撮影当日。
レオリオは立ち会うつもりだったが、その時間はどうしても
バイトの都合がつかず、途中から見学させてもらう事にした。
渋々訪れたスタジオで、クラピカはスタッフ一同に歓迎される。
待っていたのはノストラード社長、WS社の担当者、スタイリスト、
メイクアップアーティスト、コーディネイター、カメラマン、他大勢。
「良く来てくれた、クラピカ君」
「今から出来映えが楽しみだよ」
クラピカは挨拶もそこそこに、メイク室に連れ込まれた。
「ほーら見て見て、このドレス!」
コーディネイターのアスタは、まるで我が事のように嬉しそうに
ドレスを差し出す。
確かに深い緋色が美しいキャミソールドレスだが、細身の
Aラインなので、体の線がはっきりわかってしまうではないか。
「そ、そんな恥ずかしい衣装を……」
「大丈夫よ。コルセットに詰め物して、完璧なバディ作るから♪」
所詮、女優もモデルもヌードで無い限りマガイモノなのだと、
クラピカは今更ながら知った。
元より細いウエストを締める必要は無かったが、ささやかな胸と
腰には、ありったけの詰め物をして、別人のようなボディライン
へと変貌する。
(これが本物だったら、レオリオはさぞかし喜ぶだろうな…)
そんな情けない思考までが脳裡をよぎった。
体を作り終えると、今度は顔。
クラピカには、もらったセットだけでも信じられない量だったのに
プロのメイクアップアーティストの専用ボックスは想像を絶した。
とても化粧品とは思えない色までも備えた、何重ものパレット。
下地クリームやファンデーションも、何種類も用意されている。
本当に一人に対して施す化粧量だろうかと恐れをなした。
それらを次から次に、延々と塗りたくられ、パフではたかれ、目を
開けてなどいられない。
たとえ見なくとも、繰り返し顔を滑るコットンや筆の感触で、いかに
厚塗りされているのか推測できよう。
それはまるで、皮膚呼吸ができなくなるような感覚だった。
アイメイクは特に念入りに行われる。何と言っても、キャッチコピーは
「緋色のまなざし」。
緋色のシャドーを筆頭に、ブロウ、つけまつげ、カラーコンタクト、
マスカラ、アイライン、その他もろもろ……
普段ろくに化粧などしないクラピカは、もはや何をどう塗られて
いるのか、わからなくなっていた。
「よし、パーフェクト!」
二時間近くをかけて、ようやくメイクが終わる。
最後にプラチナブロンドのロングウィッグをかぶせられ、つけ爪と
アクセサリーで飾って完成。
準備だけで疲れ果ててしまったクラピカは、モデルという業種を
侮るまいと認識を改めた。
歩きづらそうなハイヒールを履いて、よろよろと立ち上がる。
――― そして、初めて姿見に目を向けた。
(……!!……)
クラピカは我が目を疑う。鏡に映っているのは、本当に自分だろうか。
そこにいるのは二十歳くらいの大人の女性で、顔も体も別人のように
美しく、色っぽい。
「ほう、これは…」
「うわー……」
「すげぇ…」
「きっれー…」
男性のみならず女性スタッフからも、感嘆の声が上がる。
「やはり私の目に狂いは無かった。『清楚な中にも魔性を秘めた
妖艶なる聖女』――― 正に、新製品のイメージにピッタリだ」
WS社の担当者は至極満足そうで、誰もが同意するように
ウンウンと頷く。
クラピカは暫し呆然と、己が姿を凝視していた。
だが内心の思いは、美しく変身した喜びや高揚ではなく。
(これなら、あの男が見ても私だとわからないかも知れない……)
その一点だけだった。
少し気分が浮上したので、撮影も無事にやり遂げようと考える。
聊か恥ずかしいけれど、これさえ終われば無罪放免なのだから。
クラピカは撮影用のセットに案内され、目線や動きを支持される。
そこはミニバーを模して作られた空間で、テーブルの上には酒瓶や
グラス、花などの小物が置かれている。
演技といっても、寝椅子にしどけなく座り、誘うように妖しくこちらを
見つめるというだけのもの。
むしろそれが難しいとクラピカは思うのだが。
その時、スタジオの関係者通用口に、一人の男を認める。
(レオリオ……)
彼はバイト先のウエイター服にコートを引っ掛けたままの姿で
駆けつけていた。
途端にクラピカは恥ずかしくなる。こんなに変わった姿を見て、
レオリオはどう思うだろうか。
そのレオリオは、最初はわからなかったらしく、スタッフの一人に
教えられ、ようやくクラピカの変身した姿に気が付いた。
驚きに両目を見開き、口をポカンと開けて見つめられ、クラピカは
照れ隠しで視線を逸らす。
しかし彼はすぐに笑顔に変わり、手を振りながらパクパクと口を
動かして、声を出さずに何かを告げた。
――― キレイだぜ―――
それを読唇し、クラピカの胸が甘い音を奏で始める。
はにかむような微笑を浮かべる彼女に、クライアントは更に満足
したようだった。
「イイねえ――― 実にイイね。後は、共演者が到着すれば撮影を
開始できるんだが……」
「遅れてすみません、いろいろ手続きに手間取っちゃって」
その時、撮影アシスタントが小さな箱を手に持って駆け込んで来た。
「クラピカさん、共演者の到着よ」
「――― 共演者?」
クラピカには初耳である。モデルを務めるのは自分一人だと思って
いたのに。
「南米産の大物でねー。偽物を使うか、本物使う許可が下りるか、
ギリギリまでモメてたらしいの。あ、貴方なにかダメな動物ある?
アレルギーとか」
「いいえ、別に……」
「OK。じゃあ、胸元に置くから。まっすぐな目でこっち見てね」
アスタは寝椅子に座ってポーズを取ったクラピカの胸元に、箱から
出した物体を乗せる。
「・・・・・!!」
それを目にした瞬間、クラピカは凍りつく。
なんと、彼女の胸元で蠢いたのは、大人の掌ほどはあろうかという
生きた蜘蛛だったのだ。
「〜〜〜〜〜―――――― っっっ!!!」
クラピカは言葉にならない絶叫を上げた。
彼女の蜘蛛嫌いは、「恐怖症」のレベルに等しい。
まして巨大サイズに体を這われるなど、地獄の責め苦も同然。
「なっ、何だ!?」
「どうした!?」
クラピカは寝椅子を蹴倒して立ち上がり、蜘蛛を叩き落す。
我を忘れた彼女の姿に、一同は騒然となった。
驚いたのは蜘蛛も同じで、素早い動きで逃亡を始める。なぜか、
クラピカの方に向かって。
「イヤだっ、寄るな、来るな――― っ!!」
パニック状態に陥ったクラピカは、セットの壁まで飛び退き、蜘蛛に
向かって手当たり次第に小道具を投げつける。
「クラピカっ!」
悲鳴と破壊音の響く中、唯一事情を知っているレオリオは、慌てて
クラピカに駆け寄った。
レオリオの姿だけは認識できたようで、クラピカは彼にすがりつく。
そのままレオリオはクラピカを抱き上げ、セットから飛び降りた。
入れ替わりにアスタが駆け上がり、蜘蛛を捕獲する。
「…ああ、良かった。無事だったわ。もう〜…なんてコトするのよ、
このジュウニホンアシグモは、タランチュラにそっくりだけど、無毒で
無害な貴重な種なのよ?苦労してレンタルして来たのに、傷でも
つけたら、事務所になんて謝ればいいの〜」
「あーあー、セットがメチャクチャだ」
「せっかく苦労して作ったのに〜」
「どうしてくれるんだよ〜」
「これだから素人は……」
「黙りやがれっ!!」
口々に文句を言うスタッフを、レオリオは一喝した。
途端にスタジオ中が静まり返る。
「こいつは蜘蛛が大ッ嫌いなんだよ!前もって教えてもいなかった
くせに、勝手なコト言ってんじゃねえ!!」
クラピカを腕に抱いたまま、レオリオは背を向けた。
「…どこへ行く!? 撮影はまだ――― 」
「こいつがこんなに嫌がってんのに、撮影なんかやってられるか!
元々モデルでも何でもねえんだし、辞めだ辞め!! 連れて帰る!」
レオリオの羽織っていたコートがバサリと翻る。
彼の剣幕に気圧されたスタッフは、誰ひとり一言も返せず、呆然と
その後ろ姿を見送っていた。
「…………レオリオ……」
「落ち着いたか?クラピカ」
スタジオを飛び出し、マンションに戻るべく発車した車の助手席で、
クラピカはようやく口を開く。
車はレオリオがバイト仲間から、スタジオへ行く為に借りたものだが、
今となっては都合が良かった。
「………すまなかった……」
「お前のせいじゃねえよ。悪いのは、あいつらだ」
彼等に悪気は無かったのかも知れないが、クラピカを驚かせ、かつ
怯えさせた事が許しがたく、レオリオは言い放つ。
「……撮影を…放り出してしまったな…」
そけれでもクラピカは責務を全うしなかった事が気がかりらしく、
細い声で呟いた。
「気にすんな。あんな思いさせられてまで遂行するこたねえ」
「――― ……」
レオリオが掛けてくれたコートを抱きしめるように、クラピカは俯く。
動転していた心が落ち着きを取り戻し、彼の言動を思い返した。
――― 助けてくれたのだ。
大嫌いな生物から自分を守り、助け出してくれたレオリオ。
彼はいつも、自分が必要とする時、そばにいてくれる。
目頭の熱くなる自覚と共に、クラピカはレオリオに頭を寄せた。
「……クラピカ?」
スピードを緩めながら、レオリオはクラピカに視線を向ける。
赤信号に差しかかったので車を停め、彼女の肩に手を回した。
「……なんか、浮気してるような気分になるんだけど」
苦笑しながらレオリオは言う。
隣にいるのはクラピカなのに、別人を抱き寄せているような
錯覚が起きていた。
「…こういう女が、好きなのだろう?」
長い髪、豊かな胸、化粧映えする美貌、セクシーな雰囲気。
確かにクラピカの言う通り、レオリオの好みではあるのだが。
「ああ。クラピカなら、どんな姿でも好きだぜ」
レオリオの愛情表現はいつも率直で、的確に心を突いて来る。
泣きそうな笑顔を浮かべ、クラピカは顔を寄せた。
そのまま深く口接け合う。
後続車のクラクションが鳴り響くまで、二人は離れなかった。
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