「四月の愚者」



「別れよう」

クラピカの誕生日も近い春の日、デートの途中に立ち寄った喫茶店で、
レオリオは突然そう切り出した。
客の喧騒とポップなBCMが流れる中、二人の席だけが凍っている。
「実は他に好きな女ができて、そいつが妊娠しちまったから、責任を
取ろうと思うんだ」
うつむきがちに言いながら、レオリオはこっそりと上目使いでクラピカを
見た。
彼女はティーカップを手に持ったまま微動だにせず、固まっている。
当然といえば当然だが。
しかしそれ以外は無反応で、むしろ拍子抜けしてしまう。
レオリオはチラリと顔を上げた。
─── その瞬間。

ドカバキガシャーン!

レオリオの顔面に、中身が入ったティーカップとクラピカ渾身の一撃
(ご丁寧にグーだった)がクリーンヒットした。
勢いあまって椅子ごとひっくり返ったレオリオを、他の客や店員たちが
驚きのまなざしで注視する。
「ク、クラピ……」
彼が起き上がるよりも早くクラピカは席を立ち、一言も無いまま店を
飛び出してしまった。
よほど動揺していたのか、バッグも置きっぱなしで。
(クラピカの奴、本気にしやがった…)
呆然とした表情でレオリオは立ち上がる。
(あんなの嘘に決まってんじゃねーかよ。今日は、エイプリルフール
なんだぜ)
本日 四月一日は、世間では嘘をついても良い日、嘘をつく日と
認識されている。
国によっては、あからさまにナンセンスなジョークを大々的に報道
するところさえあるのだ。
そこでレオリオも、いつも冷静な可愛い恋人をからかってやろうと
企んだのだが。
─── まさかあれほどとは、予想以上の反応だ。
ふと気づくと、困惑するレオリオを冷たい視線が取り巻いている。
はたから見れば一目瞭然の痴話ゲンカだが、殴り倒され、紅茶を
ひっかけられた哀れな姿で残された方が分が悪い。
レオリオはそそくさと支払いを済ませ、逃げるように喫茶店を出た。


(あいつ、どこ行っちまったんだ?)
急いで後を追おうとしたが、彼女の姿はもはやどこにも見えない。
バッグを忘れて行ったから無一文のはず、電車にもバスにも乗れ
ないだろうに、どこへ消えてしまったのか。
レオリオは今更ながら、バカな事をしたと後悔した。
せっかくの楽しいデートが一転、ヘタをすれば失恋記念日である。
何としてもクラピカをつかまえて、嘘だったと謝らなくては。


あてもなく人ごみを探すこと数十分。
無意識に覚えのある所へ向かったのか、レオリオは駅に来ていた。
(切符買えねーんだから、ここにいるわけねぇよなぁ…)
呟きながら、それでも構内を見まわしてしまう。
すると、手前の駐輪場で見覚えのあるヒゲヅラの男が目についた。
それは同じ大学の国文科に通うバショウ。彼は自慢のオートバイに
跨ったままタバコを吸っている。
レオリオが気付くと同時に、向こうも彼を認識した。
「よぉ、レオリオじゃねーか」
「バショウ、ちょうどよかった。なぁ、クラピカ見なかったか?」
レオリオの慌てた様子に、バショウはピンときたらしい。
「さあ、見てねーけど。何やったんだ?お前」
「な、何でもねーよ」
咄嗟にごまかすレオリオだが、バショウはニヤニヤ笑いを向けながら
一句つぶやいた。
「隠しても 顔に証拠が 残ってる」
「!!(汗)」
その指摘に、レオリオは思わず頬に残っているとおぼしき手形を
隠す。
そして礼を言うのもそこそこに、脱兎の如く駅舎を立ち去った。


レオリオは困惑したまま、トボトボと道を歩く。
手に持ったクラピカのバッグを見ると溜息が出た。
バッグの中には財布と共に携帯電話が入っている。これでは電話を
かけて居場所を問いただすこともできない。
一体、彼女はどこへ行ってしまったのだろう。
もしかして、着払いでタクシーを使って帰宅したのだろうか。
かすかな希望にすがるように、レオリオはクラピカのマンションを
目指した。



相変わらず清楚で瀟洒なレディースマンションのエントランスから、
エレベーターを上がって見慣れた廊下を進み、クラピカの部屋の
インターフォンを押す。
「…クラピカー?」
恐る恐る声をかけるが、返答は無い。
「クラピカー。いないのかー?」
ドアの向こうはひたすら沈黙しており、人の気配を感じない。
クラピカの電話は携帯のみで室内には設置していないから、
確かめようもなかった。
やたらにドアを叩くわけにもゆかず、レオリオは途方に暮れる。
(…なんで、あんなウソ言っちまったんだろう…)

本当に軽い気持ちだったのに。
ちょっと驚かせてやろうと思っただけなのに。
今日は嬉しい楽しいデートだったのに。
─── エイプリルフールなのに。

それでも内容を選ぶべきだったかも知れないと、レオリオは自分の
愚かさに頭をかかえ、廊下に座り込む。
「どこ行っちまったんだ、クラピカ…」
(どこかないか、クラピカの行きそうな場所……どこか…誰か…)
焦った頭で必死に考え、思い当たったのはクラピカの友人数名。
及び、彼にとって天敵とも言うべきクラピカの叔父。
前者はともかく、後者が事態を知ったら、今度こそ殺されそうな
気がした。
クラピカの友人にしても、名前は知っているが、住所や携帯の
ナンバーは知らないのだ。
(!)
レオリオはハッと気付く。
今、自分が手にしているクラピカのバッグの中には彼女の携帯が
入っている。それには当然、友人のナンバーがメモリーされている
はず。
親しき仲とはいえ、彼女の携帯を覗き見るのは抵抗があるが、
この際 背に腹は変えられない。
レオリオは心の中でクラピカに謝りながらメモリーを開いた。
短縮の一番最初にレオリオの名前があり、目にした途端、罪悪感と
愛しさで胸が痛くなる。
拝むような気持ちでレオリオは、短縮の二番目に表示されている
センリツにかけた。

『はい?』
軽い電子音の後、優しい声が応答する。
「あー、えっと、センリツか?オレ、レオリオだけど」
『あら、何かご用?』
少し驚いたような口調で、それでも穏やかにセンリツは問う。
「その…、クラピカ、そっちに行ってないかな」
『クラピカが?いいえ、来てないけど。何かあったの?』
「いや、別にたいした事じゃねぇんだ。…あのさ、もしクラピカから連絡
あったら伝えてくれよ。オレが、さっきのは冗談だって言ってたって」
『ええ、わかったわ。…貴方たち、ケンカでもしたの?』
「い、いや、そんなんじゃねえよ」
図星をさされて思わずどもる。ごまかしてはみたが、勘の鋭い彼女
にはバレバレだろうとレオリオにもわかっていた。
『ならいいけど。お手柔らかにね、エイプリルフールなんだし』
まるで聖母(と言うと年齢的に失礼だが)に たしなめられる悪童の
気分でレオリオは通話を切る。
続いてポンズ、ヴェーゼ、メンチ……と、メモリーに記録されていて
レオリオの知っている名前に、片端から電話した。
しかし返って来る返答はすべて同じ。
『今日は会ってないけど、どうかしたの?』
訊かれるたびにレオリオの罪悪感はつのった。
怒らせたというより、嫌われたかも知れないという不安が強く胸を
占める。
そしてクラピカの行方はわからない。
─── 後、残る心当たりと言えば。
(まさか本当に叔父さんちに……)
レオリオの全身を冷や汗がダラダラと流れ落ちる。
叔父とレオリオとの対立は、クラピカの意志を尊重している為に
自分が優位だったが、現状では果てしなく不利だ。
しかし悪いのは自分だから、絞め殺されても文句は言えない。
さんざん迷い、ためらい、ビビったけれど、それでもレオリオは
最終的に、絞首台へ登る気持ちで 短縮に入っていた『叔父』の
ボタンを押した。
呼び出し音が死刑執行のカウントダウンに聞こえる。
ガチャ。
通話切り替えの音は、まるで銃声。
ところが。
『ただいま電波の通じない地域にいるか、電源を切っています…』
流れた録音音声に、レオリオは一気に脱力する。
とりあえず生命の危機は回避されたが、良かったのか悪かったのか。
これでクラピカの行き先はまったくわからなくなってしまったのだ。
手掛りゼロ。
後悔だけをずっしり背負ってへたり込む。
─── やはりこの場で帰りを待つか。
そう思ったけれど、気付けば廊下を行き交う住人の女性達が不審な
目を向けている。
これ以上 居座ってはクラピカに迷惑がかかると判断し、レオリオは
やむなくマンションを後にした。

それでも、せめて建物前の路上で待つことにする。




やがて夕暮れ。
春とはいえ陽が落ちると気温は下がり、辺りも薄暗くなってゆく。
レオリオはジャケットの襟を立てながら、いつまでも灯りの点かない
クラピカの部屋の窓を見上げていた。

───
その時。

 〜♪♪♪♪♪〜♪ 〜♪♪♪〜 ♪♪♪♪♪♪♪〜 

突然 自分の携帯の着メロが流れ、レオリオは急いで受信する。
もしかしたら、誰かからのクラピカ情報かも知れないと期待して。
「もしもしっ!?」
しかし聞こえた声は、予想外の相手だった。
─── レオリオ?』
「!!!!!!」
心臓が破裂するかと思った。
名前を呼んだのは、まぎれもなくクラピカの声だったから。
「ク、ク、クラ……」
『お前、今どこにいるのだ?』
動揺で舌がもつれるレオリオとは対照的に、クラピカは流暢に
そして不思議そうに問いかける。
「…ど、どこって、お前のマンションの前だよっ!そっちこそ今まで…
…今、どこにいるんだっ!?」
『…お前の部屋だが』
「!?!?!?」
一瞬 真っ白になったレオリオだが、呆けたりコケたりしている場合
ではなく、マッハの勢いで自宅アパートへ向かった。



「クラピカ!!」
ようやく到着した部屋では、明るい電灯の光と愛しい恋人が出迎える。
「お帰…………うわ!」
クラピカの顔を見るや、レオリオは土足のまま駆け上がり、彼女を
抱きしめた。
その存在を全身で確認するように。
「レ、レオリオ……」
痛いほど力を込められて、クラピカは困惑声で訴えるが レオリオは
手を離さない。
まるで何ヶ月も何年も会っていなかったような気がする。
もう二度と会えないのではという大げさな不安が、再会の歓喜を何倍
にも増大させた。
ふいにレオリオはクラピカから離れ、ガバッと床に突っ伏す。
「ごめん!サ店で言ったのはエイプリルフールのウソなんだ、オレが
悪かった!!」
畳に頭をすりつけて土下座する彼に、クラピカは驚いて立ち尽くした。
「バカなこと言ったけど、オレ絶対に浮気なんてしてねーから!他に
女なんかいねぇ、お前ひとすじだからな!!」
玄関ドアも開けっぱなしで、表通りや近隣住民に聞こえるのでは
ないかと思うほど大きな声でレオリオは謝罪する。
「オレにはお前だけなんだ。天地神明に誓って、お前だけを愛してる!
一生、死ぬまでお前だけだ!! だからオレを捨てないでくれ
─── !!」
聞いている方が恥ずかしくなるようなセリフを、レオリオは真剣な声で
叫び続けた。
その様子を、しばし唖然と見つめていたクラピカは、やがてボソリと
返答する。
「……ああ、その……知っていたのだよ」
「!?」
その言葉に、レオリオは驚いて顔を上げた。
クラピカはレオリオと目線を合わせるように、彼の正面へ座り込む。
「…知ってた、って…?…お前だけを愛してる事?…それとも、サ店で
言ったのがウソだって事か…?」
「両方だ」
「は……」
開いた口がふさがらないレオリオに、クラピカは苦笑しながら説明を
続けた。
「私は偽証はキライだが、エイプリルフールの習慣ぐらい知っている。
だから喫茶店で言われた時、乗ってやろうと思って調子を合わせたの
だが……」
……クラピカって、役者になれるかも知れない。
あの反応が芝居だったというのなら、レオリオでなくともそう思うだろう。
「あれからすぐ喫茶店に戻ったけど、お前はもういなかった。しばらく
周囲を探したが見つからないし、私のバッグを持って行ってしまって
いたから身動きが取れなくて、困っていたら、ちょうどバショウが通り
かかって……」
「何っ!?」
レオリオは思わず聞き返す。
「…バショウだと?」
「ああ。急ぎの用ではないというので、駅まで後ろに乗せてもらった」
(……あの大ウソツキ野郎……)
心の中で呟いてからレオリオは、今日が嘘つきの日である事を
思い出し、ガックリとうなだれる。
「駅の近くにはセンリツのマンションがあって、訪ねたらちょうど
部屋にいたから、事情を話して電車賃を借りて、うちよりここの方が
近いから、それで……」
「センリツぅっ!?」

───
『お手柔らかにね』───

レオリオの頭の中で、菩薩のような声が右から左へ流れていった。
(オレ、人間不信になるかも……)
「…どうしたのだ?」
彼の苦悩を知らないクラピカは、不思議そうに問いかける。
しかし和解と再会の喜びもあって、レオリオはもうどーでもよくなって
しまった。
「何でもねぇよ…。で、お前、それからずっとここにいたのか?」
「ああ。合鍵をもらっていたし、キーホルダーだけは身につけていたし。
お前もすぐに帰って来ると思っていたのだが…なぜ私のマンションへ
行ったのだ?」
「……聞かないでくれ(T▽T)」
確かに、デートの最終目的地はこの部屋だったし、最愛の恋人と
ケンカ別れせずに済んだのだから、すべては丸くおさまったのだろう。
心身の疲労が一度に出た気がして、レオリオはクラピカの膝に顔を
伏せる。
すると彼女の手が宥めるように髪を撫ぜてきた。
この上ない安堵と幸福感に、レオリオは噛み締めるように言う。
「……オレ、もう二度と嘘なんかつかねぇ。あんっっっなに後悔したの、
生まれて初めてだぜ…」
ふとクラピカの手が止まった。
「すげー勢いで殴るから、てっきりマジに受け取られたと思ってさ…
オレ、お前の友達みんなに電話して聞いて探し回ったんだ。終いにゃ、
叔父さんとこにもな」
「叔父上に?」
さすがに驚いてクラピカは目を丸くする。
「ああ、つながらなかったけどさ。それはいいんだけど、嘘だって
わかってたのなら、もう少し早く電話して欲しかったなぁ」
責めるつもりは無かったし、その資格も無いけれど、つい文句が
口をつく。
聞きながら、クラピカはすまなさそうに視線を落とした。
「それはそうだが…… …その、…実は………悔しかったのだ」
「?」
意味がわからず、レオリオは顔を上げてクラピカを見る。
少し頬を染めながら、彼女は拗ねたような表情をしていた。
「……お前が悪いのだよ。…いくら嘘でも、他の女を妊娠させた
などと言うから……」
「へ…」
「だから…ついカッとなって、力が入りすぎてしまったし……すぐには
謝りたくなかったのだよ…」

演技とは思えぬ勢いでレオリオを殴り倒したクラピカ。
あの瞬間、彼女は本気だったのかも知れない。

クラピカは恥ずかしそうに、そして優しくレオリオの頬に手を触れた。
「すまないと思っている。…痛かったか?」
「クラピカ……」
傷つけてしまったのだという悔恨と共に、愛しさが胸いっぱいに
広がり、レオリオはクラピカを抱きしめる。
「ごめんな……オレはお前だけを愛してるから」
同意するようにクラピカも、彼の背に腕を回してしがみついた。
「……二度とあんな嘘をつくな」
「ああ、もう嘘はこりごりだ」
「お前は私の男なのだからな」
「ああ、そうだよ」
「他の女を妊娠させたら許さないのだよ」
「ああ、わかってる」
「私だけにするのだよ」
「ああ、そうしま…… っ?」
何かすごく驚くような事を言われた気がする。
レオリオは思わず、腕の中で赤くなっているクラピカに聞き返した。
「……あのー、何をお前だけにしろって?」
「何度も言わせるな、バカ者」
「はあ、でも、よく聞こえなかったし」
「…………(///)」
クラピカは困ったように口をつぐむが、やがてレオリオの胸倉を
両手で掴んだ。
そして彼を引き寄せると耳元に唇を近づけ、かすかな声で、しかし
一気に言い放つ。
「……妊娠させるのは私だけにするのだよ……」

「…………」
つられるようにレオリオの顔も赤くなる。
二人はしばし赤面し合ったまま互いを見つめていたが、どちらから
ともなく微笑した。
「んじゃ、遠慮なくそうさせていただきます♪」
そう言ってレオリオは立ち上がり、クラピカを抱き上げる。
「あ、ちょっと待てレオリオ」
「待てねえ。今すぐ食っちまう事に決めたv」
腕の中のお姫様に唇を寄せながらレオリオは宣言するが、顔を
押しのけられてしまう。
「こら、お前土足ではないか。それに玄関が開けっぱなしなのだよ」
指摘されてレオリオはようやく気がついた。
それでもクラピカを離そうとはせず、足先だけで器用に靴を脱ぐ。
しかしドアに手を伸ばしかけた時、悪戯っぽい声で言った。
「この際だ、世間にオレたちのラヴラヴぶりを見せつけてやろうぜ?」
「なっ、何を言い出すのだ?バカ者!」
クラピカは驚いて瞳を見開き、自力で閉めようと手を伸ばす。
ところが。
「ウソだよ♪」
レオリオはニンマリと笑って言った。
「オレの大事なお前の、あーんな顔やこーんな声を、他の奴なんかに
見せてたまるかっての。今度は、ひっかかったな?」
「バカ者…(///)」
「今日は四月バカの日なんだぜ♪」
嬉しそうにキスをして、レオリオはドアを閉めた。



───
嘘つきだらけの春の一日。終わり良ければすべて良し。



              END