〜まだらの縄〜
               

                    

心模様を映したように不安定な空の下、ノストラード邸では
パーティーが始まろうとしていた。
クラピカとレオリオはハンゾー警部と共に、朝から屋敷に
詰めている。
屋敷の周辺では馬車の整理と見せかけた警官が定間隔に配置
されており、邸内にも使用人に扮した警官が要所要所に立ち、
広い庭では犬を連れた調教師が巡回している。
来客は招待状を送った知人ばかりだし、余興に呼んだ楽隊や
芸人には、入念なチェックを済ませてから邸内に入れていた。
ハンゾー警部は鉄壁の警備を自負して胸を張る。
ノストラード男爵もいたく御満悦の様子だった。
「盗賊も、この警備を目にしては諦めざるを得まいな」
男爵は胸ポケットにひそめた『赤い指輪』を服の上から確認し、
満面の笑みを浮かべる。
彼自身もホスト役としてパーティーに参加しなくてはならない身
ゆえ、別室の金庫に入れておくよりは肌身につけていた方が
安心なのだろう。
その背後で険しい表情をしたクラピカは、
責務――― 表向きの
だが
――― として、ハンゾー警部と共に男爵のそばを離れない。
レオリオは彼女の心境を察しながら、影のように付き添っていた。

やがてパーティーの幕が上がる。
磨き込まれたホールには、華々しく着飾った紳士・淑女たちが
あふれた。
主催者のノストラード男爵はホールの中央にある階段の前に立ち、
挨拶の言葉を述べる。
「紳士淑女の皆さん、今宵は我が娘の為にようこそおいで下さった。
ささやかな祝宴だが、充分に楽しんでいただきたい。それでは本日
17歳の誕生日を迎えた、我が最愛の娘・ネオンを紹介しましょう」
その言葉を合図に、楽隊の奏でるメロディに合わせて階段の上から
令嬢が現れた。
クラピカ達はパーティの前日、男爵から紹介されて彼女と顔を
会わせている。
好奇心旺盛な令嬢は、何度も警備の様子を覗きに来ては父親に
たしなめられていたが、さすがに今夜はレディらしく しとやかに
振舞っていた。
流行の先端をゆくドレスをまとい、髪にも首にも宝石を散りばめ、
贅を尽くして飾り立てた姿は、人形のように愛らしい。
父親にエスコートされ、一段一段降りて来る彼女を眺めながら
レオリオはクラピカにささやきかける。
「あのお嬢さん、お前と同い年なんだよな?」
「ああ」
しかし同じなのは年齢だけ。由緒正しい公爵家の令嬢は、今や
男装の探偵。
対して、成金の男爵令嬢が誇らしげに嵌めている指輪は、公爵家
から奪われた宝。
やはりというか、クラピカの視線はネオン嬢の手元に注がれる。
つい深刻な目つきで凝視していたが、令嬢が正面にさしかかった時、
不意にレオリオが顔を覗きこんだ。
「お前、やっぱドレス着て来りゃよかったな。負けてないと思うぜ?」
「ふ、ふざけるな。こんな時にっ」
クラピカは思わず顔を背ける。昨日の一件以来、なんとなく彼を
直視できずにいるのに、こんなふうにからかわれたくはなかった。
その間にネオン嬢はクラピカたちの前を通りすぎ、ホールに到着
して友人たちの輪に入った。


楽隊の演奏はワルツに変わり、そこかしこでダンスが始まる。
ネオン嬢も友人たちとおしゃべりをしたり、紳士に誘われて踊ったり
パーティーを楽しんでいる。
男爵は上座の椅子に腰掛け、娘の様子を満足げに眺めていた。
あまり大仰に囲むと不審がられる為、ハンゾー警部とクラピカ、
レオリオ、そして執事のダルツォルネが男爵の周辺に控えており、
他の私服警官はホールの各所で目を配っている。
そんな中、招待客の間で ひそひそとささやきが流れていた。
「……どなたかしら?」
「初めてお見かけするけれど…」
「ダンスに誘って下さらないかしら」
年若いレディたちの視線は、男爵の背後のクラピカに注がれている。
その事に最初に気付いたのはレオリオだった。
彼女らの勘違いも無理はない。燕尾服を凛々しく着こなしたクラピカは
生来の貴族らしく高貴な気品に満ちており、何より、華のある美貌が
際立っている。
レオリオは苦笑しながら耳打ちをした。
「おい、レディたちがお前を見てるぞ」
「私を?なぜだ」
「美形の貴公子だと思ってんだろうよ。気の毒にな」
クラピカは憮然とする。男装している以上、男と思われるのは当然だが、
レオリオの面白がる様子が気に入らない。
「くだらない事で煩わせるな。気の毒だと思うなら、お前が彼女らの
相手をするのだな」
「え、いいのか?」
レオリオは嬉々として返答するや、目を丸くするクラピカをよそに、
「じゃあ遠慮なく」とばかりにスタスタとホールの中央へ進んでゆく。
そして、ほどなく一人のレディとダンスを踊り始めた。
実は、レディたちはクラピカと同時にレオリオも見ていたのだ。
高貴とか気品とかは程遠いものの、長身で颯爽とした伊達男の彼は
冒険したい年頃のレディたちには新鮮な魅力だったのだろう。
次々と相手を変えてダンスに誘うレオリオを、レディたちが誰一人と
して断らないのがその証拠。
その光景にクラピカは頭に来たが、同時に胸に痛みを覚えた。

――― こんな時に、こんな事を考えていてはいけない。

それでも感情は正直で、必死に理性で抑えても意識を支配する。
なぜこんなに不愉快なのか、その理由がわかってしまう。
――― 本当は、もっと前からわかっていた。
他の女性とダンスを踊る彼を見るのが辛い。
焦燥にも似た苦しさで、息ができない。
男装で、嫌いな男の警備などしている自分が虚しい。

なぜなら。

(私は………、…レオリオのことが…… ………好……)

――― きゃああああーっ!」
突如ホールに響きわたった悲鳴に、クラピカは現実に戻った。
「な、何だ!?」
「賊かっ!?」
ハンゾー警部を始め、その場にいる全員の目が叫び声の方へ向く。
ほぼ同時に、第二の悲鳴が上がった。
「蛇よっ!蛇がいるわ
――― っ!!」
一瞬、ホールの客が放射状に後ずさる。そこには、一匹の蛇が
赤い舌を出してとぐろを巻いていた。
間をおかず、次々と悲鳴が上がる。
「こっちにもいるわ!」
「キャーッ、ここにも!」
「イヤ
――― っ」
悲鳴と混乱の中、ホールは騒然となった。
既にパニック状態で、使用人に扮した警官が誘導する暇も無い。
恐れをなしたレディたちは我先にと逃げ回るが、ドレスの裾に足を
取られて互いにぶつかり合い、巻き添えになったテーブルや椅子が
床に倒れる。
装飾品や食器の壊れる音が響き、パーティは一転して大騒ぎになった。
「ネオン!ネオンはどこだ!?」
ノストラード男爵はハンゾー警部やダルツォルネに守られて、一足
早く階段の上に避難していたが、さすがに娘の身を案じている。
しかしホールの中央付近で踊っていたネオン嬢は、人波の渦に
巻きこまれて姿を確認できない。
助けに向かおうとする男爵を、警部やクラピカが阻止する。
「いけません男爵、危険です!」
「しかし娘が!」
「落ち着いて下さい、賊の罠かも知れません!」
ハンゾー警部の一言に、男爵はハッとして胸元を押さえた。
懐に隠している指輪は、まだ在る。
男爵を守っていた警官たちは、一斉に周囲を警戒した。

やがて、めちゃくちゃだった人の渦が多少なりと鎮まり始める。
倒れたテーブルや割れたグラス、ワインやシャンパンの瓶が散乱
する中、失神したレディも何人か倒れていた。
「ネオン!?」
ホールの隅で、一人の男が身を盾にして令嬢を守っている。
(レオリオ……!)
大勢の人にぶつかられた為か、レオリオは正装を乱し、眼鏡も失って
いた。
彼はぐったりとしたネオン嬢を抱き上げ、階段の下へ歩み寄る。
「失神していますが、怪我は無いと思います」
ところが。

――― 指輪が無いぞ!?」
力なく垂れ下がったネオン嬢の手からは、赤い指輪が消えていた。
「いつのまに……」
「あの騒ぎにまぎれて、何者かが抜き取ったのか」
「不覚…!」
驚きと悔しさのまじった呟きが交錯する中、ノストラード男爵は
懐から指輪の入った巾着を取り出した。
「だが本物は無事だ。やはり、すりかえておいて正解だったな」
彼は赤い指輪の輝きを確認し、再び胸元におさめる。
その時、クラピカの瞳が鋭く閃いた事には、誰も気付かなかった。
男爵はダルツォルネに命じて令嬢を別室へ運ぶよう指示し、
改めてレオリオに向かう。
「Dr、娘を守ってくれて感謝する」
「いや、当然の事ですから…」
「ついては、別室で身体検査をさせてもらいたい」
謝辞に続いて飛び出した言葉に、一同はぎょっとする。
絶句するクラピカやレオリオに代わり、ハンゾー警部が問いかけた。
「男爵?なぜDrにそのような…」
「先刻の騒ぎの中、娘の近くにいたのは彼だろう。指輪が奪われた
時も、近くにいたのかも知れん」
「……!」
クラピカはその場に凍りつく。
男爵はレオリオに、あからさまに嫌疑をかけている。それは彼が
身分の低い庶生の男とみての差別に違いない。
「恐れながら男爵、Drはホームズ先生の助手で信頼できる方ですよ。
第一、彼はあの指輪が本物ではない事を承知しております」
見かねてハンゾー警部が意見するが、男爵は更に追い討ちをかける。
「複製でも、宝石を使って作らせた高級品だからな。何、念の為だ」
侮蔑を込めた言いように、その場の全員が憤慨した。
疑われた当のレオリオは、さぞや激昂しているだろうと誰もが思う。
「……かまいませんよ」
しかし意外にも、彼は冷静な態度で承諾した。
「Dr、いいんですか?」
「ああ。オレは調べられて困ることなんか無ぇからな」
気を使うハンゾー警部に、レオリオは毅然と答える。
そして身の潔白を示すように胸を張り、乱れた襟を正した。
「レオリオ……!?」
困惑の表情で見つめるクラピカに、レオリオは余裕の笑みを向ける。
「大丈夫だって。心配すんな」
「…………」
クラピカは言葉もなく立ち尽くした。

「では、あちらへ」
やむなく警官が先導する中、レオリオとノストラード男爵は退出
してゆく。
他の警官たちは倒れたレディたちの搬出と介抱に当たっていた。
「ホームズさん、Drの身体検査に同席しますか?」
しばし呆然としていたクラピカだったが、ハンゾー警部に呼ばれて
我に返る。
「……いや、私はここにいる。…レオリオの事は信頼しているし、
他に考えたい事もあるからな」
「危険ではないですか?まだどこかに蛇がひそんでいるかも
知れませんよ」
「心配無用だ」
「…なら結構ですが、今夜はもう遅いので明日、検分しますからね。
それまで現場にさわらないで下さいよ」
「了解している」
クラピカは一人、無人のホールに残った。



別室に運ばれたネオン嬢は、レオリオの所見通り怪我は無かった。
おそらく騒ぎの中でもみくちゃにされ、脳震盪でも起こしたのだろう。
しばらく休ませれば意識も戻ると思われる。
そしてレオリオは男爵立ち会いの元、複数の警官に全身くまなく検査
されたが、当然のように指輪は発見されなかった。

――― まぁ、本物の指輪が無事だったから良しとしよう。今夜は
物騒だから別邸へ移る。ダルツォルネ、ネオンを運べ。使用人たち
にも支度をさせろ」
ノストラード男爵はそう言うと、レオリオに詫びの言葉もなく引き上げて
行ってしまった。

「いくら男爵閣下でも、今回のなさりようは酷いな」
レオリオとは親しいだけに、ハンゾー警部は憤らずにいられない。
しかしレオリオ本人は、あまり気にしていないようだった。
「かまわねぇよ。貴族があんなもんだってのは、わかってたさ」
平然と言い放つ彼に、もしや怒りのあまり暴挙に及ぶのではという
危惧を感じていたハンゾー警部は、内心 胸をなでおろす。
「とにかく、これで無罪放免だろ?帰って良いんだよな」
「ああ、もちろんだ」



――― クラピカ?」
レオリオとハンゾー警部がホールに戻った時、クラピカは床に
座りこんでいた。
その手は、フルーツが盛られていた深い円形の銀器を逆さまに
押さえつけている。
「何してるんだ?」
「騒ぎの元凶だ」
そう言って彼女は銀器を上げた。
途端、するりと細い物体が流れ出る。
「うわ!」
ハンゾー警部は思わず声を上げてしまう。そこには、一匹の蛇が
捕らわれていたのだ。
「大丈夫だ、ハンゾー警部。これは無毒でおとなしい種だし、
冬眠明けで動きも鈍い。害は無いのだよ」
「そ、そうか…。でも、1匹だけですか?他のは?」
「これだ」
そう言うや、クラピカはもう一方の手に持った数本の物体を
差し出す。
「わぁ!?」
唐突に蛇の集団を突きつけられたハンゾー警部は、仰天して
後ずさった。
「ただの縄なのだよ」
落ち着いた声の指摘に、警部はようやく気付き、改めてクラピカが
持っている物を見つめる。
それは確かに、蛇に似た文様の縄だった。
「…悪戯だったのかな?」
「騒ぎを起こすのが目的だったのだろう。1匹だけ本物の蛇を
放てば、免疫の無いレディたちはパニックになって、似た柄の
縄を蛇と見間違っても仕方ない」
「なるほど。その騒ぎに乗じて、令嬢の指輪をすりとったのか。
偽物とも知らずに、やってくれたもんだ」
息をつくハンゾー警部の隣で、クラピカは厳しい表情を崩さない。
そして、ふとレオリオに向き直った。
「……レオリオの疑いは晴れたのか?」
「ああ、大丈夫だっつったろ」
「当然ですよ。そもそも疑う方が間違ってるんだ。Drは身を挺して
令嬢を守ったのに」
警部の言葉に、クラピカはかすかに微笑する。
――― 男爵には、後日改めて警備の不備を詫びよう」
「ホームズさん、あまり気にしなくて良いですよ。我々警察にも
責任があるし、結果的に本物の『赤い指輪』は守れたわけだし。
少なくとも最悪の事態は回避できたんですから」
「ありがとう、警部。……では、今夜はこれで失礼てする」
ハンゾー警部の心遣いに謝辞を述べ、クラピカはホールを出てゆく。
彼女の後に、レオリオも続いた。



帰路の馬車の中、クラピカはほとんど口を開かず、表情を
翳らせている。
「顔色悪いぞ、クラピカ。疲れたのか?」
「……いや」
「帰ったらゆっくり休めよ。明日の実況検分にも、無理に行く必要
ねえからな」
「……ああ」
返事はするものの、彼女はレオリオの顔すら見ようとしない。
無理も無いだろう。偽物とはいえ、目の前でお宝を奪われるなど
名探偵ホームズにとっては大失態。
まして、クラピカにとって重要な意味を持つ宝石なのだから。

蛇騒動。
消えた指輪。
警備の失態。
かけられた容疑。
――― 気付いてしまった真実。
わずかな間に、さまざまな出来事が起こった。
理性と感情が交錯し、クラピカの心を暗い影が浸蝕してゆく。

「…………」
「…………」

沈痛な空気の中、レオリオも口をつぐむ。
石畳を進む車輪の音が、妙に耳についていた。