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大騒ぎの引越しからしばらく経ったある日。
明け方近くに帰宅したレオリオは昼近くになっても起きて来ず、
センリツ夫人は昼食の支度を整えた後に彼の部屋のドアを
叩いた。
「レオリオさん、もうお昼よ」
幾度か呼びかけられ、ようやく目を覚ましたレオリオだが、
寝崩れた姿を女性の前に晒すのは紳士にあるまじき行為。
彼は急いでガウンをまとい、とりあえず鏡を覗いてからドアを
開けた。
「おはようレオリオさん。ごゆっくりのお目覚めね」
「スンマセン。昨夜、往診に時間かかっちまって。食事、
いただきます」
「お待ちしてるわ」
センリツ夫人はクスクスと笑いながら階下へ下りてゆく。
少々睡眠不足のレオリオは、一つ欠伸をして背を伸ばし、
改めて身繕いを始めた。
一階のダイニングルームに下りると、センリツ夫人の手料理が
湯気をたてて並んでいる。
思わず舌なめずりしそうになるのを抑えながらテーブルに
ついたレオリオは、隣の椅子が空いている事に気付いた。
「センリツ夫人、クラピカは?」
「警視庁から使いの方がいらして、出かけて行ったわ。何か
事件が起きたのじゃないかしら?」
センリツ夫人は淹れたてのお茶を差し出しながら説明する。
「事件の捜査、ですか」
本来なら、そんな世俗に関わるような身分ではなかろうに。
そう思いながら、レオリオは朝食を戴いた。
その日からクラピカは、日に一度、着替えと入浴に戻るだけで
一時間と休まずに飛び出して行くようになる。
探偵という職はこんなに激務なのかとレオリオは驚いたが、
あの歳の少女には度が過ぎており、医者として放っておける
ものではなかった。
3日後、事件は一段落したらしく、クラピカは重い足取りで
帰宅し、半日ほど休息を取る。
レオリオは彼女が目覚めた頃を見計らって忠告に出向いた。
「いくら何でも、あんな無茶は医者として見過ごせねえぞ。
その上、若い娘が夜遅くまでウロウロ出歩きやがって」
「また女性蔑視か?私は無茶などした覚えは無いのだよ」
クラピカは愛用の肘掛け椅子に腰掛け、相変らずツンとした
態度で応える。
レオリオも負けずに言い返した。
「男装してても危険だって言ってんだよ。それに3日も寝食
削ってどこが無茶じゃねえって? 第一、そうまでするほどの
大事件かよ。噂じゃあ宝石泥棒だって話じゃねえか、珍しくも
ない。しかも、店の商品がそもそも盗品で、店主と共犯者が
逮捕されたって聞いたぞ」
「だが窃盗犯は、盗んだ宝石と共にまだ逃走中なのだよ」
「犯人捕まえる前にお前が倒れちまうじゃねえか」
「君には関係の無い事だ」
「関係ある!オレは医者で、お前の同居人だからな!」
頑強に主張するレオリオに、クラピカは無視を決め込む。
レオリオはそんな彼女をしばし睨みつけていたが、やがて息を
つき、再度口を開いた。
「――― オレの親友も、お前みたいに寝食を削って働いてた。
まだガキだったけど朝から晩まで身を粉にして、家にもほとんど
帰らずにな」
「?」
低く重い口調に変わった彼に、クラピカは訝しむような視線を
向けた。
レオリオは更に続ける。
「ずっと貧乏で苦労してたから、金かせぐ為に必死だったんだ。
でもそうやって無理に無理を重ねた結果、ある日突然倒れて
死んじまったよ。オレが医者になるずっと前にな」
「…!」
辛そうに唇を噛むレオリオに、クラピカは言葉を失った。
冷たい空気が机を挟んで向かい合う二人の間を流れる。
「オレは同居人を病気になんか二度と――― 絶対にさせない。
医者として断言するが、あんな無茶な真似を続けてたらお前は
確実に体を壊す。そうなってからじゃ遅いんだ!」
なかば宣言するレオリオは真剣で、本気だった。
この時代、些細な怪我や病気でも死亡率は高く、正当な
意見であろう。
頑固に拒絶していたクラピカにも、彼の心底からの思いが
伝わった。
だが―――
「……それでも、私はやめるわけにはゆかないのだ」
クラピカは言い切り、詰め寄ろうとするレオリオに、懐から
年代物の懐中時計を取り出し、蓋を開けて見せる。
蓋の裏側には一枚の写真が納められていた。
映っているのは知的で温厚そうな紳士と、優美な淑女。
そしてもう一人、人形を抱いた愛らしい少女。
「……これって」
聞くまでもなく、数年前のクラピカであろう。
長い金髪をリボンで飾り、人形と揃いの可憐なドレスをまとった
幼い姿で、現在とはだいぶ印象が違うが、面影は明確に存在
している。
「…5年前の私と両親だ」
それも察しはついていた。母親らしき婦人は、今のクラピカと
よく似ていたから。
気品と優しさの中にも誇り高さを秘めた婦人は、一目で上質と
わかる品の良いドレスを着こなし、その胸元で華麗な首飾りが
いっそう美しさを引き立てている。
「母が付けている首飾りには、中央に大きな石が嵌め込まれて
いるだろう。それは燃えるような深い緋色から『スカーレット・
アイ』と呼ばれる貴重な宝石で、この世に二つと無い。我が
クルタ公爵家に代々伝わる家宝だ」
(公爵令嬢サマかよ)
予想はしていたが、クラピカは正真正銘、本物の『レディ』だった
のだ。血筋によっては王家とも縁があるかも知れない。
ならば漂う高貴さや身についた貴族的な態度・仕草も、さもあらん。
「私はその首飾りを探しているのだよ。…解体されているかも
知れないから、正確には『スカーレット・アイ』をな」
「家宝を手放したのかよ? …破産か?それとも盗まれたのか?」
問い返すレオリオに、クラピカは一瞬口をつぐむ。
そして言った。
「盗まれたのだ。5年前、両親を殺害した盗賊にな」
氷のような沈黙が部屋を包んだ。
止まった時間を動かすように、クラピカは話を続ける。
「……私が…久しぶりに両親と休暇を過ごして、修道院の
寄宿舎へ戻った直後だ。屋敷に押し入った賊が首飾りを盗み、
家族全員を……殺害した……」
唇を噛み締めるクラピカの表情は、悲しみというより怒りを
感じさせた。
「執事も、乳母も、使用人も、………母の胎内にいた、私の
弟か妹も…」
内蓋に秘められた写真は、おそらく最後に撮影された家族の
集合写真。握り締める手が震えているように見えるのは、
気のせいではないだろう。
「……だから私は探偵になった。この手で両親の仇を捕らえ、
奪われた『スカーレット・アイ』を取り戻す為に!………
それを果たす為なら、どのような苦労もいとわないのだよ…!!」
常に毅然としたポーカーフェイスだったクラピカが、初めて
感情をあらわにしている。
レオリオは納得した。
深窓の公爵令嬢では、失ったものを取り返す事はできない。
しかし探偵として俗社会に身を置き、事件に携わっていれば
いつか目指すものに当たる事もあるだろう。
憎い仇、そして幸福と嘆きの象徴である緋色の宝石に――― 。
(……痛々しいな)
そう思ったが、レオリオは口にはしなかった。
クラピカは懇意の警視に頼んで宝石に関わる事件の捜査には
必ず加えてもらっているが、いまだ『スカーレット・アイ』は
発見されない。
今回盗まれた宝石も年代の新しい物と判明し、彼女の目的とは
違っていた。
今までも何度となく期待を掛けては空振りしているが、決して
諦める気は無い。
そう言ってクラピカは懐中時計を懐に戻す。
彼女の横顔を見つめ、レオリオは決意した。
「――― じゃあ、オレが主治医になってやるよ」
「…え?」
不意の言葉に、クラピカは目を丸くする。
「お前が無茶しても倒れねえように健康管理してやる」
「どういうつもりだ?」
戸惑いながら問うクラピカに、レオリオはいとも自然な口調で
笑いかけた。
「お前が自分の意志を通すように、オレも医師の責任を果たす。
どっちも引く気は無いから、折衷案ってわけだ」
「…………」
「さて、そろそろアフタヌーンティーの時間だな」
唖然としているクラピカをよそに、レオリオはさっさと話題を
切り上げてしまう。
「行こうぜ、クラピカ」
レオリオはドアを開けたが部屋を出ず、その場に立ってクラピカを
待っている。
それは紳士の基本、レディファーストの動作。
しばし目をまたたいていたクラピカだが、次第に微笑が浮かんだ。
甘い慰めも、安っぽい同情も見せなかったレオリオ。
その心遣いを一番嬉しく思う。
以来、クラピカが事件で外出する際には、レオリオも随行
するようになったのである。
共に、緋色の宝石を探し出す為に―――
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