「ヴァンパイア・ハンター」 〜挑戦〜 |
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夜の森の中に張り詰めた空気は、時の流れが停止している かのようだった。 ヴァンパイアの伯爵と対峙したクラピカは、咄嗟に剣を構え 臨戦体勢を取る。 その瞳は、激しい憎悪に燃えていた。 対して伯爵は、いたって冷静な様子で、穏やかな しかし 冷たい微笑を浮かべている。 「─── まったく、手を焼かせてくれるものだ」 やがて嘆息するように彼は言った。 「お前の為に二人も死んだ。これ以上、オレの手足を奪わ ないでもらおうか」 『二人』とは、クラピカが倒したワーウルフと手傷を負わせた ハルピュイアを指しているのだろう。 だがそれを言うなら、彼らに虐殺されたクルタ族はどうなる。 家族を、友人を、血族を、一人残らず奪ったくせに。 クラピカは全身を巡る怒りの炎を自覚しながら心の中で詰問 するが、どのみち納得できる答えが返るはずは無いので、 口には出さなかった。 伯爵は彼女の胸中も知らぬげに、淡々と言葉を続ける。 「そうだな。まだ婚礼の月には満たないが、今からお前を城へ 連れてゆくことにしよう」 「誰が貴様などと!!」 「ふざけんな!!」 伯爵の言葉に、クラピカとレオリオは同時に反論した。 その時、伯爵は初めてレオリオの存在に気付いたようで、 クラピカの背後から睨みつけている彼に瞳を向ける。 しかしチラリと一瞥したただけで、興味無さそうに視線を はずした。 「殺りますか?」 伯爵の背後からホムンクルスの少女が、肩の傷から血の ように水を流しながら、事もなげに問いかける。 「放っておけ」 しかし伯爵は鼻先であしらうが如く言った。 不死に近い彼にとっては、仮に歴戦の戦士が複数いようと 敵ではない。人間の男一人など、眼中にも入らないのだろう。 その態度はレオリオの自尊心を大いに傷つけ、怒りを煽った。 貧乏というだけの理由で人間を軽視する金持ちと同じ口調に 思えたから。 「レオリオ!これは私の戦いだ、お前は下がっていろ!」 伯爵を見据えたまま、クラピカは背後のレオリオに怒鳴った。 「そうはいくかよ!!」 しかしレオリオはクラピカのそばへ駆け寄ると、かばうように 前面に立ち、懐から閃く何かを取り出す。 それは銀製の細い十字架で、認識した瞬間、伯爵の瞳が鋭く 細まる。 「父と子と聖霊の御名において、招かれざる客よ、闇に還れ!!」 レオリオは聖書の文句を唱えながら伯爵に向かって十字架を 掲げた。 十字架は事情を知ったサトツ神父から借り受けた物で、教会 育ちのレオリオは聖書の言葉を一言一句暗記している。 それらはヴァンパイアに対抗できる数少ない武器─── の はずだった。 ところが、伯爵には ひるんだ様子も畏れる様子も見られない。 「……!?」 驚きの表情に変わるレオリオを嘲るように、伯爵は薄く笑う。 「信仰の無い文句や十字架など、痛くも痒くも無いな」 その言葉は雷電のようにレオリオを打ちのめした。 神への不信心は公言していたが、それが最大の武器を無効に するとは考えてもいなかったから。 そして、衝撃を受けたのはクラピカも同様だった。 ヴァンパイアの弱点が太陽光と十字架というのは有名な事実で、 彼らは太陽の出ている間は決して外出しない。 十字架に関しては諸説あるが、苦手なのは確かと思われる。 ゆえにクラピカは愛刀を二刀一対にして十字型の構えを鍛錬 したし、隠し武器である鎖刃も、十字の型に象らせていた。 しかし彼女も信仰心が篤いとは言えず、自覚している以上、 それらは単なる刃物以外の意味を為さない。実質的に、剣技 のみで闘うしかないのだ。 かといって逃げたり降参したりする気は、欠片も無かったが。 「レオリオ、お前は逃げろ!」 ただ彼を巻き込む事だけはイヤで、クラピカはそう言った。 もっともレオリオが素直に従うはずも無く、彼は役に立たない 十字架を捨てると、今度は短剣を取り出した。 伯爵は相変わらず警戒の色は皆無だったが、逃げる気配の 無いレオリオを見て、傍らのホムンクルスに命じた。 「オレの邪魔をするなら、阻止しろ」 (バカにしやがって!) 何の先入観も無く遭遇したのならレオリオにここまでの敵意は 起きなかったかも知れない。 だがクラピカとの因縁は、出会う前から伯爵を許せない存在に してしまっていた。 「聞いているのか?レオリオ、早く退け!」 「うるせえ!!」 彼の身を案じるゆえのクラピカを、なかば怒声で跳ねつける。 レオリオはそのまま、無謀にも伯爵に向かって突進した。 しかし伯爵は影のように揺らめいたと思ったら、空気も動かさず その場から消える。 否、一瞬で移動したのだ。 斬りそこなったレオリオは、はずみでつんのめったが、すぐに 体勢を直して伯爵の方へ向き直る。 さすがというか、ヴァンパイアは早さも身のこなしも、今まで 遭遇した魔物の比ではなかった。 クラピカはレオリオの無茶な行動に焦りと苛立ちを覚えつつも 自分まで迂闊に突っ込むわけにはゆかず、臨戦体勢のまま 伯爵の隙を伺う。 いかに鍛えようと人間と魔物の差は越えられない。ならば 最小の力で最大のダメージを与えなくてはならず、その為には 油断した時を狙うのが必定。 それはクラピカが魔物と戦って勝つ為に打ち出していた最善の 戦略だった。 伯爵はレオリオの攻撃などまるで問題にしておらず、風を受け 流すかのように剣先をかわしている。 レオリオも多少は心得があるようだが、何しろ相手は最強の 魔物。容易に倒せるはずは無く、そうそう隙も見せはしない。 なのにレオリオが怯えも逃げ出しもしない理由は、ただ一つ。 クラピカを守りたいからだ。 同情や正義感などではない。 もっとずっと深いところで、痛切に願っている。 誰よりも、何よりも大切に思っているのだから。 レオリオは短剣を繰り出しながら、片手を上着の下へ滑らせた。 「!?」 取り出したのは小さなガラスの小瓶。続いて伯爵の顔面に、 その中身─── 透明な液体がぶちまけられる。 熱湯を浴びたような感覚に、伯爵は顔を押さえた。 「少しは効くだろ?なにしろ、この聖水は信仰深い本物の神父に もらった物だからな!」 間を置かず、レオリオは短剣をふりかぶる。 「クラピカはオレの女だ!テメェなんかに渡さねえ!!」 (…レオリオ!?) その叫びは、一瞬クラピカに現実を忘れさせた。 しかし。 レオリオの短剣は、伯爵に触れる直前、弾き飛ばされた。 顔と肩に聖水を浴びた伯爵の眉は不快に顰められている。 それは侮っていた人間に不覚を取った為か、それとも先刻の レオリオの台詞が原因なのか。 どちらにせよ、大抵の魔物は聖水に触れたら大火傷を負うのに わずかに赤いアザだけなのは、さすがにヴァンパイアと 言うべきか。 伯爵は乱れた髪を不愉快そうに直すと、手を一旋した。 「─── うわっ!?」 ただそれだけで、レオリオの身体は数メートル後方へ吹き飛ば されてしまった。 「レオリオッ!!」 背面から大地に叩きつけられた彼は、苦しそうに呻きながら うずくまる。 それを目にした途端、クラピカは、ほとんど反射的に伯爵に 向かって斬りかかっていた。 本当は、姿を見た時から激しい殺意の衝動に襲われていたのを 必死で堪えていたのだ。 同胞を殺された恨みを、愛する家族を奪われた憎しみを、 そしてレオリオを傷つけられた怒りを、もはや抑えられない。 戦鬼の形相で向かって来るクラピカを、伯爵はどこか嬉しそうに 待ち受けていた。 |
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