風雲は過ぎ去り、おりしも夕刻。海も空も、紺碧とオレンジ色が
混ざったファンタジックな色に染まっている。
浜辺まで出て、クラピカは呼吸を整えた。
自己嫌悪が頭の中でグルグル回る。
自覚したのは『恋』という単語。気付いてしまったら、どう接すれば
良いのかわからない。今日の今朝までケンカをしていた仲だと
いうのに。
こんな気持ちは初めてだった。

「クラピカ」
─── !!!」
背後から名を呼ばれ、心臓が跳ね上がる。
それは振り向かなくてもわかる、レオリオの声。
「なんで逃げるんだよ。礼を言おうと思ったのに」
「れ、礼など不要なのだよ。それより、休んでいなくてはダメでは
ないか」
可能な限り冷静を装い、背を向けたままクラピカは返答する。
レオリオには彼女の態度が怒っているように見えた。
(無理もねぇかなぁ………)
自分はマヌケにも溺れかけ、人工呼吸という形ながらも彼女の
唇を奪ったのだ。潔癖な性格のクラピカが呆れるのを通り越して
怒っていても仕方ない気がする。
しかし、それでも感謝の気持ちは伝えたかった。
「一言だけ言わせてくれ。…助けてくれてありがとな、感謝してる」
レオリオのこんな真面目な声を聞くのは初めてで、クラピカの
胸が激しく鳴る。
「それから、これ
───
「……?」
差し出されたレオリオの手に視線を移したクラピカは、彼の掌に
乗っている物を見て、驚きに目を見開いた。
そこにあったのは、一昨日、海に落としたはずの金細工の火蜥蜴。
「これは………」
「ダイビング中に見つけたんだよ。気絶する前に拾えて良かったぜ」
受け取るクラピカの手がかすかに震える。長さにして約10センチ
ほどの、こんな小さな物を、あの広大な海の底から見つけ、命を
落としかけながらも持ち帰ったというのか。
「……こんな…もの……」
火蜥蜴を握りしめてクラピカはつぶやく。
「こんなものってお前……じいさんの形見なんだろ?」
「何の効力も無い、ただの金属の塊だ!」
言うなり、クラピカは海に向かって火蜥蜴を放った。
金色の軌跡を残し、火蜥蜴は再び海底に消えてゆく。
「おい!何すんだよ、せっかくオレが
───
「海の御守りなどと言って、お前は死にかけたではないか!!」
─── え?」
言われた意味が掴めず、レオリオは不思議そうにクラピカを
見つめた。

クラピカの両親は4年前、飛行機事故で亡くなった。
遺体が戻らなかった為、当時12歳のクラピカは、ショックでは
あったが 実感は希薄だったのだ。
だから知らなかった。目前で進行してゆく『死』があんなに恐ろしい
なんて。
身近な人を奪われる苦しみは二度と味わいたくない。大切な人を
喪うのは、もう絶対にイヤだ。

「……レオリオ…」
「な、何だよ?」
名前を呼べば返事が返る。ただそれだけの事が、泣きたくなる
ほど嬉しい。
「勝手に死んだら……許さないぞ…」
「……勝手にったって、今度の事故はオレの意思じゃねぇし…」
「誰の意思でも許さないのだよ!お前が死んだら、私が困る!!」
「……は?」
ここにきてレオリオはようやく気付いた。てっきりクラピカが怒って
いると思い込んでいたが、どうも違うらしいと。
細い肩、潮風に揺れる金色の髪、小さな背。見なれているはずの
クラピカの姿が、とても頼りなく繊細に映る。
まるで傷ついて泣いているような彼女に、レオリオの胸は困惑と
罪悪感に締めつけられた。
同時に、心の中の深く熱い感情に気付く。
それはまっすぐクラピカへと向かっていて
─────
その時、突如として、自覚という名の雷電がレオリオを貫いた。

─── オレは、クラピカが好きなんだ……)

途端に、すべての符号が揃った。
彼女に勝ちたくて躍起になっていたのも。
ケンカをするとわかっていたのに、毎日のように会っていたのも。
クラピカにだけ、他の女に対するような軽薄な態度を取れなかった
のも。
理由は一つ。彼女が『特別な存在』だったから。
─── 本気で恋した相手だから……

レオリオは困惑で言葉を失う。しかし体は感情に正直に行動して
しまい、ほとんど無意識に、背後からクラピカを抱きしめていた。
─── 本当は、もっとずっと前から、こうしたかったのかも知れない。
「なっ、何をする!?」
「あ、……」
我に返っても、レオリオはクラピカを離せない。否、離したくなかった。
「離せ、一体どういうつもりで
───
「好きだ!!」
瞬間、もがいていたクラピカの体が硬直する。しかし、それは
レオリオも同様だった。
(しまった………)
いきなり核心を口に出してしまい、レオリオの頭の中が真っ白に
なる。
彼は本気でも冗談でも、女性を口説く時は手間と時間をかけて
形から入るタイプだった。なのに、こんな露骨な告白をしてしまう
など、自分でも信じられない。
しかし、覆水盆に返らず。
そしてクラピカの方はと言えば、リアクションの一つもなく、レオリオの
腕の中で、人形のように固まったまま。
────── ………………」
互いに激しい動揺と戸惑いに揺れる中、静かな波音だけが周囲に
響く。
意を決し、レオリオはゆっくりとクラピカを自分の方に向き直らせた。
彼女は目をそらし、視線を合わせようとしない。
だけどハンゾーが言った通りなら、クラピカはレオリオを嫌っては
いないはずだから、希望はある。
レオリオは改めて腕の中の相手を見つめた。
─── クラピカの顔立ちが綺麗な事は、初対面の時から知っている。
しかし、こんなに可愛いなんて気付かなかった。
一体、今まで彼女のどこを見ていたのだろう。今までに出会った誰
よりも、魅力的で可愛いらしい少女だったのに。
「……いい加減に手を離せ。……こういう冗談は、好きではない…」
その言葉でレオリオは現実に戻る。冗談だと思われるのは心外
だった。
「何で冗談なんだよ、オレはマジだぞ」
「嘘だ。お前は私のことなど………いつも、嫌がっているくせに……」
「いや、だからそれは……」
今までの関係を思えば、突然の告白を信じられなくても仕方ない。
しかし、本心を自覚した以上、レオリオも引き下がる気は無かった。
「……それとも、私が応急処置をしたから……恩を感じているのか?」
「そんなんじゃねぇよ!!」
適切な言葉が思いつかず、レオリオは焦る。
今更、空々しい口説き文句など発しても、余計に不信感を煽るだけ
だろう。はたして、どう言えばわかってもらえるのか。
「あの場合、人命救助は当然の事だ。だから気にしなくて良いのだよ」
「違うって言ってんだろ!」
「何が違う!第一お前が好きなのは、胸の大きい色っぽい女だろう!?」
遂にクラピカはキレてしまった。
動転するあまり、理性がショートしたとも言える。思考が感情に
追いつかないのだ。
「いつもそう言っていたではないか、私など女以前の生意気な子供
だと!! 人をからかうのがそんなに楽しいか!? レオリオのバカ者っ!!」
言葉は責め口調だが、涙目になって訴える姿は、まさしく思春期の
乙女。その可愛さはレオリオにとどめを刺した。
「わかったから、ちょっと黙れっ!!」
レオリオはヤケクソ状態で叫び、クラピカの体を拘束するように
抱きしめる。
「もーいいっ!お前が女でもガキでも、胸があっても無くても、
どーでもいいから、オレの彼女になってくれっ!!」
─── !?!?!?」
クラピカは再び固まる。そして、交際を申し込まれたという事実に、
一拍遅れて気がついた。
「な、な……何をふざけ……」
「天地神明にかけて、お前のことが好きなんだよ! 何でも言う事
きくから、頼むからオレとつきあってくれ!! イヤだってんなら、この
腕は一生離さねーからな!!」
力いっぱいクラピカを抱きしめながらレオリオはわめく。もはや脅し
なのか求愛なのかわからない台詞になっていたが、その支離滅裂
ぶりは逆に、クラピカを冷静にさせた。
レオリオが本気なのだとわかる。言葉はともかく、真剣に好意を
伝えている事も。
クラピカは恥ずかしさに耳まで赤くなる。
激しく響く鼓動は変わらないが、
全身の緊張は次第に緩み、やがて、
レオリオの胸に体をあずけた。
動揺が鎮まると、胸を占める感情は歓喜と嬉しさばかり。
断る理由など思い当たらない。

「………一つだけ……条件がある……」
「何だ?」
ようやく落ち着いたようなクラピカの声に、レオリオは安堵して問う。
クラピカの瞳がまっすぐにレオリオを見つめた。
─── 絶対に、私を残して死ぬな……」
「……!」
レオリオはクラピカの両親の事故死を、本人から聞いて知っている。
そして今回、自分が命を落としかけた事は、彼女に多大な不安感を
与えたのだと悟った。
大切な人を喪う辛さはレオリオも経験している。だからクラピカの
気持ちは充分すぎるほど理解できた。
「……ああ、わかった。絶対に、お前を一人にはしねえぜ」
「…本当だな?」
「約束する」
そうして、初めてクラピカはフワリと笑った。誰よりも美しい少女の
顔で。
2人はしばし見詰め合い、改めて抱きしめ合う。
こんなふうに接触するのは初めてのはずなのに、なぜか懐かしい
ような、不思議な心地よさを感じた。
「……クラピカ。お前、オレに人工呼吸してくれたんだよな」
「あ、あれは救命措置の一環なのだよっ」
今更ながら恥じらい、釈明するクラピカにレオリオは苦笑する。
「わかってるよ。でもな、悪ぃけどオレは記憶に無ぇんだ」
意識不明だったから当然なのだが、クラピカはホッとすると同時に、
悔しいような気になった。
何しろファーストキスだったのだ。その相手が『記憶にありません』
では、乙女心が少々傷つく。
「…初めてだったのかよ?」
「……っ(///)」
真っ赤になった顔は肯定の証。それを見てレオリオは、残念な
気持ちに拍車がかかった。
記念すべきクラピカとの初キスを覚えていない事が惜しくて
仕方ない。
「なあ……やり直していいか?」
「え? ……
─── !!」
言われた意味に気付いた途端、クラピカの体温は一気に上昇した。
顔だけでなく、全身が赤くなっているような気がする。
「クラピカ…?」
「…………」
こういう場合、拒否するにせよ同意するにせよ、どう言えば良いのか、
クラピカにはわからない。ただ、黙ったまま目線を落とす。
しかしレオリオはそれをOKの意味にとったようだった。
顎に手をかけられ、上向かされる。彼の腕の中に捕らわれたままの
クラピカには、抵抗の仕様も逃げ道もない。
レオリオの顔が接近して来る。
「ち…ちょっと待っ……………」
戸惑う声は、上空に現れた救急ヘリのエンジン音にかき消された。

2度目のファーストキス。
それは、ケンカ友達から恋人に昇進した瞬間。






後日談。


「…………なぁんだと
───〜〜〜ッ!?!?!?」
病院に収容されたレオリオは、見舞いに来たハンゾーから、
思いがけない事実を告げられた。
「オレとクラピカをくっつける為に仕組まれてたってのかっ!? 
あの合宿、全部!? 最初っから!?」
「いや〜仕組んだと言うか、ただ、うまくまとまればいーな〜と
思ってさ。ちょっとキッカケを作っただけだよ」
どこかひきつった笑顔を浮かべながらハンゾーは言い訳をする。
「なんでまた、そんな真似しようと思ったんだよ?」
「決まってるだろ。お前らときたら、はたから見れば一目瞭然で
惚れ合ってるクセに全然自覚ないし、毎日毎日ケンカばかりしてる
から、じれったくて仕方なかったんだよ。だから、さっさとまとめて
やろうと思ってな」
まるでお見合い斡旋趣味のオバサンの理屈である。レオリオは
呆れ果て、怒る気力も無くなってきた。
「……参加者の中で、誰と誰がグルだったんだ?」
「最初はオレとポックルとポンズの3人だったんだが、他の連中にも
協力を頼んだら、みんな快く引き受けてくれたんだ。だから最終的
には全員さ」
「ぜ…………」
レオリオは絶句する。しかし、言われてみれば思い当たる事も
あった。
「じゃあ二日目の夜、皆それぞれの相手んトコ行ってクラピカを
追い出したのは…………」
「御名答。お前のテントに泊まらせる為のセッティングだよ。ただ、
お前が手を出さなかったのは計算外だったけどな」
「…………まさか、酸素ボンベの事故もお前らが……」
「いやいやいや、それは違うぜ。あれは正真正銘の事故だ。いくら
何でも、命に関わるような危険な真似までしやしないぞ」
ハンゾーは真面目な顔で否定しているが、どーにも疑わしく思って
しまう。
「とにかく結果オーライだ。うまくいって良かったな、レオリオ♪」
あっけらかんと話を終えようとするハンゾーを見ていると、レオリオは
もうどうでもよくなってしまった。
とりあえず命にも別状なかったし、何より、可愛い恋人をGETできた
から、多少の事など許せてしまう。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「レオリオ、具合はどうだ?」
入室して来たのはクラピカ。認識するや、ハンゾーは意味深な笑顔で
立ち上がった。
「それじゃあオレはこれで。またなレオリオ、大事にしろよ」
そそくさと病室を出てゆくハンゾーを、クラピカは不思議そうに見送る。
「おかしな奴だな。……ニヤニヤして、2人で何の話をしていたのだ?」
「ゼビル島の話だよ」
ふと、クラピカの頬が恥ずかしそうに染まる。恋人としてつきあい始めて、
まだ数日。その初々しさが更に愛しさをかきたてた。
クラピカは以前よりずっと表情が柔和になり、レオリオとの痴話ゲンカも
減ってきている。
日々女らしく可愛くなってゆくような気がして、レオリオは嬉しそうに
笑った。
「クラピカ。また来年もゼビル島に行こうな」


今度は最初から恋人同士として行こう。
─── あの、思い出の島に。



END   

まるで軍艦島のパ●リみたいになってしまった(汗)