…… ……」
まもなくクラピカは完全に意識を失った。


レオリオはゆっくりと起き上がり、力なく横たわるクラピカの身体を
抱き起こす。
「……ごめんな」
そう謝罪し、レオリオは彼女を腕に抱きながら呟いた。
「お前には、いつかバレると思ってたよ。名探偵クラピカ。だけど、
それはもっと先であって欲しかったぜ…」

医者という本業の裏で始めた盗賊稼業。狙うのは貴族や富豪で、
多少の金品を盗まれても、身上に何ら影響は無い連中。
有り余ってる所から分けてもらうだけ、そして誰も傷つけない。
そんな信念で続けた窃盗行為に、罪悪感など無かった。
盗品はスラム仲間が作った独自のルートで売買され、決して
足は付かない。
世論も、鼻持ちならない貴族に一泡吹かせてくれる盗賊を
支持している。
そうやって得た金は、病気の子供を持つ母親や貧しい家族、親の
いない少年たちなどに分配していた。皆レオリオと同じ貧民階層の
住人である。
彼らが喜んでくれるのが嬉しくて、英雄気取りでいた。
――― だから。

「…たった一個の宝石に、かけがえのない思いが込められてる
なんて………考えてもみなかったな……」

クラピカからスカーレット・アイの話を聞いて、初めて知った。
――― 盗まれたら悲しむ者がいるのだと。
貴族でも、庶民でも、何かを失う辛さは同じなのだ。
スカーレット・アイを盗んだのは自分ではないけれど、盗賊という
同じ括りの範疇である。
そんな申し訳無さから、彼女を放っておけなくなった。
医者として、同居人として、協力したいと思っていたはずだったのに。

レオリオは指の隙間にこぼれる金髪を優しく撫ぜる。
「バカだよなぁ……オレは貧乏医者でケチなコソ泥で、不相応も
いいとこなのにさ……」
壊さぬように優しく抱きしめ、先刻漏らした本心をもう一度呟く。
「よりによって公爵家のお姫様に、マジで惚れちまうなんてなあ……」

最初から、身分の壁は明白だった。
しょせん高嶺の花、叶わぬ恋。
わかっていたけど、彼女のそばにいたかった。
少しでも、彼女の役に立ちたかった。
彼女の望みを叶えてあげたかった。


――― I love you」


その告白が、眠るクラピカに届くはずも無かった。