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「恐怖の隣人」
〜前兆編〜 |
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梅雨のさなかに突発的な事情で同棲を決定してからしばらく後、
レオリオとクラピカは理想的な物件を見つけ、引越しを決めた。
これはその時に起こった、哀しくも恐ろしい出来事である。
――― が、
その前に、読者諸氏も大層気にしているであろうレオリオの
宿敵・クラピカの叔父は、この事態に対しては思ったよりも
冷静な反応を示していた事を報告しよう。
決死の覚悟で叔父宅に赴いたレオリオを前に、当人は手土産の
菓子折りに目もくれず、苦虫を噛み潰したような表情のまま腕を
組み、しばらく無言のまま座っていたが、
「どうせオレが反対しても実行するんだろう」
と発したところ、
「無論なのだよ」
と、可愛い姪にとどめを刺されていた。
さて。
レオリオとクラピカが選んだスウィートホームならぬルームは、
ハンター大学から電車で数10分離れた住宅街に建つ、鉄筋の
4階建てマンション最上階1LDK、コーポ・ゼビル403号室。
新築ではないがリフォーム済み、東南角部屋で日当たりも良く、
最寄駅からは近いとは言えないが遠くもない。
周辺は少し歩けばスーパーもコンビニも医療・公共施設も大抵が
揃っているし、賃料はもとより利便性も含めて、学生二人の住居と
しては破格の掘り出し物である。
レオリオとクラピカは質素倹約を志して引越し業者を頼まず、
荷物の梱包・積み込み・大型家具搬送用の軽トラックの調達まで、
すべて当事者と友人たちの人海戦術で行った。
その甲斐あって、移動は一日で完了したが、その後の片付けが
更に時間を費やす作業である事は、引越し経験のある方ならば
おわかりであろう。
そして記念すべき入居初夜は、裏小説の如きラブラブナイトとは
ほど遠く、昼間の労働で疲労困憊し横になった途端に熟睡という
色気などカケラも存在しないものであった。
「けっこう処分したのに、思ったより荷物あったんだなあ」
朝食の席でレオリオは、引越しから二日が過ぎても、なかなか
減らないダンボールの山を見て溜息をつく。
「焦る必要は無いのだよ。少しずつ確実に片付けてゆく方が
効率的だからな」
クラピカはそう言うが、レオリオとしては一刻も早くこの『障壁』を
取り除いて、ラブラブいちゃいちゃな新居生活を送りたいという
のが本音だった。
「今日はバイトで遅くなるけど、明日は一日かけて全部片付ける
かんな」
「私の授業は午前中だけだから、できる限りはしておくよ」
下心を知らぬげに微笑むクラピカに、レオリオは己を後ろめたく
思わずにはいられない。
しかしそれが男という生き物なのである。
身支度を終えると、レオリオとクラピカは一緒に部屋を出た。
戸締りをして、手をつないで駅まで向かい、同じ車両で並んで
座り、共に下車して、大学の構内へ入る。
一緒の部屋から一緒の大学へ一緒に通学する、という、ただ
それだけの事だが、二人にはとても幸せな時間だった。
二人は一旦別れて午前中の講義を済ませ、それから共に昼食を
取る。
その後クラピカは帰宅、レオリオは午後の講義を経てバイト。
そして事件は起こるのである。
レオリオは人柄の良さゆえ、バイト先の同僚はもとより上司や
先輩にも評判が良く、休憩時間には皆で談笑するのが常だった。
彼の引越しと、その理由を知っている仲間たちは、冷やかしたり
羨んだりして盛り上がる。
そんな中、不意に、上司がこんな話を始めた。
「――― そういえば、こんな話知ってる?」
職場で唯一の女性である上司は、ボディーピアスの女王と異名を
取り、ピアスだけではなくタトゥーも全身に彫っているという噂である。
(ただし確認した者はいない)
その思わせぶりな妖しい微笑に、レオリオも含めた一同が身を
乗り出した。
「な、何スか?」
「引越しにまつわる怖い噂なんだけど、都会じゃあ近所にどんな
人が住んでるかなんて知らないでしょ?そのせいで恐ろしい事件が
起きてるとか何とか」
ボディーピアスの上司は吸っていた煙草の煙を長く吐き出し、
話を続けた。
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ある街に、大恋愛の末に結ばれた若い夫婦がいた。
幸福の絶頂にある二人は結婚後 新居であるマンションに
入居して来たが、夫は仕事があるので、昼間は妻が一人で
引越し荷物の片付けをしていた。
その時、玄関チャイムが鳴り、妻が魚眼レンズ越しに見てみると、
一人の男が立っている。
慣れない土地に移って来たばかりの妻は、ドアチェーンを
かけたままドアを少し開けて誰何した。
すると男は愛想の良い笑顔を浮かべて答える。
「近所の者です。引越しの挨拶に来て下さったのに不在を
していたので、お詫びと挨拶をと思いまして」
その丁寧かつ親切そうな態度に、妻は少し安心した。
男は更に、
「これ、つまらないものですが、田舎で取れた野菜が
たくさん届いたので、お裾分けしますよ」
と言い、足元においてあった大きなダンボール箱を持ち上げる。
食材のお裾分けを嫌がる主婦はいない。妻はすっかり気を許し、
ドアチェーンをはずして受け取りに出た。
しかし男は
「重いので女性には持てませんよ。玄関の上がり口に置きます
から、旦那さんが帰ったら台所へ運んでもらうと良いです」
と言う。
確かに大きくて重そうな箱なので、妻は狭い玄関口で壁に身を
寄せ、箱を抱えた男を玄関の中へ導いた。
男は妻の横を通りすぎ、上がり口へ箱を降ろす。そして再び妻の
横を通りすぎてドア付近へと戻った。
ところが、妻がふと気付いた時―――
男の手には、巨大な出刃包丁が握られていた。
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「……そ、そ、そそそれで?」
いつのまにか怪談の様相を呈した内容に、一同は息を飲んで
続きを期待する。
しかし興味と好奇心に満ちた彼らの中で、レオリオだけが切実な
不安感に苛まれていた。
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やがて夜になり、妻の待つ新居へ夫が帰宅する。
しかし部屋には灯りがついておらず、人の気配も感じられない。
不思議に思った夫は、電気をつけて室内を探したが、妻の姿は
無い。
その時、夫は 引越し荷物の山の中に、一つだけ見なれない
色形の箱を発見する。
何だろうと思って開けてみると、中には、メッタ切りにされた妻の
無残な死体が押し込められていた………… |
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「怖ぇぇぇーーー!!!!」
本気半分・ふざけ半分で、一人が悲鳴を上げた。
次いで大げさな怯え声、それをはやしたてる声、笑い声など、つい
今しがたの張り詰めたような静けさがウソのように、にぎやかな
ざわめきが沸き起こる。
「今の、新手の都市伝説っスか?」
「さあねえ。でも結構いろんなバリエーションがあるらしいわよ。
『近所の男』が『宅配業者』だったり、『忘れ物を届けに来た引越し
業者』になってたり。オチに『検死によると、妻の死体は一部が
切り取られて無くなっており、彼女は何者かに「お裾分け」されて
しまったのだった』とか付いていたりね」
「それってギャグじゃん〜」
「一部ってどこだよー」
「そーいうお裾分けなんていらねーよなー」
一同はそれぞれの意見を冗談まじりに飛ばしながら、ゲラゲラと
笑う。
と、一人が気がついた。
「……あれ?レオリオは?」
いつのまにか、彼の姿が消えている。
「どこ行ったんだ?さっきまでいたのに…」
彼らは室内を見まわし、そして互いの顔を見合わせた。
「…今の話聞いて、自分の彼女が心配になったとか?」
「あ〜あ、タイムリーな内容だったもんなー」
「でも、まさか〜…」
そのまさかだった。
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注※作中の都市伝説モドキは私の完全な創作なので、本気にしたり広めたりしないでね(^^;) |