「夏の憂鬱」
〜後編〜



クラピカを怒らせたレオリオは、寝室別居の上、口もきいて
もらえない哀れな夜を強いられた。
そして翌朝、目覚めてみれば彼女の姿は既に無く。
置手紙は無かったものの、行き先はわかっていた。
昨日、クラピカ自身が「スナカへ行く」と宣言していたから。
すぐに追いかけて謝って連れ戻したいのは山々だったが、
そこにはレオリオの天敵たる叔父がいる。
バイトの予定も入っているし、第一 あの叔父にケンカの
原因が知れたら、生きて戻れない気がした。
猛暑の所為か不吉な予感だかわからない、嫌な汗が
ダラダラと流れる。
一応、クラピカの携帯に電話をかけてみたが、着信拒否に
されていた。
やはり彼女の怒りは、まだまだおさまっていないらしい。
叔父も怖いが、クラピカにも少し冷静になってもらった方が
良いかも知れないと考えて、レオリオは一日だけ間をおく事に
した。
その日の内に、友人を拝み倒してバイトの代役を頼み込む。

そして翌日
――― ケンカから二日後、レオリオはスナカへ
向かった。
ずっと考えていた言い訳が、次第に遺言めいた内容へと
変わってゆくのを自覚しながら。


初めて向かう土地の上、足と気の重さも手伝って、スナカに
到着した頃には夕暮れ時になっていた。
道行く人々に尋ねながら、叔父の住居を目指す。
昨今では珍しい美しい山村の夕焼けも、レオリオの目には
入らない。
そうして叔父宅に着いてはみたが、いざとなると何をどう
言えば良いものか。
有無を言わさず投げ飛ばされる覚悟はあるが、胸を張って
顔を合わせられない後ろめたさで逡巡する。
(とりあえず、様子見てみるか…)
レオリオは正面玄関を避け、こっそりと裏庭の方へ回った。



早めの夕食を終え、クラピカは縁側で沈み行く太陽を
見つめている。
叔父の配慮を気遣って、今日も一日 浴衣で過ごした。
どことなく憂いを秘めた表情が、茜色の夕日に映える。
その風情は、まるで夢二の美人画の如く。
「夕涼みですか、お嬢さん」
ふいに、背後から長身の男が現れた。
団扇を手にした着流し姿はなかなか決まっている。
彼はクラピカの隣に腰掛け、並んで夕日を見上げた。
「ノヴ先生、その『お嬢さん』というのはやめて下さい。
……クラピカと呼んで下さい」
困ったような笑顔を浮かべ、クラピカはそう告げる。
「わかりました。では、クラピカさん」
ノヴは微笑し、呼び方を変えた。
「昨日のお話、考えていただけましたか」
「あ……はい」
「嬉しいお返事を期待して良いのですか?」
「はい…でも、ノヴ先生…」
クラピカは困ったように視線を落とす。
「昨日お会いしたばかりなのに、私のような者で、本当に
よろしいのですか?」
「無論です。むしろ貴方だからですよ、クラピカさん。僕は
一目見た時から、この人ならとピンと来たのです」
「そんな…」
夕日の所為か、恥じらいからか、クラピカの頬は赤い。
「恥ずかしいです。私は、あんなに汚れていたのに」
「誰にでもある過ちです。僕は気にしていませんよ」
にっこりと笑うノヴに、クラピカもはにかむような微笑を
向ける。
「でしたら…お受けします。叔父も勧めてくれていますし」
「ありがとう、クラピカさん。では善は急げだ、早速式場に
連絡して、手配を済ませましょう」
感謝の意を示すように、ノヴはクラピカの手を取った。

普段ならここで、『オレのクラピカに触るんじゃねーっ!!』
とばかりに飛び出すレオリオだが、状況を理解できずに
固まっている。
思いがけない展開に、すっかり出歯亀と化し、庭を囲う
垣根に隠れた腹這いの姿勢のままで。

――― 何なんだ、今の会話??
昨日のお話って。嬉しいお返事って。一目見た時からって。
つーか式場って!!
誰だか知らんが、あの野郎クラピカにプロポーズしたのか!?
オレのクラピカに!!
でもってクラピカはOKしたのか!?
オレとの関係を『汚れ』だとか『過ち』だとか思ってるワケか〜!?

考えたくもない不穏な想像が頭の中を駆け巡る。
次の瞬間、レオリオの顔面は地面にめり込んだ。
背中に、明白な重量を掛けられて。

「なんだ。デケェ野ネズミだと思ったら、都会のネズミか」
どことなく嬉しそうな口調で降り注いだのは、まぎれもない
天敵の声。
両手にスイカをかかえた彼の足は、どっしりとレオリオの
背を踏みつけていた。
「………………叔父、さん…………」
土まみれの顔で、レオリオは泣きそうな情けない声を漏らす。
いつもと違う彼の態度に、叔父は怪訝な瞳を向けた。
しかし、縁側で会話しているクラピカとノヴの姿を見て、
何やら得心したようにニンマリと笑う。
「あいつら仲いいな。すっかり意気投合したみたいだし」
わざとらしい言葉と共に、レオリオの横へしゃがみこんで
痛む心をチクチクとつつく。
「……………誰なんスか、あれ」
「俺の後輩のノヴだ。ハンター大学の大学院出身で、現在は
NGL大学の助教授。心理学と精神病理学の博士でもある」
「…………」
並べられたものすごい肩書きに、レオリオは黙り込む。
比べたくはないが、自分とは比較にならない。
「俺の後輩の中じゃ一番の出世頭だ。実家もいいし、品行方正、
見た目もそこそこイケてる。あんな男にならクラピカを任せても
いいような気がしないでもないかも知れんかもな」
「…………」
「少なくとも、バカな真似しでかしてクラピカを怒らせたりは
しねーだろうし」
「…………」
「見てみろ、似合いだと思わねえか?」
共に浴衣で、縁側で談笑する美男美女。それはまるで
初々しい新婚夫婦のように見えなくもない。

「 ・ ・ ・ 冗  談  じゃ  ねえ  !!! 」


叫びと共に、レオリオはガバッと立ち上がった。

「クラピカァァァ
―――――― っ!!」
「……レオリオ!?」
必死の形相で直進走行して来たレオリオに、クラピカは
驚きの目を向ける。
(やっと来てくれたのか……いや、何だ今頃)
内心の嬉しさを隠しつつ、クラピカは表情を引き締めた。
「クラピカ!!」
「は、はいっ!?」
しかし常ならぬ彼の様子に、思わず素直に返答してしまう。
「すみませんでしたっ!!」
途端にレオリオは地面に手をつき、土下座した。
一瞬前までの勢いに気圧されていたギャラリーは、ポカンと
放心する。
「もう二度としねぇ!!お前がイヤなら今後は指一本さわらねぇ!!
お前の言う事なんでも聞く!何でもしてやる!!
――― だから、
他の奴なんかと結婚しないでくれェ!!」
「………え?」
「………は?」
「………あのバカ」
レオリオはノヴに視線を移し、キッと睨み据える。
「あんた手を引いてくれ。オレは絶対立派な医者になって、
もっとずっとすげえ肩書き手に入れてやる!クラピカを幸せに
するのはオレだ、オレが嫁さんにするって決めてるんだー!!」
とんでもない台詞に続いて、ボカンという破裂音が響いた。
頭部に命中したスイカが無残に割れ、レオリオはその場に
昏倒する。
「…どさくさまぎれに、なんて事言いやがる!!」
みずから地雷を踏んでしまった叔父は、肩で息をつきながら
地面にのびた男を睨んだ。





「僕には婚約者がいましてね」
やがて目覚めたレオリオを前に、ノヴは事態を説明する。
「来月の式までに論文を仕上げる為、静かな環境を求めて
ここへお邪魔していたわけです」
「ハァ」
タンコブのできた頭を手拭いで冷やしながら、レオリオは
恐縮した様子で正座していた。
「ただ彼女には友人が少ないので、スピーチを頼める人が
いなくてね。そこでクラピカさんに、形だけでも新婦側の友人
代表として出席してもらえないか頼んだのですよ」
「ハァ……」
「ノヴ先生、ご迷惑をおかけしました」
レオリオの隣で、代わりのようにクラピカが頭を下げる。
怒っているのか恥ずかしいのかよくわからない表情だったが、
ダテに心理学専攻ではなく、本心では喜んでいるのだろうと
ノヴは察した。
「僕はこれで退散しますよ。後は二人で話し合いなさい」
「…はい」
そして、部屋に残るはクラピカとレオリオの二人のみ。

「…………」
「……あのー」
「…………」
「…クラピカ、さん?」
「……バカ者」
拗ねたように視線を逸らしていたクラピカは、ようやく顔を
上げてレオリオを見た。
「恥をかいたぞ。叔父上だけならまだしも、無関係の人間の
前で、あんな事を言うなんて」
「……ごめん。反省してるよ、オレが悪かった」
「…ならば約束を守るか?」
「約束?」
「今後、私に指一本触れないと言っただろう」
琥珀の瞳が悪戯っぽく閃く。
迂闊な発言を思い出し、レオリオは絶句した。
そんな生殺しのような真似、とても不可能だ。かといって今更、
できないなどとは言えない。
「…………わ、わかった。約束する」
涙を呑んで、レオリオは言った。
元を正せば、すべて自分が悪かったのだ。他の男に奪られると
思った時の壮絶な焦燥を思えば、禁欲くらい。
…………いっそ殺せと思わないでもないが。
「ならば良い」
クラピカはフワリと笑い、レオリオの頭に手を伸ばす。
「…痛むか?まったく、叔父上ときたらあんな大きなスイカを
投げつけて…」
「いや……もう平気」
クラピカは更に身を寄せ、レオリオの首に腕を回した。
「お、おい」
「本当にお前はバカだな。…なぜ私が他の男に嫁ぐなどと
考えたのだ?」
「……だってよ」
「私が生涯の夫と決めたのは、お前だけなのだよ」
「クラピカ……」
怒った勢いで飛び出しては来たものの、やはり寂しさは
否めなかった。
ノヴのスーツや眼鏡を見るたびレオリオを思い出してしまい、
早く迎えに来てくれないかと内心、待ち続けていたのだから。

――― きっと、離れては生きてゆけない。
そう痛感させられてしまった。

ぎゅっと抱きつくクラピカに、レオリオは戸惑いながら両手を
泳がせる。
「なあ、ついさっき約束したばかりなんだけど……」
「私が許可すれば、約束違反ではないのだよ」
その言葉に苦笑して、レオリオはクラピカを抱きしめた。
ほんの少しだけ身をずらし、互いに顔を見つめあう。
そして唇が近づいた瞬間。
ガラリと音を立てて襖が開いた。
「!!!!」
仰天し、反射的に体を離した二人の前には、酒瓶を手に、
すっかりできあがった叔父が仁王立ちしていた。
「テメェら、俺ん家の中でイチャつきやがったら追い出すぞ」
酔いの回った赤い顔で鬼のように睨みつけ、不機嫌そうに
踵を返し立ち去ってゆく。
その後ろ姿を見送り、暫し固まっていた二人は互いを見ながら
溜息をついた。
「……今度、もっとマジに頼みに来なくちゃなあ」
どうやらこちらも覚悟は出来たようで、呟くレオリオにクラピカは
笑顔で同意した。



満天の星を仰ぎながら、叔父は縁側で管を巻く。
「オレは認めん、ぜーったいに認めんぞ!」
「飲みすぎですよ、先輩」
宥めるように相伴しているノヴに、更に絡む。
「だいたいなぁ、人様が手塩にかけて育てた娘が一人前に
なった頃を見計らってかっさらうなんざ、トンビに油揚げも
いいとこじゃねぇか。泥棒も同じだ、簡単に許せるもんかよ。
なあノヴ!?」
「僕の場合は、むしろ感謝されましたから」
しれっと答える彼も、所詮よそさまの娘さんを頂戴する側。
奪られる立場の気持ちは、経験しなくては理解できまい。
「………どいつも、こいつも〜〜……!!」
「いつかは通る道ですよ、先輩」


真夏の夜空に虚しい咆哮が響いていた。



END