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その日、外出していたレオリオは、遮断機の下りた踏切の中で
立ち往生している車に出くわした。
警報機は列車の接近を告げて点滅しており、車内には幼い子供、
母親は運転席でパニックになっている。
これを放置できるレオリオではなく、彼はすぐさま遮断機を越え、
『試しの門』で鍛えた腕力をもって車を押し出した。
が、その直後、ブレーキの間に合わなかった貨物列車に
はねられてしまったのである。
レオリオは距離にして約20メートル、高さ約5メートルほど宙を
飛び、地面に叩き付けられた。
車の母子にも列車の乗員にも怪我は無かったが、レオリオは
頭部を強打して意識不明となり、昏睡状態に陥ってしまったのだ。
その他の外傷は手と顔にかすり傷だけだったあたり、さすがは
ハンターなのであるが。
事故の後、身寄りの無いレオリオを収容した病院はハンター協会へ
問い合わせ、たまたまそれを受けた人物は287期の試験管だった為、
彼の配慮でゴンへ連絡が行き、キルアと行動を共にしていたゴンは
即座にレオリオの元へ駆けつけた。
ゴンはクラピカにも伝達を試みたが、仕事で奔走していたクラピカが
ようやくつかまり、レオリオのもとへ到着したのは、ゴンたちより
三日も後の事である。
既に事故から1週間が経過しており、このまま意識が戻らなければ、
死は免れられない。
担当医から話を聞いたゴンたちは、レオリオの意識を戻そうと
懸命に努力した。
涙ながらに名を呼ぶゴン。
生意気な言葉で兆発し、奮起を試みるキルア。
愛用の香水を嗅がせたり、好きなアーティストの音楽を聴かせたり。
しかしすべては徒労に終わる。
それでもクラピカが現れた時、ゴンは最後の望みを託した。
死に瀕したレオリオの姿を見て当初は動揺したクラピカだが、
怪我人相手だから、なるべく穏やかにというゴンの言葉に従い、
柔らかな口調で呼びかけを試みる。
「…レオリオ?」
レオリオは反応しない。
「レオリオ……起きるのだよ」
昼寝でもしているような穏やかな寝顔なのに、彼は目覚めない。
「レオリオ」
もう一度、名を呼ぶ。
「レオリオ……起きろ」
返事は無い。
「起きてくれ、レオリオ」
何度声をかけても、レオリオは眠り続けたままだった。
こういう症例の場合、反応が無くても聞こえている可能性は多分に
ある。
クラピカは諦めず、レオリオを覚醒させる為の呼びかけを続けた。
「……レオリオ…」
何度も何度も名前を呼んだ。
悲しさと辛さで泣きそうになりながらも、呼び続けた。
レオリオに目覚めて欲しかったから。
――― 生きていて欲しいから。
「レオリオ」
クラピカは一日中 彼に付き添い、言葉をかけた。
日数が経つと共にレオリオの顔色は悪くなり、衰えも目に見えてくる。
このまま冷たくなってしまうのではという不安に襲われ、とても
怖かった。
「レオリオ……好きなのだよ」
深夜、二人きりの病室でクラピカは告げた。
「私はずっと、ずっと前から、お前を好きなのだよ……」
眠っているレオリオ相手になら、何でも言える。
いや、言いたかったのだ。
隠し立てせず、正直な気持ちを。
「だから……」
死なないでくれ、と続けようとしたが、『死』という単語を口にしたく
なくて言葉が途切れる。
それでも―――
「お前の為なら、何でもする……」
クラピカは過去の自分を思い返し、深く悔いた。
どうして、もっと彼のそばにいなかったのだろう。
どうして、もっと優しく接しなかったのだろう。
どうして、もっと素直に――― ……
考えたらきりがない。
レオリオが目を覚ましたら、もっと彼の望みを叶えてあげよう。
切迫した不安に抗するように、クラピカはそう決意した。
「愛している、レオリオ……」
それは心の中に常に存在していた言葉。
こんな事でもなければ自発的に言う機会など無かったかも知れない。
クラピカはそっと顔を寄せ、レオリオに口接ける。
おとぎ話の眠り姫は、こうして目覚めた。
だけどレオリオは目を開けない。
「レオリオ……お願いだから…」
目を覚まして欲しい。
「レオリオ……」
生き続けていてほしい。
「……レオリオ…」
どうか、逝ってしまわないでくれ――― ……
彼らの祈りも届かないのか、意識の戻らぬレオリオに、医者は
最後の通告をして来た。
いわく、これ以上の昏睡は すなわち死であると。
「あきらめないよ」とゴンは言った。
「どうすりゃいいんだ」とキルアは問うた。
クラピカはしばし押し黙る。
しかし、ふいに立ち上がると、横たわるレオリオの襟首を引っ掴んだ。
そして おもむろに息を吸い、いきなり怒鳴りつけたのである。
「――― レオリオっ!いい加減に起きるのだよ!!」
病人の耳元で大声を発しただけでも非常識なのに、クラピカは
『呼びかけ』とはほど遠い、怒声に近い口調でわめきちらす。
その有様にゴンとキルアは仰天し、唖然とした。
「起きろと言っている!!レオリオ!レオリオ!!」
「な…何してんの、クラピカ!!」
我に返ったゴンが慌てて制する。キルアもそれに加勢するが、
クラピカを止めるには至らない。
「レオリオ!!――― 」
「よせってクラピカ、そんなんじゃ逆効果になっちまうぜ!?」
「…起きろというのに!!レオリオ!起きないか!!」
「ク、クラピカってば。落ち着いてよ、そんな大声でわめいちゃ
ダメだよっ」
もはやクラピカの不安は限界で、なかば錯乱に近かったのかも
知れない。
ほとんど自暴自棄の、破れかぶれだった。
「起きないこいつが悪いのだ!これ以上寝ているならば、鎖の
一〜二本打ち込んでやる!!」
「そんなことしたらクラピカも死んじゃうじゃないーっ」
「止めるなゴン!!」
――― もう死んでもかまわない。レオリオだってこの世にいなく
なるのだから。
クラピカのそんな思考を知ってか知らずか、ゴンは必死で止める。
「だめ〜っ!」
だが次の瞬間―――
「……う… …せぇな… ……」
ごくかすかな、聞き取りにくい声だっけれど、聞き間違えるはずが
ない。
耳に染み込むような深い低音。かすかに動く瞼と唇。
胸を震わす期待の中、レオリオは――― ゆっくりと目を開けた。
「…………レオリオ……!!」
心の底から嬉しさが湧き出してくる。一言でも言葉を発したら、
そのまま泣き出してしまうだろう事をクラピカは察していた。
「……クラ、ピカ…?」
それでも彼の第一声が自分の名前だった事が嬉しくて仕方ない。
クラピカを残し、ゴンとキルアは病室を出て行く。
きっと気を使ってくれたのだろう。張っていた虚勢が、また一枚
はがれ落ちた。
「……な…」
不明瞭な発音で、レオリオが呼びかけて来る。
「なにが、…った?」
「…………」
クラピカは、こわばった顔のまま下を向く。彼の前で子供のように
泣き崩れるなどという恥ずかしい真似をしたくなかった。
「クラ…ピカ?」
しかし名を呼ばれると、胸の奥に堰き止めていた何かが一気に
あふれてしまう。
「……レ、オ…――― …」
名を呼び返そうとして、途中で途切れる。予想通り、声と共に涙が
あふれ出た。
もはや感情を抑えられず、クラピカはレオリオの胸元に突っ伏す。
「クラ……」
「……こ、の………バカモノ…っ!!」
ポロポロと涙をこぼしながら、クラピカは怒鳴った。
「え…?」
「本当に本物のバカモノだっ!あんなに……ずっと眠りっぱなしで
いる奴がいるか……!!」
「……?…」
「バカが……!!」
バカな事を言っているのは自分の方だと、クラピカはわかっていた。
レオリオを責めるのは筋違いだし、もしかすると、彼は事故の記憶も
定かではないかも知れない。
勝手な事を勝手にわめいて、みっともないことをしているのは充分
承知している。
それでも、体現せずにはいられなかったのだ。
大切な人の生還という、至上の喜びを―――
「でもさぁ、どう思う?」
「何が?キルア」
揶揄まじりの呆れたような口調で問い掛けるキルアに、ゴンが聞き
返す。
「だってよ。昏睡から目覚めるキッカケって普通、心にひっかかってる
最大の気がかりとか、一番慣れ親しんでる何かにヒットするからだろ?」
「うん、そうなんだろうね」
「レオリオの奴、クラピカが優しーく呼んだ時には全然無反応だったん
だぜ?」
「……うん」
「なのに、ブチ切れたクラピカの怒鳴り声には反応して目を覚ました。
コレってどういう意味かなーって」
「…………」
「――― な?」
「…あ…アハハ…」
キルアの言わんとする意味を察すると、ゴンは乾いた笑いを
浮かべるしかなかった。
レオリオは2〜3日後に退院が決まっている。
昏睡状態で何日も寝たきりだった為に少し筋力が落ちた以外、
後遺症は何も無い。
彼は久しぶりに太陽光に当たるべく、クラピカの押す車椅子で
病院の庭へ出ていた。
「――― 眠ってる間な、夢を見てたんだぜ」
顔を見ながら意味ありげに言うその表情は、何かを含んでいる証。
クラピカはすぐに察知したが、そういう言い方をされては、訊かぬ
わけにもゆかない。
「…どんな夢だ」
「お前が出て来た。オレの事を呼んでたよ」
「それは夢ではなく現実なのだよ」
「だと良いんだけどな」
宝物を隠した子供のようにクスクスと思い出し笑いをするレオリオに
クラピカは、ヘタな追求はヤブヘビだと悟る。
彼にすがりついて泣くという姿を晒した上、更に恥をかくのは御免だ。
これ以上、彼に弱みを見せたくないという意地はまだ健在なのである。
レオリオもあえて夢の内容を話しはしなかった。
言えば怒られるとわかっていたからかも知れない。
庭の一部は海を展望できる高台になっており、子供の頃に遊んだ
丘を彷彿とさせる。
レオリオは新鮮な空気を大きく吸い込み、深呼吸をした。
「少し歩いてみるか」
「大丈夫なのか?」
「平気さ。それにリハビリしておかなきゃ、回復が遅れるからな」
レオリオは慎重に体重を移動し、ゆっくりと立ち上がる。
専門医にマッサージを受けてはいたが、歩行は久しぶりで、うまく
足に力が入らない。
「……っと!」
「危ない!」
レオリオがよろけた瞬間、クラピカは咄嗟に両手を差し出す。
しかし一回り以上も体格が大きい男のこと、必然 腕だけでは足りず、
全身で彼の身体を支える羽目になる。
「…………」
「セーフ」
安堵の息をつきながら、レオリオは細い背中に腕を回す。
まさに抱きしめられた体勢になったクラピカは、彼の腕の中で
不審のまなざしを向けた。
「貴様……最初からこれが目的だったのでは無いだろうな」
「まさか。偶然だよ偶然」
白々しい台詞だが、嬉しそうな声音は正直だ。
「…さっさと離れろ」
「もう少しだけ、こうしててくれよ」
「…………」
それでも正面きって言われると、クラピカは突き放せない。
彼を永遠に喪うかも知れないという恐怖の余韻が、いまだ鮮明に
残っているからだろうか。
(やっぱ、本物のが良いなぁ……)
クラピカを抱きしめながらレオリオは実感する。
優しくて可愛らしい新妻クラピカより、
セクシーでナイスバディな据え膳クラピカより、
現実の、強気で冷静で居丈高なクラピカが一番愛しい。
夢の中で親友が言ったように、確かに以前好みだったタイプとは
ずいぶん違うと自覚している。
それでも、好きになったものは仕方ない。
「レオリオ、いい加減にしないか」
大きな瞳が上目使いに睨んで来る。この顔を、もう一度見る事が
できて本当に良かった。
自分には、目指している未来がある。
そして大切な人がいる。
――― まだ、親友のもとへ逝くわけにはゆかないのだ。
「生きてるって素晴らしいよな」
「……何なのだ、いきなり」
生還の喜びを噛み締めながら、レオリオは笑う。
「愛してるぜ、クラピカ」
そして、嬉しさのままキスをした。
その後、病室に戻ってきたレオリオの頬には赤い手形が
くっきりと付いており、ゴンの疑問とキルアの失笑をかったのである。
――― 『レオリオが目を覚ましたら、もっと望みを叶えてあげよう』
などという殊勝な決意はどこへやら。
相も変らぬ二人は、相も変らぬ幸せに満たされていた。
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