「通り雨−夕凪−



レオリオの腕の中で、クラピカはひとつ息をついた。

「その後……叔父はどうしてもぬけられない用があったので…
駅で別れて、……私は…電車の中で頭を冷やしたけれど……
…気がついたら、お前の部屋へ…向かっていた……」
「…………」
レオリオは言葉も無い。
ようやく落ち着きを取り戻したクラピカとは逆に、今度は彼が
怒りに震えている。
クラピカが話したがらなかったのも当然だ。暗に、愛人になれと
言われたなどと。
過去の事件を追求するのは無駄かも知れない。
マフィアと関わりのある男に誠意を求めるのも間違いだろう。
ただ、クラピカを傷つけた事は許せなかった。

「レオリオ……私は怖いのだ」
「……あんな奴に指一本触れさせるもんかよ!!」
レオリオは力を込めて抱きしめる。
しかし彼にしがみつきながら、クラピカは否定した。
「違う。……あの男や、背後関係が怖いのではない…」

思い出したくもないけれど、出会ってしまった時の衝撃が
脳裏を離れない。
あの瞬間から、嵐のような感情が胸に吹き荒れた。
それは両親を失った悲しみよりも、不条理な現実に対する
悔しさよりも、なお強く激しい怒りと憎しみ。

クラピカは初めて聞くような怯えた声で続ける。

「この身を焼くような怒り……凄まじい憎悪が、意識のすべてを
支配していた。……あんなに…暗く醜い感情は、初めてで…」

恐ろしかった。
憎しみのあまり鬼と化しそうな己の心が。
怒りに我を忘れたら何をしてしまうか、自分でもわからない。
─── 自制できる自信が無い。

レオリオの腕の中で、細い身体が震える。
「私は……あの男を、…殺…してしまうかも…、知れない…」
「クラピカ…!」
レオリオは更に強く彼女を抱きしめた。力を加減する配慮を
忘れていたが、クラピカの方も痛がる余裕は無い。
「そのくらい……憎かった。そんな自分が……何より、怖かっ…」
「そんなことにはならねえ!!」
彼女の言葉を遮り、レオリオは力強い口調で断言した。
「オレがいる。いつもお前のそばにいる。怒りで我を忘れそうに
なったら、オレが思い出させてやる!」
「レオリオ…」
「お前を愛してるオレがいる。だから、絶対に大丈夫だ……!」
「…………」

二人は固く抱きしめ合ったまま、しばらく動かなかった。



レオリオの胸の中で、クラピカは癒されてゆく自分を感じる。
昨日もそうだった。激情の渦に翻弄されて、無意識の内に
彼に救いを求めてしまった。
レオリオの顔を見、腕に抱かれると、荒んでいた心に安らぎが
戻って来る。
鎮まって、満たされて、幸せを思い出させてくれた。
誰よりも愛してくれている相手。誰よりも愛している相手。
もっとずっと一緒にいたい。
このまま、彼の腕に抱かれていたい。
離れたくないと、クラピカは切実に願った。


一方、頭の冷えたレオリオは先刻の言葉を反省している。
口先でどれだけ偉そうな事を言っても、実行できなければ意味は
無いのだ。
そして胸の内を一番大きく占めているのが、嫉妬だという事実も
情けない。
今まで、犬も食わない痴話ゲンカなら数知れずあったが、こういう
意味での危惧は初めてだ。
構内で一番有名な公認カップルの二人に本気で割り込もうと
する者など、一人もいなかったから。
クラピカを疑う気も、彼女を渡す気も皆無だが、レオリオの胸には
切迫した不安が押し寄せて来ていた。


「なぁ、クラピカ…」
「……何?」
呼びかけると、いくぶん普段のトーンに戻った声が返答する。
少し気が引けたが、レオリオは問いかけた。
「あいつ……また来るかな?」
対象者を思い出したのか、クラピカの身体は一瞬ビクリと
揺れたが、もう取り乱すことはない。
「わからない。だが……昨日の今日でマンションまでつきとめる
くらいだから、もしかすると………」
それ以上は断定せず、彼女はぎゅっと唇を噛む。
レオリオは決意した。
本当はもうしばらく先の予定だったけれど、今すぐ例の計画を
実行すると。
「クラピカ」
改まった声に、クラピカはうつむいていた顔を上げる。
「オレな、ずっと考えてたんだ。バイトを続けて、なおかつ お前と
過ごせる時間を長くする方法」
「…?」
突然変わった話題に、クラピカは不思議そうに彼を見た。
「一緒に暮らそう、クラピカ」
「!?」
思いがけない言葉に、目が丸くなる。
レオリオは少し照れくさそうに、だけど堂々とした口調で続けた。
「もちろん今のオレのアパートじゃなく、もっと広くて綺麗な部屋に
引っ越してさ。その為にオレ、一年間がんばって金ためてたんだ。
このマンションほどハイレベルな物件は無理だけど、余計な負担は
かけさせねぇから。な?」
レオリオはクラピカの瞳を見つめ、反応を確かめながら続ける。
「お前と離れていたかねぇんだよ。一緒に住むのがベストだろ?
─── 誰か来たら、オレが守ってやる。絶対に手出しはさせねえ」
「……レオリオ…」
フワリと金の髪が揺れ、レオリオの胸にもたれかかった。
「私は……料理が下手だぞ?」
「知っ…いや、メシくらいオレが作ってやるよ。パンの耳より
マシなやつ」
「怒ると、何をするかわからないのだよ……?」
「大丈夫だって。オレが鎮めてやるから」
「…叔父上が、文句を言いに来るぞ?」
「…………(汗)。なんとかするよ」
最大の難関を再認識し、レオリオは苦笑する。
それを見てクラピカは、にっこりと笑った。
レオリオのシャツを握り締めていた手が離れ、彼の頬に触れる。
「ずっと…そばにいてくれるのか?」
「いさせてくれよ」
「……私が、お前のそばにいたいのだよ」

二人はもう一度 微笑み合い、キスをかわした。

「明日、二人で住める部屋を探しに行こう」

雨はいつのまにか上がり、雲の切れ間で虹が輝いていた。



 
─── いつも私のそばにいて。

 
─── 離れないで。

 
─── 離さない。



            END