「トキメキ」    
〜to male〜    


ゼビル島における第四次試験で、クラピカはレオリオと同盟を組んだ。
その意図は、単純にプレート奪取には単独よりも複数の方が好都合
だという理由だったのだが、心のどこかでは、口の割に人の良い彼が
何となく心配だったからでもある。
そのことをクラピカ本人が自覚していたか否かは不明であるが。


同盟を組んでから三日間が過ぎた。
途中、ヒソカとの遭遇等アクシデントも起きたが、その後は一応何事も
無い。
当初は昼夜を問わず警戒の神経を張り詰めていた二人だが、やがて
少しずつ状況に慣れて来た。
それでも夜間の見張りだけは欠かせない。
この夜も深夜になり、クラピカはレオリオと見張りを交代して仮眠に
入った。




どれだけの時間が経過したのだろう。
クラピカはふと目を覚ました。それは、形容しがたい不安の影が心を
よぎったせいかも知れない。
「……!?」
レオリオの姿が無かった。クラピカが眠りに落ちる前、近くの大樹に
もたれて見張りについていたはずなのに。
一時的とはいえ相棒になった相手が眠っている隙に置き去るなど、
彼に限ってありえない。
かといって、大切な見張りの任務を放棄して行くほどのどんな用事が
あるのだろう。
─── まさか、プレートを狙う誰かと接触して一人で戦っているのだ
ろうか。
(あいつ、勝手な真似を……)
焦燥に胸を詰まらせながら、クラピカは立ち上がる。

周囲は鬱蒼とした木々に囲まれた深い森。夜空には薄雲がかかり、
時折 月が見え隠れしているだけで、視界は悪い。
クラピカは茂みの中、足音を立てぬよう気を配りながら歩いてゆく。
と、不意に草木が途切れた。
そこには、小さな池が存在していたのだ。
(こんな所に……)
仮眠を取っていた場所とは目と鼻の先の距離なのに、気付かなかった
のは、川と違って水音がしないからだろう。
しかし。

───
パシャ。

池からは微かに波紋の音が聞こえた。魚でも跳ねたのかと思ったが、
それはどこか人為的に響いて来る。
目をこらすと、池の中央付近に、胸まで水に浸かった人影を認めた。
(レオリオ…)
姿を確認した途端、浮かんだのは、彼が無事でいた事に対する安堵。
そして、呑気に水浴びなどをしていた事に対する憤り。
更に、彼の衣服は無造作に水辺へ放置され、おそらく武器の一つも
身につけてはいないだろう。
その無謀とも言うべき無防備ぶりを腹立たしく思った。
クラピカは何と文句を言ってやろうかと、頭の中で言葉を構築する。
その時、上空の雲が切れて月が顔を覗かせた。
─── !)
瞬間、破裂するような鼓動が胸を打つ。
月光に照らされて、水面から出ているレオリオの上半身がはっきりと
視界に映る。
クラピカの思考から一瞬にしてすべての言葉が消え去った。
第一次試験の時、彼が上半身裸で走る姿を目にしている。今更、驚く
ようなものでもないのに、レオリオの逞しい体躯に視線が吸いついて
離れない。


高い身長、太い首、広い背中、肩幅、厚い胸板、長い腕、大きな手、
バランス良く付いた筋肉
───

それらはすべて『男』であるゆえのものだ。
彼の性別など、初対面の時から知っていた。なのに今、改めて思い
知らされる。
─── レオリオが『男』である事を。
クラピカは拳を握り締めた。
この胸に渦巻く感情が何なのかはわかる。『羨望』、または『嫉妬』だ。
『男』であるレオリオが羨ましい。
一族の復讐を決意した時、何よりも大きな障害は自身の性別だった
から。
幼い頃より護身術を教わってきたから、並みの少女より腕に覚えはある。
それでも、どれだけ鍛えたところで女の身では限界を否めない。
悔しいけれど、女は体力では男に叶わないのだ。
たった一人で13人もの仇を倒すには、武術を
磨くだけでは不可能
かも知れないとわかっていた。
細い腕も、やわらかな胸も、華奢な身体も、恨めしいだけ。
どうして男に生まれて来なかったのだろう。
レオリオのような、力強い肉体を持つ男だったら良かったのに。

思考に没頭していたクラピカは、レオリオが水から上がって来ようと
している事に気付かなかった。
近づく水音に、ふと顔を上げる。
(……!!!!)
その時点でレオリオは膝の下まで水から出ており、クラピカは彼の
ほぼ全身を目撃してしまった。
─── 生まれて初めて。

全身が硬直し、鼓動も呼吸も、時間さえも停止したような錯覚。
一瞬の事だったのか、何十分もの時間だったのかさえわからない。
それでも、レオリオが服を身につけ終える頃には我に返った。
彼より先に先刻の場所へ戻らなければ。
クラピカの意識にあったのはそれだけで、大急ぎで引き返した。



幸いクラピカはレオリオよりも先に帰り着き、元通りの体勢になって
眠っているフリをする。
少し遅れてレオリオも戻って来たが、一歩近づいてクラピカの様子を
見ただけで、何も疑わず樹にもたれ、見張り役を再開した。
再び月を隠した雲のおかげで、クラピカの顔が真っ赤になっている事
には気付かれていない。
そして、その胸の鼓動が、体の外に漏れそうなほど激しい事にも。
羞恥と動揺と混乱とで、クラピカの思考はパニックだった。
いくら目を閉じても、強烈に脳裏に焼き付いてしまっている。
(なんという破廉恥な……!!)
顔から火が出そうだ。
(なんという下劣なっ……)
しかし、勝手に覗き見てしまったのは自分だから、誰も責められない。
(…父様…母様……はしたない娘をお許し下さい…)
厳格だった亡き両親に詫び、クルタの懺悔の言葉を口の中で繰り返す。
一般的な少女なら『もう嫁にゆけない』とでも言うところだろう。
クラピカは己の迂闊さを悔いながら、たいした事ではない、不幸な事故
だと言い聞かせる。
それでも、数メートルと離れていない場所に座っているレオリオが、
急に異世界の生き物のように思えてしまった。
『思える』のではない。実際、『違う生き物』なのだ。
彼は、『男』という名の『異性』なのだから。

(レオリオは男…………異性……)

今更ながらの再認識。高鳴る動悸が止まらない。
わかりきっていた事実に、こんなにも戸惑うのはなぜなのか。
彼のそばにいる事さえ恥ずかしく思う。
彼の前で、無防備に眠っていた今までの自分が信じられない。
レオリオが良からぬ行為に及ぶとは思わないけれど、この不安にも
似た当惑は何なのだろう。

───
レオリオが『男』で、自分は『女』だから───

それが何だというのだ。だからどうしたというのか。
適切な答えが見つからない。
クラピカはそれを、混乱しているからだと結論づけた。

眠ってしまおう。忘れてしまおう。もう何も考えまい。
まだ試験の真っ最中、こんなくだらない些細な出来事に気を奪われて
いる場合では無いのだから。


クラピカは強引に意識を閉じる。
けれど、その胸のときめきは鎮まらぬまま。
そして、
わずかに自覚し始めた本心を無視したまま─────


  
                END