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翌朝。
レオリオが目を覚ました時、テントの中にクラピカはいなかった。
おそらく、夜明けと共に出て行ったのだろう。
やがてテントの入口を開け、朝の御来光と共にハンゾーが帰って
来た。
「よ!いい朝だなぁ、レオリオ♪」
起き抜けのレオリオにハンゾーは楽しそうな声をかける。
「何がいい朝だ、この雲隠れ忍者が★」
「まーまーまー。で?昨夜の首尾はどうだった?ん?」
眠そうに目をこすりながら毒づくレオリオに、ハンゾーはニヤニヤ
笑いをふりまきながら寄って来た。どうやら、クラピカがここに
泊まった事を既に知っているらしい。
「お前なぁ、人の苦労を楽しんでんじゃねぇよ。首尾も何もオレぁ、
あーんな窮屈な寝方したのは初めてだぜ。身動き一つするにも
神経使って、手足もロクに伸ばせねえし、おかげでほとんど
眠れなかったんだぞ。…ったく、てめーらばっかりイイ思い
しやがって〜〜」
レオリオは心底不愉快そうに文句をこぼす。
しばし彼の言い分を聞いていたハンゾーは一瞬、目を点にした後、
聞き返した。
「…ちょっと待てレオリオ。まさかお前、なーんにもしなかったのか!?」
「あったりめーだろ!オレは痴漢になる気はねーんだ!!」」
即答するレオリオに、ハンゾーは唖然となる。
「……マジか…?クラピカと一晩、同じテントで寝たんだろ……?」
「ああ、真ん中に毛布のバリケード置いて、仲良く川の字で寝させて
もらったぜ。一晩中同じ姿勢してたから全身ギシギシだよ。ふぁあ〜…」
大きな欠伸をしつつ、レオリオは洗顔に出て行く。
その後ろ姿を呆けた顔で見送りながら、ハンゾーは開いた口が
ふさがらなくなっていた。
その日のメインイベントはスキューバダイビングの予定だったが、
あいにく天候が今いちで、念の為に女性たちとダイビング未経験者は
参加を後日にする。そしてレオリオ・ハンゾー・ポックルと、操縦担当の
ゴズの4人のみがクルーザーに乗って行った。
残ったメンバーは昨日同様、森林探検や海水浴にいそしんでいる。
「ウッソ───!本っ当に何も無かったの!?」
昨夜の経緯を尋ねたポンズは、ハンゾーと同様に仰天した。
「あいつは私の弱点をついて脅したのだぞ。そんな卑怯な男と
何かあってたまるものか」
クラピカもレオリオ同様に睡眠不足で、多少機嫌が悪い。
ポンズは大きな目を丸くしたまま話を聞いていたが、やがて大きく
息をついた。
「……それって、脅してでも野宿させたくなかったからじゃないの?」
「何の理由があってだ?」
「だってこの島、夜間は相当気温が下がるもの。蛇や害虫もたくさん
いるし、アウトドアって危険と隣合わせなんだから。きっと、クラピカの
事を心配したのよ」
「まさか………」
「それに、何もして来なかったんでしょ? 彼、女好きだって噂なのに、
すごい紳士ぶりじゃない。そもそも、クラピカだって彼を信頼してた
から泊まったんでしょう?」
クラピカが一人でカリカリ怒っていた時には思いもよらなかった事を
ポンズは指摘する。冷静さを取り戻した今となっては、素直にその
通りだと思えた。
入学以来、毎日のように顔を合わせていたのだから、レオリオの
性格はよく知っている。言葉遣いは悪いし、品性も良くは無いが、
人を傷つけるような真似はしない男だ。
確かに、襲われない保証は無かった状況である。そして、ポンズが
言ったように、もしレオリオ以外の男だったなら、クラピカは たとえ
大嫌いなクモと同衾してでも泊まらなかっただろう。
「…………」
「結局、2人とも素直じゃないのよね。卒業するまで、ずーっとケンカ
し続けるつもり?お互い、もっと歩み寄れば楽しい大学生活を送れる
と思うのに。…まあ、クラピカが今のままで良いのなら別だけどね」
そう言い残し、ポンズは再びビーチに向かう。優しい口調だったが、
彼女の言葉は妙にクラピカの心に残った。
同じ頃、海に出たクルーザーの中では、不機嫌状態を継続して
いるレオリオをハンゾーが宥めていた。
「だからなー、なんだかんだ言ってもお前のテントに来たのは、
信頼してるからだと思うぜ? もしかしたら、実は手を出されるの
待ってたかも知れねーじゃん」
「バカ言えよ。全っ然信用なんかされてなかったぞ。第一な、
クラピカはオレを嫌ってんだ。それか、バカだと思ってるかの
どっちかだな」
ダイブスーツを着込みながら、なかばヤケ気味にレオリオは
言い捨てる。
「あのなーレオリオ。お前、マジでわかんねーの?」
ハンゾーはやれやれと溜息をついて言った。
「何がだよ」
「クラピカは、本気で嫌いな奴とは口もきかなきゃ顔も合わせねー
性格だぞ?」
「そんな事ぁ─── ……」
言われなくてもわかってる、と言いかけてレオリオは、ふと何かが
ひっかかった。
「だいたい、お前の態度にも問題あるぞ。他の女にするみたいに、
もう少し優しく接してみろよ。自他共に認めるフェミニストのくせに、
なんでクラピカにだけ対抗意識を燃やすんだ? 年下の女の子と
張り合ってどうすんだよ、まったく」
「…………」
いちいちごもっともな指摘である。レオリオは返す言葉も無くて
黙り込んだ。
「とにかく、よーく考えてみな。小学生みたいだぞ、お前ら」
ハンゾーの最後の言葉は、レオリオの困惑を更に深めていった。
ダイビングポイントに到着した。
装備を整え、ハンゾー・ポックル・レオリオは順に飛び込んでゆく。
海上は多少波が高いが、水中は素晴らしく美しい。
魚の群れ、揺らめく海藻、色とりどりの貝、一面に広がる青の世界。
夢のような景色の中、三名はしばしの遊泳を楽しむ。
(─── ん………?)
ふと、レオリオの視界の隅で何かがキラリと閃くのが見えた。
それは海底には存在しないはずの人工の輝き。
透明度の高い海中では、近くに見えても実際には距離のある事が
多い。
レオリオはハンゾーたちから離れ、そちらに向かって泳いでいった。
数時間後、空は雲に覆われてきていた。
風も強くなり、雨でも降っては大変だからと 島のメンバーは
遊びを切り上げ、早目に食事の支度を終える。
しかし予定の時間になっても、ダイビングチームだけが戻らない。
帰りの遅さを心配し始めた頃、ようやくクルーザーが帰還して来た。
しかしホッとしたのもつかの間。
「大変だ!ボンベの故障事故でレオリオが溺れたぞ!!」
「─── !!」
猛スピードで停泊した船の甲板から叫んだポックルの言葉に、
一同は騒然とする。
しかし、誰よりも驚愕したのはクラピカだった。
陸上に運ばれたレオリオの顔は蒼ざめ、チアノーゼが出ている。
大きな体格を力無く横たえた姿は、消えそうに弱々しく見えた。
(レオリオ………?)
彼を囲んでいる皆の声が遠い場所から聞こえるような錯覚。
クラピカには、まるで映画のワンシーンを観ているように現実が
遠く感じられた。
「早く病院に運ばないと!」
「波が高いから船はダメだ、救急隊に連絡しろ!!」
「レオリオ、おいレオリオ!?」
「ひどい顔色だぞ、息してないんじゃないか!?」
「どうしよう。このままじゃ死んじゃうわ!!」
─── レオリオが死ぬ?
呆然と立ち尽くしていたクラピカは、次の瞬間、飛び出すように
レオリオのそばに駆け寄る。
そして大きく息を吸うと、彼の顔に覆い被さった。
人工呼吸、マウス・トゥ・マウス。
その場にいた全員が驚いて注視する。しかしクラピカは彼らの
視線など、意識の範疇に無い。
2〜3度、息を送り込むが、レオリオに反応は無い。クラピカは
彼の着ているダイブスーツの胸元を開き、対向にいるハンゾーの
手を取って当てさせた。
「心臓マッサージだ!アバラが折れてもいいから、全力で押せ!!」
「あ、ああ─── 」
ハンゾーはクラピカに気圧され、言われるままにマッサージを
始める。彼は以前に応急処置の講習を受けた事を思い出し、
回数や方法を正確に実行できた。
かたわらでクラピカは人工呼吸を続ける。
(しっかりしろ、レオリオ!)
心の中で呼びかけながら。
(こんな所で死んだら、お前の夢はどうなるのだ!?)
命を分け与えるかのように、何度も息を吹き込む。
(目を開けてくれ、レオリオ!!)
祈るような思いで。
(私を置いて逝くな………!!)
ひたすら繰り返す。
─── どのくらいの時間が経っただろう。
実際には大した時間でなくても、何時間ものように感じられた。
「……!」
突然レオリオの口から水が吐き出された。苦しそうに何度か
咳き込み、その都度、水を吐く。
ハンゾーは胸に耳を当てて心音を確認し、軽く頬を叩いた。
「おい、レオリオ!? ……生きてるか!?」
「………〜〜……」
それは言葉として聞き取れなかったが、まぎれもなく呼びかけに
対する反応だった。意識が戻ったのだ。
誰からともなく歓声が上がる。
外的刺激に反応し、レオリオは手や首を動かす。それを見て、
張り詰めていた気が緩んだのか、クラピカは放心したように
座り込んでいた。
「もう大丈夫よ。良かったわね、クラピカ」
ポンズに肩を支えられながら言われた言葉が胸に染み込む。
同時に、目の奥が熱くなってきた。
涙が出そうな予感に、手で顔を覆う。こんな大勢の人の前で
泣きたくない。
だが、レオリオの生還を実感すればするほど泣きそうになる。
そしてようやく理解した。
レオリオを喪うのは絶対にイヤだと思ったこと。
レオリオを救う為に、我を忘れるほど必死になったこと。
レオリオの生還がこんなに嬉しいこと。
─── その理由を。
島の上空は風が強く、波も荒くなっていた為、救急隊の到着は
少し遅れるらしかった。
とりあえず意識が戻ったレオリオは、テントの中で休んでいる。
無事だったとはいえ事故が起きた以上 合宿は中止で、メンバーは
各自撤収の準備に取りかかっていた。
片づけを手伝っていたクラピカに、ハンゾーが声をかける。
「しばらくの間、レオリオについててやってくれないか?オレも
撤収を手伝いたいし、どうせなら女が看てた方がいいだろ?」
説得力のある理屈に納得し、クラピカは承諾してテントに入った。
レオリオは眠っているらしい。その顔は、だいぶ血色が良くなって
いる。
それでも、ちゃんと息をしているか不安で、クラピカは思わず
のぞきこむ。
その時、突然レオリオの目が開いた。
「……よう」
「あ………」
目を開けた事に対する安堵と、突然『2人きり』を意識してしまい、
クラピカは口ごもる。
「どうした…? そんな泣きそうな顔してさ……」
「だ、誰も泣いてなどいないのだよ」
出て来る言葉は強がりばかりで、クラピカは自己嫌悪に陥って
しまう。
「ハンゾーに聞いたけどよ……お前がオレを助けてくれたんだってな?」
「─── !!」
瞬間、クラピカの脳裏に『人工呼吸』の記憶が蘇った。あの時は
必死だったので何も考えられなかったけれど、改めて思えば、
顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
「クラピカ、オレ……」
「あ、わ、私、ちょっと用事がっ」
続くレオリオの言葉を待たず、クラピカはテントを逃げ出してしまった。
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