「夢現−ユメウツツ−」
          〜Dream Version〜


レオリオは安らかな眠りの中にいた。

暑くも寒くもない、季節の中間の時期。広くてスプリングの
効いたベッドの上、洗いたてのシーツにくるまれた快適な
まどろみは至上の悦楽。
美味い食事で腹も一杯、就寝前の美酒も堪能したし、後は
可愛い女が隣にいれば文句は無い。

「…レオリオ?」

(ばれたか)
不埒な考えを咎めるような呼びかけに、レオリオは舌を出す。
目を開けなくても、相手の存在は見えるように伝わった。
ここは故郷の街、郊外に建てた新築のマイホーム。
寝室の窓から射し込む朝日に照らされ、金の髪をキラキラと
輝かせてクラピカが立っている。

「レオリオ……起きるのだよ」

静かな声だった。
こんな優しい口調のクラピカに呼ばれるのは初めてのような
気がする。
もう一度聞きたくて、レオリオはあえて寝ているふりをした。

「レオリオ」

懇願するような声音。
――― こいつ、こんな可愛いしゃべり方をしたっけ?)
レオリオの胸に、ふと疑問が沸き起こった。

「起きてくれ、レオリオ」

薄目を開けてうかがうと、わずかな視界に映ったクラピカは、
眩い光に包まれ、淡いピンクの服と白いエプロンをつけている。
その意外な姿に、レオリオは目を見張った。
「朝だぞ、レオリオ。早く起きないと、病院に遅刻してしまうでは
ないか」
「病院…?」
「開業したばかりなのだから、評判を損ねるような事をしては
ダメなのだよ」
「開業?」
「何をボンヤリしている?本当に困った夫だな」
「夫……」
「早く起きてダイニングに来てくれ。朝食が冷めてしまうだろう。
お前の為に早起きして作ったのだよ」
はにかむような微笑みを浮かべてクラピカが言う。
それを見てレオリオは気がついた。
――― これは夢なのだと。
夢の中で夢を自覚する。不思議な事だが、レオリオにはわかる。
こんな都合の良い現実はありえない。
自分はまだ医者になっていないし、クラピカと一緒に住んでも
いない。
何より、クラピカはこんなに素直に可愛く振舞ってなどくれない。
これは理想的な未来をそのまま映した、幸せな夢なのだ。
少しばかりの落胆と、自分の正直さに苦笑しながら、レオリオは
再び目を閉じる。

「レオリオ……起きろ」

新妻クラピカの呼び声を遠く聞きながら、レオリオはもう一度
眠りに落ちていった。






「……レオリオ……」

名を呼ばれ、深い眠りの淵からレオリオの意識は浮上してゆく。
聞き覚えのある澄んだ声は、まぎれもなくクラピカのもの。

「レオリオ…」

(…クラピカ?)
寝入りばなを起こされたような気分で、レオリオの重い瞼は
なかなか上がらない。
それでも、ベッドのそばでクラピカが自分を見ている事は
わかった。

「レオリオ……好きなのだよ」

(……え?)

「私はずっと、ずっと前から、お前を好きなのだよ……」

(ク……クラピカ?)

「だから……」

気付くとレオリオは白くて広い部屋の中、天蓋つきの大きな
ベッドに横たわっている。
その脇から、クラピカが不思議な目つきでにじり寄って来た。

「お前の為なら、何でもする……」

そう言って、着ていた服をするすると脱ぎ始める。
レオリオは仰天した。
「ちょ…ちょっと待て、お前……」
あからさまにしなを作り、甘えた口調とまなざしで誘うクラピカは
プロの娼婦も顔負けの妖しさだった。
こちら方面には慣れているレオリオも、さすがに理性が揺らぐ。
だがそれ以前に、『あの』クラピカが?という疑問がグルグルと
脳裏を巡り続けた。

「愛している、レオリオ……」

「お、おいっ…」
クラピカは猫のように擦り寄り、唇を合わせた。
その生々しい感触は妙にリアルで、心臓が激しく鳴り続ける。

「レオリオ……お願いだから…」

レオリオは動揺のあまり言葉も出ない。それでも男のサガなのか
匂うような白い肢体に目が釘付けになる。
――― そのおかげで、我に帰った。
(……ああ、また夢なんだな)
なぜなら目の前にいるクラピカは、レオリオ好みの、実に豊かな
胸と腰をしていたから。
まるで首から下だけ別人のようなナイスバディ。正に理想的と
いうか、願望の現れというか。
(そんなに望んじゃいねぇつもりだったんだけどなぁ……)
こんな姿を夢に見てしまったなどと現実のクラピカが知ったら、
雷が落ちるくらいでは済むまい。
想像して、レオリオは苦笑と共に身震いする。
ある意味では大変惜しいが、自らの妄想の産物に手を出すなどと
いう哀れな真似はしたくなかった。
レオリオは、やれやれと溜息をつき、おいしそうな据え膳を無視して
再び毛布の中にもぐり込む。

「レオリオ…」

寂しそうな声が名前を呼ぶ。
(ちょっともったいない気もするけど、本物じゃねーもんなぁ…)

「……レオリオ……」

未練を引く心を抑え、レオリオは意識的に聴覚を閉ざした。





緑の香りを含んだ空気が顔に触れる。
気がついた時、レオリオは故郷の街の郊外にいた。
それは忘れた事も無い景色。子供の頃から何度となく遊び回った、
海の見える丘。
「レオリオ」
名前を呼ばれて振り返るが、今度はクラピカの声ではなかった。
「お前は……」
「よぅ、レオリオ」
レオリオの前に立っていたのは、今は亡き親友。それも亡くなるより
ずっと以前の、子供の姿をしている。
「なんで、お前…」
「お前こそ」
言われてレオリオも気がついた。彼自身、同年代の子供の姿で
ある事に。
「…なーんだ。また夢なのか」
「そうだぜ、レオリオ」
「夢でもいいや。お前に会えて嬉しいよ」
「ああ、オレもだ」
二人は顔を見合わせて笑い、昔のように丘を駆け上がると、緑の
草の上に寝転がった。
「懐かしいなぁ」
「あの頃、毎日楽しかったよな」
「ああ。ずっとこうしてたいよなぁ…」
「ずっと?」
「ああ、ずっとここで…お前と一緒にバカやって、笑ってさ…」
「それは本心じゃないだろう。レオリオ」
――― え?」
ふいに低くなった声に思わず振り返ると、そこには先刻までの
少年の姿ではなく、最期の歳の年齢の姿をした親友が立っていた。
彼は静かな瞳でレオリオを見下ろしている。
「お前はオレと遊んでるより、やりたい事があるだろう」
「何言ってるんだ?」
そう発した声のトーンで、レオリオ自身も本来の年齢と姿に戻って
いる事に気づいた。
「それに、オレよりもっと会いたい人がいるだろう」
「…何だって?」
「ほら、向こうもお前に会いたがって呼んでるぜ」
「え?
――― ……」
レオリオは立ち上がり、耳をすませる。

 
―――… … … …―――

かすかな声が聞こえた気がしたが、それが誰で、何を言っているのか
まではわからない。
「誰だ…?」
「お前の、よく知ってる相手だよ」
親友はクスクスと笑い、言葉を続ける。
「それにしても、ずいぶん好みが変わったもんだな。意外だぜ」
「は?」
次の瞬間、大地を揺るがすような衝撃を感じてレオリオはよろめいた。
「なっ、何だあ!?」
そして振動に加え、雷鳴のような怒声が響き渡る。

――― レオリオっ!いい加減に起きるのだよ!!』

「……クラピカ!?」
聞いた途端、レオリオは反射的に名を呼んでいた。
(なんであいつが
――― ……)
『起きろと言っている!!レオリオ!レオリオ!!』
壮絶な怒鳴り声はいまだ続いており、思考する暇も与えてくれない。
困惑したレオリオは正面に視線を移した。
親友は意味ありげに微笑みながら、静かに手を差し出す。
そして、トンとレオリオを突いた。
「……えっ!?」
掌で軽く押されただけだというのに、レオリオの身体は大きく
跳ね飛ばされてしまう。
そのまま宙に浮くや、ものすごい力で引っ張られ始めた。
(…なんだ!? なんだあ?どうなってるんだ
――― ……!?)
すさまじい勢いで吸引、もしくは落下してゆく感覚。
その激しさに、レオリオの意識は次第に遠ざかってゆく。

『レオリオ!!
―――

ただ自分を呼びつづけるクラピカの声だけが聞こえていた。






「…起きろというのに!!レオリオ!起きないか!!」
「ク、クラピカってば。落ち着いてよ、そんな大声でわめいちゃ
ダメだよっ」
病院の一室で、寝台のレオリオを叱責するが如く怒鳴りつけて
いるクラピカの姿があった。
その傍らではゴンとキルアが必死に制止を試みているが、本人は
聞く耳など無いらしい。
「起きないこいつが悪いのだ!これ以上寝ているならば、鎖の
一〜二本打ち込んでやる!!」
「そんなことしたらクラピカも死んじゃうじゃないーっ」
「止めるなゴン!!」
「だめ〜っ!」
「……う… …せぇな… ……」
――― !?」
一瞬、それまでの騒ぎが嘘のような静寂が室内を包む。
拳を振り上げたクラピカ、それを左右からおしとどめているゴンと
キルアは、三者三様のままで固まった。
「…………」
「…………」
「……今のって…」
三名は恐る恐る、レオリオの顔を覗き込む。
呼吸の音さえ立てぬよう、息をつめて視線を注いだ。
そして皆の見ている前で、レオリオは静かに瞼を上げた。

「…………レオリオ……!!」

レオリオは何度か瞬き、そして、視界に映る顔を認識する。
(……また、夢なのか……?)
だけど今度のクラピカは、愛らしい笑顔でもなく、妖艶な微笑でも
なく、怒ったような表情だった。しかも緋の眼というおまけつき。
それに、ゴンやキルアまでいる。一体どういう夢なのだろう?
「……よかった!レオリオ、やっと目を覚ました!!」
今にも泣き出しそうな、だけど満面の笑顔でゴンが抱きついて
くる。
「人騒がせなオッサンだよな。マジでダメかと思ったぜ」
迷惑そうな口ぶりながら、キルアも嬉しそうな表情を隠せない。
レオリオは状況がよく把握できず、説明を求めるようにクラピカを
見るが、当人は先刻までわめき散らしていたというのに、今は
黙りこくっている。
しかし睨みつけている緋色の瞳は、潤んでいるような気がした。
「……クラ、ピカ…?」
呼びかけようとした声は、なぜか舌がうまく回らず、かすれた
発音になっている。これにはレオリオも驚いた。
「無理しちゃダメだよレオリオ。何日も眠り続けてたんだから」
「……え?」
意味が理解できない。しかし問いかけようとしたレオリオよりも
早く、キルアがゴンの腕を引く。
「レオリオ、今、医者呼んで来っから待ってろよ。行こうぜゴン」
「え?それならナースコー……」
キルアは無粋な単語を言いかけたゴンの口を押さえ、引きずる
ように退室して行った。
残されたのは、レオリオとクラピカの二人きり。
「……な…」
言葉が明瞭に出て来ず、レオリオはさすがに不審に思い始める。
「なにが、…った?」
「…………」
クラピカはうつむいたまま答えない。
先ほどの怒鳴りっぷりといい、何か怒っているようだが、その
原因が思い当たらず、レオリオは困惑する。
「クラ…ピカ?」
「……レ、オ…
――― …」
クラピカの口から、ようやく言葉が出た。
と同時に、滂沱の涙があふれ出す。
それを目にしたレオリオは仰天し、不確かだった意識が一気に
覚醒した。
更にはクラピカが胸元に突っ伏してきて、更に驚く。
「クラ……」
「……こ、の………バカモノ…っ!!」
「え…?」
「本当に本物のバカモノだっ!あんなに……ずっと眠りっぱなしで
いる奴がいるか……!!」
「……?…」
「バカが……!!」
「…………」

理由はよくわからないが、レオリオは、自分が昏睡を続けていた
らしい事を察した。
クラピカはそれを知り、心配して来てくれたのだろう。そして今、
覚醒を泣いて喜んでくれている。
夢ではよく会っていたが、現実で顔を見るのは本当に久しぶり
だった事を思い出す。
――― 目が覚めて、良かったなぁ……)
レオリオは重い腕を動かし、胸元に泣き伏しているクラピカの髪を
優しく撫ぜた。