「トキメキ」    
〜to female〜    


ゼビル島における第四次試験で、レオリオはクラピカと同盟を組んだ。
その意図は、単純にプレート奪取には単独よりも複数の方が好都合
だという理由だったのだが、心のどこかでは、いかに聡明で腕っぷしも
良いとはいえ、少女の身であるクラピカを一人で戦場の島に潜ませる
のは気がかりだったからでもある。
この時点では、よもや別の問題で頭を痛めるとは思ってもいなかった
のだ。


同盟を組んでから三日間が過ぎた。
途中、ヒソカとの遭遇等アクシデントも起きたが、その後は一応何事も
無い。
当初は昼夜を問わず警戒の神経を張り詰めていた二人だが、やがて
少しずつ状況に慣れてきた。
それでも夜間の見張りだけは欠かせない。
この夜も深夜になり、レオリオはクラピカと仮眠を交代して見張り役に
ついた。



クラピカの規則正しい寝息を聞きながらレオリオは溜息をつく。
(なんで、こんなに無防備に寝てくれるのかねぇ……)
それは自分を信じ、安心しているからに他ならないと、レオリオ自身
よくわかっている。それ自体は喜ばしい事だ。仮にも同盟を組んだ仲
なのだから、信頼関係は何より重要。
しかし、逆に言えば『男』として認識されていないわけでもある。
(オレは自他共に認める、女大好きのスケベ野郎だぞ? なのにその
オオカミの目の前で、どーしてスヤスヤ眠れんだよ?)
起きている時は一瞬たりと隙を見せないクラピカだが、寝顔は年齢
相応のあどけなさすら浮かんでいて、可愛いらしい事この上ない。
ただでさえ綺麗な顔立ちの少女なのに、そんな表情を見せられては、
良からぬ欲求が沸いて来るのが男というもの。
昼間は移動に伴う疲労と警戒、そしてクラピカの生意気な態度が
不埒な考えを忘れさせるけれど、夜間はその反動のように欲求が
高まってしまう。
おかげでここ数日、レオリオは眠れぬ夜を重ねていた。
『おあずけ』をくった犬というのは、こんな気分なのだろうか。
「……う…ん…」
「……!」
瞬間、レオリオの心臓が跳ね上がる。
クラピカはコロリと寝返りをうち、再び静かな寝息をたて始めた。
彼女の寝言ひとつ、身動き一つにレオリオの胸は高鳴る。
考えないようにしていても、クラピカが視界に入る以上、なかなか
思考から消えてくれない。
ならば見なければ良いのだが、視線はついつい彼女へと向かって
しまう。

雲の切れ間から覗く月光を浴びて、金の髪がキラキラと輝いている。
肌はいっそう白く映り、長いまつげが影を落とす。
繊細につくられた陶器の人形のような儚さと、みずみずしい少女の
生命力に満ちた強さが混在する、神秘的な美しさを持つクラピカ。
見惚れていると、無意識に手を触れてしまいそうになる。
そして触れたら、抱きしめずにはいられないだろう。

─── 人間は生命が危機に晒されると、身近に居る異性に好意を
持つという。だがそれは種族維持本能によるものであり、一時的な
錯覚に等しい。今の状況は、まさにそれなのだ。
レオリオは自らにそう言い聞かせるが、理性と本能の葛藤は日々
強くなってゆき、そろそろ限界にきている。
(このままじゃあ、クラピカを襲っちまう……)
せめて当面の危機だけでも回避しなくてはならない。
レオリオはクラピカを起こさぬように気をつけながら立ち上がる。
周囲には怪しい気配も無いし、寝床にしている場所は、パッと見には
発見しにくい地形なので、少しの間なら離れていても大丈夫だろう。
多少楽観的ではあるが、自分自身がクラピカにとっての危険人物に
なるよりマシだと思って、レオリオはその場を離れた。
とにかく、頭を冷やしたかったのだ。


茂みをかきわけ、しばし歩を進める。すると、目前に小さな池を発見
した。
渡りに船だとばかりにレオリオは服を脱ぎ捨て、水に入る。
少々冷たい清水が心地よく、ザブザブと顔を洗った後、深呼吸をした。
改めて考えると、己の無様な困惑ぶりにあきれてしまう。
(オレはなんでこんな事に悩んでるんだ?)
胸元まで水に浸かったまま、レオリオは思案を巡らせる。
そもそも、なぜ悩まなくてはならないのか。

───
クラピカが女で、自分が男だから?
そんな事、昨日や今日知ったわけでも無い。異性の存在に戸惑う
思春期の少年でもあるまいし。

───
クラピカに手を出したくなるから?
確かに試験開始以来 禁欲生活だが、この程度の日数が耐えられ
ないはずは無い。もっと長い期間、女日照りだった事もあるのだから。

(オレのタイプはナイスバディのセクシー美女だぞ。なんでクラピカ
みたいな、性別不明の発育不全にムラムラしなきゃなんねーんだよ)
レオリオは心の中で、真実であるはずの文句をつぶやく。
しかし、彼の胸は否定するかのようにドキンと鳴った。
思いがけない鼓動の変化に驚いてしまう。なぜか咄嗟に、自分への
言い訳を考えた。
(…他に女が近くに居ねぇからに決まってる。でなきゃ、理想の高い
このオレが、あんな女以前のお子様に惚れるはずは
─── …)

その瞬間、レオリオの脳裏でパッと鮮明な閃きが弾けた。
(オレは今、何を考えた!?)
信じられない気持ちで己の思考を反芻する。

───
『惚れるはずは…………無い』。

(…オレが、クラピカに……!?)
レオリオは反射的に頭をブンブンと振った。
(んなはずねえ!! なんであんな可愛げも素っ気も無ぇ奴に…!!)
しかし、心の中で別の声が反論する。
(それでも、クラピカは女だ)
(そんな事ぁ、わかってる!だけど、そーいう対象にはならねえよ!!
全然タイプじゃねーし、第一あいつは色恋沙汰には無関心で、オレの
事なんか…)
(でも気になる。男として、クラピカの事が気になって仕方ないんだ)
(違う!!)
(いつもクラピカの事を考えてる。目で追ってる。常にそばに居ようと
してる。あいつを守りたい、信頼されたいと思ってる)
(それは仲間だからだ!!助け合う為に同盟を組んでるからだ!)
(もっと近づきたい。好かれたい。あいつに触れたい。抱きしめたい…)
(─── やめろっ!!)
声に出しそうになった叫びを飲み込み、レオリオは全身を水に沈めた。


呼吸の限界まで暗い水中に身を浸し、ようやく水面に顔を出す。
夜気と池の水の冷たさが、混乱していた思考を落ち着かせてくれた。
先刻の自問自答も、ある程度冷静に分析できる。

───
男なのだから、女を求める本能は否めない。
ならば正直に言葉にも態度にも出せば良いのだ。故郷では、いつも
そうやって口説いていたのだから。

(それができる相手なら、苦労は無ーよな……)
レオリオは深い溜息をつく。
自分の気持ちは充分自覚してしまった。だが同時に成就の可能性が
限りなく低い事も推察できる。
クラピカは世俗とかけ離れた潔癖な、そして誇り高い少女だ。おそらく
高貴な出身である事に間違いは無い。
自分とはあまりにも不釣合いなクルタ族のお姫様。その上、重い宿命を
背負い、復讐の道を進む決意を胸に、ハンターを目指しているのだ。
何も言えるわけが無い。まして、行動などできない。
(知られちゃならねえ、ってか……)
自嘲の笑みを浮かべ、レオリオはもう一度顔を洗う。
しかし、よくよく考えてみれば、既に自分の点数分のプレートを入手
しているクラピカが同盟を解消せず、いまなお一緒に行動してくれて
いるのは、多少はうぬぼれても良いという事なのだろうか?
(…ダメだダメだ、都合のいい解釈すんなレオリオ。あいつはまだガキ
だから男心になんか気付かねーんだよ)
強引に己に言い聞かせ、淡い期待を抑え込む。
そして、ゆっくりと水から上がり始めた。

後から思えば、狩り狩られるという試験の最中、深夜に単身水浴び
などとは鳥肌ものの無防備さだ。敵に強襲されなかったのは幸運で、
レオリオは急いで服を着込み、元の場所へと引き返す。




残して来たクラピカは眠ったままで、レオリオは安堵した。わずかな
時間とはいえ見張り役を放棄した事を知れたら、罵倒されるのは明白
だから。
その場面を想像し、苦笑しつつクラピカの寝顔を確かめる。
薄闇の中ではあるが、穏やかな表情で熟睡しているように見えた。
─── ふと、悪戯心が頭をもたげる。
(…そーっとキスしても、バレねぇかな…?)
愛らしい唇に誘われるように、一歩近づいてみる。
しかしすぐに思い直して、大樹の根元に戻った。

寝込みを襲うのは、ただの痴漢だ。そんなバカな真似をして信頼を
失いたくない。
何より、大切な女を裏切る事はできない。
─── 男だから。


新たな自覚と決意だけを意識して、レオリオは揺れ続ける鼓動を
あえて無視した。


  
            END