「不精ヒゲのサンタクロース」
            〜前編〜



同棲を開始したレオリオとクラピカの前に、天敵・叔父上が転居
して来てから数ヶ月。
彼の入居先がウィークリーマンションだった事は、少なくとも
いずれ退去する予定があるという意味であり、レオリオにとっては
救いだった。
しかしそれが二人の住むコーポ・ゼビルから徒歩10分という距離
なのは、無言の重圧を感じずにいられない。
極端な話、いつ乱入して来られるかわからないのだから。


そんなある夜、クラピカが叔父宅のドアを叩いた。
夕食を終えたばかりの叔父は、思わぬ訪問者に目を丸くする。
とうに陽も落ちた寒空の下、上着も着ていないクラピカは不機嫌
そうにうつむいており、お邪魔虫(=レオリオ)の姿もない。
「珍しいな。どうした?」
「今晩、泊めろ」
クラピカは一言だけ言うと、叔父の了承も待たず室内に上がった。
叔父は彼女の無愛想な態度と投げやりな口調でピンと来る。
(……ははぁ。ケンカしたな、こいつら)
むっつりと黙りこくったクラピカはストーブに向かって座ったまま。
その背には怒りのオーラが見え隠れしている。
嘘をつけない姪の可愛いところだと叔父は含み笑った。
夫婦ゲンカは犬も食わないと言うが、彼にとっては大歓迎である。
(…ハッ!違う違う、夫婦ゲンカなんかじゃない!あいつらはまだ
夫婦じゃないんだからな!!)
自分の思考を自分で打ち消し、叔父は玄関の鍵を閉めた。

「メシは食ったのか?」
「…ああ」
「茶でも飲むか」
「不要だ」
「ここ来るって言ってあるのか?」
「詮索無用」
叔父としては一応 気を使ったのだが、いくぶん八つ当たりされて
いるようで、いとも冷たくあしらわれる。
しかしダテに4年間も育ててはいない。怒っている時のクラピカが
こういう態度を取る事は熟知している。
眉を吊り上げ、唇を引き結んだ表情には『不愉快』という文字が
目に見えそうな気がした。
(ま、俺の知った事じゃねえな)
二人を和解させてやる義務は無いし、これが原因で別れても
その程度だったのだろう。
叔父はあえてケンカの理由も訊かず、ぐい呑みに残っていた酒を
飲み干した。
「ところでお前、顔色悪いぞ。声もなんかヘンだし、冷えたんじゃ
ないか?」
「…………」
クラピカはそれには答えず、黙って立ち上がると、家主に一言も
なく押入れを開け、毛布を取り出した。
そして部屋の隅に寝転がり、頭から毛布をかぶる。
「もう寝んのか?」
時刻はまだ夜の9時。若者の時間はこれからだろうに。
だが恋人とケンカをしていれば、ふて寝したい気持ちもわかる。
叔父は苦笑しながら押し入れから布団を出し、クラピカに掛けた。
「男くさいのだよ!」
それでも姪からは感謝の言葉ではなく文句が飛び出す。
仕方なく、叔父は予備の新品毛布を出して掛け直した。

―――
何が『男くさい』だ。普段男と寝てるクセに。

またしても叔父は、自分の思考に自分で腹を立てる。
ムカつく想像をしてしまわぬよう、ブンブンと頭を振った。
それでも脳裏をよぎる憎い馬の骨の顔がなかなか消えない。

クラピカは手ぶらで来たから、連絡手段は叔父宅の電話しか
無い。
今頃あの男は電話を片手にウロウロと歩き回っているのか。
それとも、クラピカ同様ふてくされて寝てしまっているか。
レオリオが自分を苦手としている事はわかっている。果たして
この部屋へ迎えに来る度胸があるだろうか。
などと考えながら、眠るクラピカの姿を見ていると叔父は、
奪われた宝物を取り返したような優越を腹の底から感じずには
いられなかった。



2時間後。

RRRRRR……

(来たか)
ウィークリーマンション標準設置の電話が電子音を鳴り響かせる。
待ってましたとばかりに、叔父は悠然と受話器を取った。
『……もしもし』
「ああ?誰だぁ?」
蚊の鳴くような声が聞こえ、叔父はわざと大げさに誰何する。
『……レオリオです。夜分すみません』
「何の用だ」
あのデカい男が恐縮し体を縮めて通話していると考えると、つい
楽しくて、叔父は笑いを堪えながらも声だけはドスをきかせた。
『クラピカ……さん、そこに行ってませんか』
「ああ、来てる」
受話器の向こうで溜息が聞こえた気がする。
『あの…じゃあ、ちょっと代わっ…』
「もう寝てるんだ。明日にしろ」
『…………』
冷たく断言され、レオリオは言葉を失う。叔父はそのまま、挨拶も
無く通話を切ってしまった。
これで彼は、最低でも明日もう一度電話をかけねばならない。
(嘘は言ってねーぞ。実際クラピカは眠ってるんだし)
レオリオの蒼白なムンク顔を想像し、叔父は溜飲を下げる。
初対面の春の日以来の敗北感が、一気に吹っ飛んでいた。

いい気味だザマーミロ、せいぜい悩め。そして苦しめ。
この機会に、今までの積もり積もった恨みつらみを思い知れ。

既に舅というか鬼姑の様相である。
あまり露骨に喜びを表してクラピカを起こさぬよう
――― 彼らの
ケンカに狂喜していると知れば彼女はきっと帰ってしまうだろう
から
――― 、叔父は勝利の杯をあおった。

ちなみに。
単身者向けのウィークリーマンションの間取りは1Kしか無く、
年頃の姪と布団を共にするのも少々はばかられたので、叔父は
キッチンスペースに布団を移動して眠ることになる。




翌日。
叔父が目を覚ました時、クラピカはまだ寝ていた。
昨夜は勢いで来てしまったのだろうが、改めて顔を見られるのが
恥ずかしいのかも知れない。
叔父はそう考えて、あえて起こさなかった。
その日は近くの道場で試合の審判を依頼されている。
(留守の間に、あの野郎が連れに来るかな?)
不愉快ではあるが、仕事を放棄してまで阻止するのも大人げ無いし、
クラピカがレオリオと仲直りする現場を見るのはもっと不愉快なので、
叔父は予定通り出かけることにした。
朝食を終え、身支度を済ませると、テーブルの上に外出理由を
書いたメモを残し、部屋を出る。
(どうせ、このまま都合良くケンカ別れなんかしちゃくれねえ
だろうしな)

クラピカとレオリオのケンカは叔父にとって嬉しい出来事だったが、
それが長続きしないであろう事も、内心では悟っていたのだ。




ところが夕刻、帰宅した時 まだクラピカが室内にいるのを見て
叔父は驚いた。
「お前、まだいたのか」
「…………」
「いるなら、電気くらいつけろ」
「…………」
クラピカは返事もせず、横になったまま毛布に埋もれている。
(もしかして、けっこう深刻か?)
叔父は素直に喜ぶべきか複雑になった。
あれだけラブラブぶりを見せつけられていただけに、腹が立つ。
もちろんレオリオに対してであるが。
大切な姪をさんざんもてあそんで疵物にした挙句ポイ捨てなどと、
そんな事は絶対に許せない。
叔父としての情愛と正義感に火がついて、レオリオに対する怒りが
沸き上がる。
そんなバッドタイミングを、まるでみはからったかのように
インターフォンが鳴った。

魚眼レンズの向こうには、落ち着きなく視線を泳がすレオリオの姿。
凄みの増した殺気を背負い、叔父はドアを開けた。
「ど、ども」
「何の用だ」
「クラピカ……さん、を、迎えに」
「そいつは、わざわざご苦労だな」
あくまでも低姿勢なレオリオに厭味口調で応対し、叔父は横目で
背後をうかがう。
毛布からのぞいた金色の頭が、力なく振られるのが見えた。
「生憎だが、クラピカは戻りたくないそうだ」
「え…」
「悪ぃが、帰ってくれ(てか、帰れ)」
有無を言わせず、叔父はドアを叩きつけるように閉める。

レオリオは捨てられた犬のように立ち尽くすしかなかった。
ドアをドンドン叩いて『クラピカー帰って来てくれー』と泣き叫べば
確実に彼女が戻るというなら、おそらく彼は迷わなかったが、
そんな情けない姿を叔父の前で晒すのはしのびない。
無意味なプライドだとは百も承知だが、男にとって譲れないものの
一つなのだ。
クリスマス合わせで詰め込んだバイトの時間も迫っているし、
居場所が判明しているのなら、いつでも迎えに来られるだろう。
多少楽観的だったが、そう考えて、レオリオは渋々、叔父の
マンションを後にした。



ところが翌日、バイトの合間を縫って訊ねてみれば、叔父は留守。
クラピカは居留守なのだろうか。ドアを開けるどころか、インター
フォンの応答も無い。
夜に行けば行ったで、帰宅した叔父に、問答無用で追い返される。
気分はロミオとジュリエット。いや、彼らの方が窓辺で逢瀬できた分
幸せではないかと思う。
レオリオにとって愛するクラピカの顔を見ることも叶わない現実は、
想像以上に辛かった。