「通り雨−朝露−
      


夜明け頃から雨は小降りになり、空も明るくなり始めている。
しかしレオリオとクラピカが目覚めたのは、諸般の事情もあり、
午前9時を過ぎてからだった。


「おはよ。よく眠れたか?」
「………おかげさまで」
拗ねたような口調は、恥じらいの現れ。
枕に突っ伏したままのクラピカにレオリオは苦笑し、寝乱れた
金の髪を よしよしと撫ぜた。
「すぐにメシ作るよ」
そう言ってベッドを出るレオリオに、クラピカはようやく顔を上げる。
昨夜は着なかったパジャマを引っ掛け、レオリオはキッチンへと
向かった。
その背を見送りながら、クラピカは無意識に微笑する。

─── ぐっすりと熟睡してしまった。
夢どころか 他の事を考える余裕も無いほど。
レオリオが、そうさせてくれたから。

なんだかとても嬉しくて、彼のぬくもりの残るベッドから出たくなく
なってしまう。
けれど昨夜の名残りを留めたままの身体で食事を摂るのは、
性格上、とてもできない。
クラピカはゆっくりと起き上がり、ベッドに座って深呼吸する。
そして、まだ暖かい掛け布団を抱きしめた。
─── レオリオの代わりのように。
それから彼に借りたTシャツとスエットパンツを着込み、調理中の
レオリオの背後を通って浴室に入った。



十数分後、レオリオはクラピカが浴室から出たのを見計らって
朝食の支度を完了する。
メニューはフレンチトーストとヨーグルト、そしてクラピカの好きな
紅茶。
「給料日前なんで、たいしたもん無くて悪ぃな」
その言葉は謙遜ではなく真実である。フレンチトーストなど、元は
食パンの耳なのだから。
前もってクラピカが来るとわかっている時は、もう少しマシな物を
用意するし、彼女が食材を持参する事も多いが、今回は不意打ち
だったので、この有様なのだ。
それでもクラピカは彼の心づくしに感謝しながらフレンチトーストを
咀嚼する。
「おいしい」
「サンキュ♪」
お世辞でも何でもなく、レオリオの料理の腕はどんどん上達して
いるように思う。
それでも、この貧しい食卓を見ると現実的に心配で、クラピカは
問いかけた。
「レオリオ……日頃きちんと食べているのか?栄養が偏っては
健康を損なうのだよ?」
「平気平気。昼はお前の手弁当だし、夜はバイト先のレストランや
居酒屋で、いいもん食えてっから」
レオリオは事もなげに返答し、親指を立てて笑う。
実際、彼は健康管理だけは細心の注意を払っていた。もし体調を
崩してバイトができなくなったら、大切な計画が台無しになるから。
レオリオの真意は知らぬまま、つられるようにクラピカも微笑む。
「私が作るより美味しいのではないか?今度からは、お前に
昼食を作ってもらおうかな」
「朝メシなら、毎日作ってやるぜv」
実は本音だった彼の言葉をクラピカは笑って聞き流し、再び
フレンチトーストを口に運び始めた。




「雨……まだ降っているのだな」
朝食後、ふと途切れた会話の後、クラピカは窓の方を見て呟く。
「ああ、梅雨だから仕方ねえよ」
相槌と共に、レオリオは思い出したように洗面所を振り返った。
「お前の服、やっぱ乾かなかったな。コインランドリーにでも持って
行くか?」
レオリオの部屋には、乾燥機などという便利で贅沢な物は無い。
ハンガーに掛けて吊るしておいただけのワンピースは、まだジットリと
重く水分を含んでいる。
「気を使わなくて良いのだよ。……もう当分着る用事も無いし、
クリーニングに出してしまうから」
「そうか?…でも、じゃあ今日着て帰る服は、どうするよ?」
クラピカは一瞬思案する。そして次に、今 自分が着ている服を
指差した。
「お前さえ良ければ、これを借りたいのだが」
「じょ、冗談だろっ!?」
クラピカの提案をレオリオは速攻で却下する。
「ダメか?そんなに大切な服だったのか」
「いや、そういうわけじゃねぇけど」
元々おしゃれや外見の装飾に熱心なタイプではないとはいえ、
クラピカの無頓着さに、レオリオは溜息をつく。
彼女が着ているのはレオリオの服。つまり男物のLサイズだから、
華奢な少女であるクラピカには大きすぎるのだ。
Tシャツの襟ぐりは本来小さめなのだが、クラピカが着ると鎖骨が
見えるし、袖口も広く開いてしまい、腕を上げたら腋の下はおろか、
胸の近くまで見えかねない。
スエットパンツはウエストのゆるさをゴム紐で調節しているが、幅は
ダブダブだし、長すぎる裾を三つ折りにして穿いている。
こんな可愛くてきわどい姿を、他人の目に晒せるものか。


結局、レオリオは近所にある衣料量販店「ユニワロ」まで一走りして
クラピカに合うサイズの上下を買い込んで来た。





「いろいろ迷惑をかけてしまったな」
「いいってことよ」
レオリオはクラピカと並んで歩き、彼女をマンションへ送っている。
相合傘というシチュエーションが楽しいらしく、彼の口調はウキウキと
弾んでいた。
クラピカはそれを悟っていたが、昨夜からの事もあり、何も言わずに
つきあっている。
むしろ、一緒にいられる時間が伸びて嬉しかった。
今日は結果的に大学をさぼっており、さすがに二日連続というわけ
にはゆかないから、レオリオの部屋に宿泊できない。
クラピカのマンションは女性専用で、家族以外の男性の宿泊は厳禁。
その事実を最近、少々寂しく思うようになっている気がする。
大学で毎日、顔を会わせているというのに。

不満というわけではない。
ならば不安なのだろうか?
それとも、ただの独占欲?
少しでも長く一緒にいたいと願うのは、自然な事だと思うけど。


マンションの正面玄関まで来ると、なんとなく二人共 口数が減って
いた。
「…お前の部屋、泊まれたらいいのにな」
「すまないな」
「別にいいけどよ……あのさ、クラピカ…」
躊躇うような呼びかけに、クラピカはレオリオの方を向く。
しかし次の瞬間、目を見開いて凍りついた。
「ど、どうした?」
突然の変貌ぶりに、レオリオは驚いて問いかける。
クラピカの瞳はレオリオではなく、彼の背後に停車した黒い外車を
凝視していた。
「?」
レオリオが視線を向けると同時に、運転席のドアが開く。
現れたのは、赤い塊をかかえた黒いスーツの男。
クラピカの表情が更に険しくなった。
「やあ」
硬直しているクラピカに、男は長めの前髪をかきあげながら、至極
穏やかに声をかける。
「今帰って来たのかい?良いタイミングだったね」
彼はレオリオの存在など目に入らぬ様子でクラピカに歩み寄り、
手に持っていた赤い塊
─── 真紅のバラの花束を差し出した。
「君にはやっぱり緋色が似合うな。白は気に入らなかったみたい
だから、最高級品種を取り寄せたんだよ。どうぞ」
「……なんだよ、お前!」
さすがにレオリオは割って入る。この男がどこの誰かは知らないが、
クラピカを口説いている事だけはわかるから。
しかし男はクラピカの前に立ちふさがるレオリオを一瞥しただけで、
空気か何かのように無視する。
「車に乗り給え。セメタリーホテルのレストランに予約を入れて
おいたんだ。…でもその服装はいただけないな。ディナーの前に
ビューティーサロンへ案内しよう。オレの為にドレスアップし
───
男の言葉は途中で止まった。というより、遮られたのだ。
クラピカが、差し出されていたバラの花束で 彼の横っ面を思いきり
張り倒したから。
─── 二度と、私の前に顔を見せるなっ!!」
真紅の花びらが舞い散る中、クラピカは叫ぶように怒鳴りつけ、
身を翻してマンションのエントランスへ駆け込んで行く。
「クラピカ!?」
ただならぬ彼女の言動に、レオリオも慌てて後を追う。
玄関先には、折れた花束の残骸と、男だけが残された。
「…ずいぶんと嫌われてしまったものだな」
バラの刺で切れたのか、彼の頬には一筋の傷が走り、細い糸の
ように流血している。
言葉ほどには感情を含まぬ声で、彼は自信とも嘲りともつかぬ
笑みを浮かべ、やれやれと息をついた。
そしてクルリと背を向けると、路上に散らばったバラの花を踏みつけ
ながら、一度も振り返ること無く車へ戻る。
そのまま、黒い車体は疾風のように走り去って行った。




クラピカを追ったレオリオは、玄関ドアのオートロックが閉じる直前、
彼女の部屋へ滑り込んだ。
「おい……どうしたんだよ!?」
居間にペタリと座り込んだクラピカは、我が身を抱きしめるように
両腕を回し、その肩は震えている。
レオリオは最初、走った為に息があがっているのかと思ったが、
すぐに違うと気付いた。
「クラピカ…?」
そっと近づき、顔を覗きこむ。
彼女は初めて目にするような表情をしていた。
赤く充血した両眼をカッと見開き、眉は吊り上がり、切れそうなほど
唇を噛み締めて。
「……っ!」
ふいにクラピカは振り返り、レオリオにしがみつく。
「ク…クラピカ?」
クラピカは無言で、広い胸に顔を埋める。昨夜と同じように。
(もしかして……昨日、あいつと何か…?)
一瞬、不吉な考えが脳裏をかすめたが、レオリオは何も言わずに
クラピカを抱きしめた。
─── こんな痛々しい彼女を見ていられないから。
抱きしめて、あたためて、それでクラピカが落ち着くのなら。



沈黙した部屋の中に、時計の音だけが小さく響いている。
やがて、レオリオの背中を刺すように食い込んでいたクラピカの
指先から、次第に力が消えてゆく。
胸越しに伝わっていた激しい鼓動が鎮まっているのを確認して、
レオリオは彼女の顔を見た。
視線を落としてはいるが、先刻の壮絶な形相ではなく、ホッとする。
「…大丈夫か?」
「……ああ…」
肯定の声は、まだかすかに震えていたが、一応平静に戻っている
ようだ。
─── 何があった?」
クラピカを抱き寄せたまま、レオリオは慎重に問いかける。
もう、何も聞かずに黙って帰るなど、とてもできない。
しかしクラピカは存外、素直に口を開いた。
「……昨日から迷惑をかけ続けているのだ。話さなくてはな…」
「いや、お前がイヤなら無理にとは…」
建前だけで言いながら、レオリオは内心で つい格好をつけて
しまう自分を殴りたくなる。
「そうではない。聞いてほしいのだよ……」
クラピカは目を伏せ、語り始めた。


            
               ※注意※
                 作中のゲストは、黒髪の彼です(^^;)
               ちなみに髪下ろしVerで想像して下さい。