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名探偵クラピカ・ホームズと助手レオリオ・ワトソンの評判も
世間に定着して久しいある日、レオリオはいつものティータイムに
少し遅れて帰宅した。
「遅いぞ、レオリオ。センリツ夫人が淹れてくれたお茶が冷めて
しまったではないか」
特に時間を約束していたわけではないが、クラピカは条件反射の
ように小言を投げかける。
「悪ぃ悪ぃ。お詫びにこれ、お土産」
レオリオはすまなそうに言いながら、懐から何かを取り出した。
「! それは―――」
クラピカの目前に差し出されたのは、先日ある事件で犯人の
弾丸から彼女の命を守り、代わりに壊れた懐中時計。
「歯車とか針とかの部品は総入れ替えしたけど、見た目だけは
元に戻ったぜ」
「……どうやって…てっきり、もうダメだと思っていたのに」
時計を受け取りながらクラピカは感嘆する。弾丸がめり込んだ
無残な姿を見ているだけに、信じられない。
時計店に持ち込んでも買い換えを勧められるだけで、もはや
諦めていた。
レオリオが持ち出した時も、代わりに廃棄してくれたのだろうと
思っていたのに。
「知り合いに腕の良い細工師がいるんだ。直るかどうかは微妙
だったけど、なんとかやってくれたよ」
レオリオは椅子に腰掛けると、ティーカップを口に運びながら
笑って答えた。
クラピカにとっては時計の価値以前に、家族写真を入れた裏蓋が
砕けた事が悲しかったのだが、その写真もほぼ復元されている。
――― 最後の思い出の家族写真が、戻って来た。
クラピカの胸に、あふれんばかりの嬉しさが満ちる。
「……感謝する、レオリオ。とても嬉しい」
「いいってことよ」
予想外に素直に謝意を示され、レオリオは照れながらお茶を飲む。
ほんのりとした空気に、センリツ夫人は気を利かせて階下へ
お茶菓子の追加を取りに行ってしまった。
やわらかな空気が室内に流れる。
クラピカは、大切に掌で包んでいた時計を懐に戻した。
「直してくれた細工師にも、会って礼を述べたいのだが」
「…ああ、オレから言っとくよ」
しかしレオリオは言葉を濁す。
その態度に、クラピカはひっかかりを覚えた。
「所有者である私が直に礼を言うのが筋だろう?それに修理費も
かかったのではないか?」
「大丈夫だって。『蛇の道はヘビ』だから、気にすんな」
「…………」
クラピカはそれ以上追求できない。
気にはなるが、問い詰めるべき必然性を見出せないし、レオリオが
言いたくなさそうだと気付いているから。
二人の間に信頼関係が確立してかなり経つが、彼女はレオリオに
関するすべてを知っているわけでは決して無い。
『公爵令嬢サマに話せるような立派な出自じゃねえよ』
一度たずねたら、そんなふうに ふざけ口調でかわされた事が
あるが、真実なのだろう。
医師として身を立てる以前は貧民階級だったらしい事は察しがつく。
彼はたびたび貧民街へ往診に行くし、民衆の実態にも詳しい。
今回、時計を修理してくれた細工師も、そちらのツテと思われる。
いかに腕が良くても表立っては開業できない、わけありの職人が
裏通りには多数いるのだ。
彼等は本来、『公爵令嬢』とは顔を会わせる機会も無い存在である。
――― レオリオも含めて。
だがそんな事はどうでも良くなっていた。
現在のクラピカにとって、レオリオは最大の興味対象なのだから。
時折、胸の奥をつつくように自覚の風が吹く。クラピカはその都度
無意識に思考を振り捨てていたが、最近ではそれも困難になって
きている。
今日のように、彼の優しさを思い知る時は特に。
目の前にある穏やかな光景の継続を願わずにはいられない。
……ずっと、このまま………
コンコンコン。
不意に響いたノックの音で、クラピカは我に返った。
「クラピカ、お客様よ」
センリツ夫人の声に、くつろいでいたレオリオが居住まいを正す。
続いてクラピカも、反射的に姿勢を正した。
しかし先刻までの思考を振り返ると、急激に顔が熱くなる。
「どうかしたか?クラピカ」
「な、何でもないのだよっ」
クラピカは赤い頬を隠すように窓際を向き、射し込む太陽光に
顔を晒した。
「――― 失礼します」
センリツ夫人に案内されて現れたのは、背の高い一人の男。
身なりは良いが厳しい表情をしており、紹介された名探偵が
年端もゆかぬ美少年――― 実は少女だが――― と知ると、
露骨に驚いた顔をした。
「私はノストラード男爵家で執事を務めております、ダルツォルネと
いう者です」
それでも彼は丁寧に挨拶をし、勧められた椅子に腰掛けて相談を
始めた。
「実は、今朝早く屋敷に妙な手紙が届いたのです。メッセンジャー・
ボーイではなく、門の扉に挟まれていて――― 」
そう言ってダルツォルネは一枚の封筒を取り出すが、当然ながら
差出人の名は無い。
「拝見しましょう」
クラピカは承諾を得てから、開封済みの手紙を手に取った。
「親愛なるノストラード男爵閣下。
来月3日、貴殿所有の『赤い指輪』を頂戴する。
いかなる警備も無意味と心得よ」
手紙はポピュラーなタイプライターで打たれており、わずか3行で
終了していた。
宝石泥棒は珍しくないが、予告をする盗賊は多くない。
よほど自信があるのか、自己顕示欲の強い愚か者なのか。
予想としては後者だなと、クラピカは息をつく。
「『赤い指輪』……ですか。男爵はそれを?」
「はい。数年前、大陸を旅行中に商人から購入なさいました。赤い
宝石のついた美しい指輪です」
『赤い宝石』と聞いた時点で、クラピカの胸は騒ぎ始める。しかし
表面上では冷静を装っていた。
「警察には連絡しましたか?」
「勿論です。そうしたらハンゾー・レストレード警部が、名探偵の
先生に御協力いただくようおっしゃったので、こうして伺った次第です」
ハンゾー警部は数々の事件でクラピカ及びレオリオに恩義がある。
宝石絡みの事件と知って、紹介してくれたのだろう。
「…実は、来月の3日は当家の令嬢ネオン様の誕生日でして、
毎年盛大なパーティーを開催しているのです。当然ながら今年も
その予定ですし、それに――― …」
困惑の表情で、ダルツォルネは一旦言葉を切る。
「それに?」
「……ネオンお嬢様は、パーティー当日に『赤い指輪』をつける事を
強く希望なさっていらっしゃいます」
ざっと話を聞いただけでも、呆れる点は多い。
それでもクラピカは初歩的な質問を始めた。
「この予告状の主に心当たりは?」
「まったくございません」
「屋敷の人間以外で、赤い指輪の存在を知っている者は?」
「以前に何度かパーティーで、主が、その……同伴のレディに
つけさせた経緯がございますし、新聞の社交欄に載った事も
ありますので、知っている者がいても不思議はありません」
「パーティーは中止できないのですか?」
「既に招待状もお配りしてしまいましたから、男爵家の名誉にかけて
中止はできません」
「令嬢に指輪の装着を諦めるよう説得されましたか?」
「…恐れながら、断固として御意志を曲げて下さいません。ようやく
サイズが合うようになられたので、絶対に披露すると申されまして」
どうやら、かなりの我侭娘のようである。
「……警察は何と言いましたか」
「鉄壁の警備を約束して下さいましたが、旦那様はパーティーの
妨げになるような警備手段は望まれておりませんので…」
「…………」
娘が娘なら父も父である。
「ちなみに、その指輪はいかほどの価値の物ですか?」
閉口するクラピカに代わってレオリオが問いかける。
ダルツォルネは我が事のように鼻を高くして言い放った。
「それはもう、あのような美しい石はこの世に二つとないでしょう。
24億ギニーは下らないと主も申しておりました」
彼は自慢気に懐から写真を取り出す。
「これは旦那様が手に入れられた当時の写真です」
写真には、品の良さそうな紳士が映っていた。
彼の指には小さくて入りそうにない細工の指輪と共に。
それを目にした瞬間、クラピカの心臓が破裂しそうに鳴った。
装飾こそ変わっているが、指輪の石には見覚えがあったから。
――― まぎれもなく、彼女の探している父母の形見であり家宝、
『スカーレット・アイ』だった。
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