「不精ヒゲのサンタクロース」
            〜後編〜



翌日。
今度こそはと意を決し、レオリオは叔父宅のインターフォンを押す。
間を置かず、相変わらず不機嫌な表情の叔父が顔を出した。
「こ…こんにちは」
「…………」
「あの、クラピカさんは…」
「…寝てる」
既に何度も聞かされた返答だが、それがクラピカの怒りの深さ
なのか、それとも叔父の作戦なのかは微妙である。
だが、今回は今までとは違った。
「あいつ熱があるんだ。風邪ひいたらしい」
叔父の思いがけない台詞に、レオリオは驚いて部屋の奥を
覗き込む。
毛布と布団に埋もれて、金色の頭がチラリと見えた。
いくらケンカ後の冷戦状態でも、あのクラピカが真昼間から無為に
寝っぱなしとは異常である。本当に体調を崩しているのだ。
「おい!」
レオリオは叔父の横をすり抜け、室内に上がり込んだ。

二日ぶりに見たクラピカの顔は、熱で赤く上気している。
ぐったりと身を横たえ、苦しそうな呼吸が咽喉を鳴らす。
「……クラピカ!?」
名を呼ばれ、クラピカはうっすらと瞼を上げた。
「…レオリオ…」
力なくかすれた声が痛々しい。レオリオはクラピカのそばに膝を
つき、彼女の額に手を当てる。
それは尋常な熱さではなかった。
「…お前、一体何度あるんだ!?」
「昨日から39度を越えている」
クラピカの代わりに叔父が返答する。彼自身、外出していた事も
あり、姪の発熱には昨夜まで気付かなかったのだ。
だが幼い子供でもなし、自立心の強い姪だから、つきっきりで
看病したり大袈裟に騒いだりする事も無いだろう。
そう考えていたのだが、今日になっても熱は引かず、さすがに
心配になっていたところだった。
「風邪薬とか解熱剤は効かなかったのか!?」
「もちろん出してやったさ。だがこいつ、嫌がって飲まねえんだ」
自己管理には厳しいクラピカが、そんな子供のような事を言うなど
実に珍しい。ケンカの件で意地を張っていたのだろうか?
しかしそんな主張など、この高熱の前には意味を為さない。
「……スポーツドリンクあるか?とにかく何か腹に入れて、薬
飲まさねーと」
「…イヤだ」
弱々しい声で、しかし明確な意志をもってクラピカは拒絶する。
「何言ってんだよ。こんなすげー熱あるのに何も処置しねえなんて
お前らしくねーぞ? 叔父さん、解熱剤くれ」
「いや…薬はイヤだ!もし…子供に影響が……」
――― は!?」
「何ぃっ!?」
レオリオと叔父は同時に驚愕の声を上げた。
「ク、クラピカ!? 今なんて…」
高熱の苦しさに喘ぎながら、クラピカは答える。
「…………一ヶ月……遅れている。…もしも…妊娠していたら、
風邪薬は……ダメだ…」
思わぬ発言に、男二人は絶句した。
確かに、妊婦が安易に風邪薬を服用すると胎児に悪影響が
及びかねない。その思考自体は正しいと言えるのだが。
「き、き、貴様〜〜〜!本当か!? 今度こそ本当にガキをっ!?」
「い、今はそれどころじゃねえだろっ」
レオリオはつとめて冷静さを保ち、叔父の怒りの矛先をかわす。
「と、とにかく。薬がダメなら病院行かねーと」
「痛っ…!」
レオリオが抱き起こしかけた瞬間、クラピカは痛みを訴えた。
「どこが痛いんだ?」
「頭と…間接、…今は……背中…」
「背中?」
正確には背中と腰の中間あたりで、今朝からずっと痛むと言う。
「まるでハンマーで背骨を殴られているような感じだ」とクラピカは
形容した。
叔父宅に来た深夜にはもう発熱が始まっていたらしい。
レオリオはその日の朝、クラピカが、咽喉が痛いと言っていた事を
思い出す。

―――
咽喉の痛み。
――― 突然の発熱。
――― 39度を越える高熱。
――― 背中の激痛。

それらの符号が、レオリオの脳裏で一つの病名をはじき出した。
「これは風邪じゃない、インフルエンザだ」
インフルエンザは風邪と似て非なる流行り病。近年では死者も
多数出ており、決して侮れない。
まして、妊娠の疑いがあるのなら尚更である。
レオリオはクラピカに毛布を巻きつけ、そのまま抱き上げた。
「近くに救急病院があったな。そこ行くぞ」
「レオリオ…」
「何も言うな。オレが悪かった。お前と子供は絶対に助けるから!!」
そう叫んでレオリオは部屋を駆け出して行く。

完全に出番を失った叔父は、困惑と混乱のあまり呆然と立ち尽く
していた。
玄関先には、レオリオが脱ぎ捨てた靴が忘れ去られている。
(……あの馬鹿、裸足で飛び出しやがったか)
自分は風邪だと思っていたのに、レオリオはインフルエンザだと
見ぬいた。
(…仮にも医学生だから、当然だよな)
クラピカは発熱しているのに、妊娠の可能性を考慮して薬を服用
しなかった。
レオリオの子供を守る為に。
(妙な知識ばかり持ってやがる……)
『お前と子供は絶対に助ける』と宣言したレオリオ。
(……んな事ァ、当たり前なんだよ。青二才)
寂しさと悔しさの入り混じった複雑な心境で、叔父は静かに微笑
した。





結果的に、クラピカは妊娠していなかった。
どんなに月経周期が順調な女性でも、何年かに一度くらいは
不安定になる事がある。別段、心配するような問題ではない。
インフルエンザも治りかけの段階に入っていた為、一晩入院して
点滴と注射を受けたら、容態は落ち着いた。

病室でレオリオはクラピカのそばに付き添いながら、問い掛ける。
「なんで早く相談しなかった?もし本当にデキてたら、オレだって
その……心の準備とか、色々…なぁ?」
「…でも…確信は無かったし、近所で検査薬を買うのは、やはり
恥ずかしいし、明日にでも遠くの薬局へ行こうと思っていたその夜、
あんなことになって……」
『あんなこと』とはケンカを指している。
「あれはオレが悪かったよ。お前の好きにしていいから」
「私こそムキになって悪かったのだよ」
「クラピカ……v」
「レオリオ……v」
穏やかな幸せ色の空気が二人を包む。自然な経緯で、レオリオは
ベッドの上のクラピカに顔を近づけた。
「で、つまるところ原因は何だったんだ」
突如聞こえた声に、レオリオは弾かれるように直立する。
病室の入り口には、案の定 不機嫌な顔の叔父が立っていた。
「いや、あの、それは……」
「散々迷惑かけといて、内緒とかぬかしやしねえだろうな」
「……ハイ」
叔父の一睨みでレオリオは恐縮する。これは既に条件反射かも
知れない。
「叔父上、レオリオは悪くないのだよ。私がバイトを始めたいと
言ったのが原因なのだから」
「バイトだぁ?お前、学生の本分は勉学だから、そんな時間が
あれば勉強すると言ってたじゃねえか」
「確かにそうだが、レオリオばかりを働かせるのは悪いと思って」
「オレなら気にしなくていいんだって。お前に余計な負担は
かけさせねえって約束しただろ」
「でも二人で生活しているのに、私だけ楽をするのは…」
「お前はオレが留守してる間、家の中のことしてくれてるじゃ
ねえか」
「…それだって満足にはできていないのだよ」
「んな事関係ねえよ。オレは家に帰った時お前がいてくれれば、
それで幸せなんだからさ」
「レオリオ…」
「もうよそうぜ、クラピカ。またケンカしたくねえからな」
「そうだな……もうやめよう」
もうやめてほしいのは叔父の方である。
飛び交うハートマークに比例して、叔父のこめかみには青筋が浮く。
なんという、くっだらない原因だろうか。
更に仲直りした今となっては、アホらしくて怒る気にもなれない。
これだから犬も食わないというのだ。
(違う、違う!まだ夫婦じゃねえっ)
とはいえ、このまま居座ってもバカを見るだけである。
叔父はウンザリしながら病室を後にしたのであった。


      


クリスマス前にクラピカは全快し、レオリオと二人でイブを過ごせる
事になった。
今年は病み上がりの彼女を気遣って外出はせず、部屋の中に
ツリーを飾り、ケーキも用意している。
ロウソクに火をつけ、電気を消せば、充分にムーディーなイブの夜だ。

「メリー・クリスマス」
二人はレオリオがバイト先で分けてもらったシャンパンで乾杯する。
続いてムードに乗り、互いの唇を寄せ合った。
――― その時。

ピンポーン

「宅配便でーす」
無粋なインターフォンの主が叔父でなかったのは幸いか。
触れる前に離れてしまったクラピカの唇を思い、レオリオは
ガックリとうなだれる。
やがて彼女は、小さめの箱を抱えてリビングに戻って来た。
「叔父上から何か届いたのだよ」
「…爆弾でも入ってんじゃねぇだろうな」
レオリオは恨みがましく呟きながら、箱を開くクラピカの手元を
見つめる。
中に入っていたのは、薄紙に包まれた物体とカード。
「……『新しい釜が完成したんで、スナカに帰る。快気祝を置いて
いく。メリークリスマス』」
「叔父さん、帰っちまったのか!?」
読み上げた途端に出たレオリオの声は、あからさまに嬉しそうで、
クラピカはキッと睨みつけた。
続いて、快気祝とやらの包みを開ける。
現れたのは素朴な土の風合いの湯呑茶碗が2つ。
途端にクラピカは目を見開いた。
レオリオも、驚きの目で問い掛ける。
「…それ、叔父さんの作品か?もしかして、一つはオレに?」
「……めおと茶碗なのだよ」
クラピカは、驚きと戸惑いとはにかみの混じった笑顔で、一回り
大きい方の湯呑をレオリオに差し出す。
しばしポカンとしていたレオリオの顔は、次第に照れ笑いへと
変わっていった。
「……叔父さん、オレのこと認めてくれたんだな」
「ああ、おそらく…」
レオリオは、今まで頑固親父だの叔父バカだのと思っていた認識を
改める。
(ありがとう叔父上さま。クラピカはオレが絶対幸せにします。
必ず叔父孝行しますから、よろしくお願いしますっ)
心の中で誓いつつ、湯呑茶碗を包み込むように両手で捧げ持つ。
しみじみと実感している彼に、クラピカも嬉しそうに微笑んだ。
「せっかくだから、この湯呑でもう一度乾杯しようか」
「ああ、そうしようぜ」
二人はシャンパングラスから中身を移し変える。
飲み物と器が全然ミスマッチである事など、まったく気にならない。
この聖夜に叔父上サンタは、なんという素晴らしい贈り物をして
くれたのだろうか。
神様、マリア様、叔父上様、今宵は本当にありがとう。
「改めて、メリークリスマス」
「叔父上殿に乾杯」
胸を満たす感慨と共に、二人は乾杯をする。
――― ところが。

ぴしっ。

湯呑を触れ合わせた途端、乾いた音が部屋に響いた。
えっと思って、二人が手元を見るや否や。

ぱきーん

レオリオが持っていた湯呑茶碗が、真ん中から二つに割れた。
二人はしばし石化する。
飛び散ったシャンパンはケーキの上にも降り注ぎ、ロウソクの
火を消してしまった。
「レ…レオリオ、大丈夫か?」
先に我に返ったクラピカは、急いで彼にタオルを差し出す。
怪我は無かったものの、レオリオの手はワナワナと震えていた。
「……あンの、クソオヤジ〜〜〜っ!!」
「ぐ、偶然の事故ではないか」
「いーや!絶っっ対にワザとだ!くっそー、あいつまだオレ達の
愛を邪魔するつもりなんだなーっ!?」
不吉にも真っ二つに割れてしまったレオリオの茶碗。
これが二人の未来を示す めおと茶碗だなどと、ありがたく思える
はずが無い。
ついさっき誓った言葉も忘却の彼方、クラピカのとりなしも虚しく、
レオリオは対抗心を復活させたのであった。


不精ヒゲのサンタクロースは、意地の悪いプレゼントを残して
お山へ帰って行きましたとさ。

              
            
(C UT/榛原都さまBy「Hazal House」
              END