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「……まいったなぁ……」
街の入り口でレオリオは一人、困惑のつぶやきをこぼす。
それはまるで迷子の風情だが、実際、彼は迷子同然だった。
事の起こりは8月の終わり、一足早くヨークシンシティに入って、
再会の約束をした皆を驚かそうという悪戯心だった。
ハンターライセンスを使えば、いくらでも大名旅行が可能だが、
長年の貧乏性ゆえかレオリオは、つい節約ツアーを選んでしまい、
その結果、乗り継ぎを繰り返す内に乗船便を間違えて、気付いたら
ヨークシンとはまったく違う小国に辿り着いてしまったのである。
国の名前は『スナカ』。それなりに平和で裕福な王国のようだが、
交通の利便性は今ひとつで、まだ夕刻だというのに、既に国外へ
出る飛行船は終了している。
「……しゃーねぇな。今夜はこの街で一泊して、明日改めて出発
するか…」
潔く諦めて、レオリオは宿を探すべく街を歩き始めた。
宵の口の街には人通りも多く、小さいながらも豊かな国を象徴
したように商店も繁盛している。
レオリオの腹では催促の虫が騒ぎ出しており、彼は捜索対象を
宿から食事屋に切り替えた。
(……ん?)
ふと、前方から近づく歩行者に目が止まる。行き交う人々の中で、
一人だけ妙に気にかかった。
それはフードの付いたマントに身を包み、だけど姿勢良く歩いて
いる小柄な人物。
(どこかで会った……か…?)
無意識にレオリオは近づいてゆく。相手はレオリオに注視されて
いる事に気付いていないらしい。
そしてすれ違いざま、顔を覆うフードがフワリと風にあおられた。
「─── !! クラピカっ!?」
レオリオは思わず名を呼び、同時に相手の肩を掴んだ。はずみで
フードがずれ、肩の上にパサリと落ちる。
流れ出た金髪、白い肌、大きな瞳。それはまさしくクラピカだった。
「お前、どうしてここに─── ……」
問い掛けるレオリオに、相手も驚きの表情を向ける。その瞬間、
レオリオは違和感を感じた。
その瞳は、見ず知らずの他人を見るまなざしだったから。
「まあ、貴方は……」
可憐な唇から流れ出た声も、わずかに高い。よく似てはいるが、
クラピカとは違う。
そう気付いた瞬間。
「─── うわっ!」
レオリオは突然、背後から腕を掴まれ、捻り上げられた。咄嗟の
事で無防備だった為に、反撃も抵抗もできる体勢ではない。
「貴様、何者だ。その方に無礼を働くと許さんぞ」
(……誰だ、この野郎……!?)
容赦のない拘束の痛みに耐えながら、レオリオは背後の相手を
認識する。
鋭い目をしたその男は、仮にもハンターであり体術にも多少は
自信のあるレオリオを易々と押さえ込んでおり、かなりの使い手
だと察せられた。
「おやめなさいトロン!その方はクラピカ様の大切な方なのですよ!」
(……クラピカ…『様』ァ!?)
彼女の一声で、トロンと呼ばれた男はレオリオを解放した。
「トロン、わたくしの後を尾けて来ていたのですね?」
「当然です。いつぞやのような失態を繰り返すわけには参り
ませんから」
不機嫌な少女と冷静な男の会話がレオリオの頭上を通過する。
しばし呆然と見ていたレオリオに、少女は思い出したように笑い
かけた。
「大変失礼いたしました。貴方は、クラピカ様のお知り合いの方
ですわね?」
「あ、ああ……。……あんたは?」
「スナカ国第一王女、クラリオ・フォン・スナカと申します。彼は
わたくしの従者でトロンですわ。御無礼をお詫びいたします」
そう言ってクラリオは、正式なレディの作法で御辞儀した。
クラリオの申し出でレオリオはスナカ王宮に招待された。その上、
クラピカの功績(?)のおかげで、一級賓客扱いである。
この思いがけない展開にレオリオは、悪い気はしないものの、
戸惑いも否めない。
慣れていないせいもあるが、最大の理由は、差し向かいに座って
いる姫君の存在だった。
クラリオは街に忍び出ていた時とは違って王女らしくドレスアップ
している。
まるでクラピカのドレス姿を見ているような錯覚に陥ってしまうのだ。
レオリオは新鮮な感動にひたってしまい、クラリオの話にもほとんど
上の空でいる。
「……というわけで、クラピカ様に助けていただきましたの」
「はあ、そうですか…」
「他にも色々とお世話をかけてしまいましたわ。パーティーの時も、
わたくしの身代わりに王女役をしていただきましたし……」
「はあ、そうで…………ええぇっ!?」
生返事を返していたレオリオは、聞き流しかけた言葉に仰天した。
王女役とは、つまり王女のフリをするという事で、それはつまり─── ……
「……まさか……クラピカが姫の格好をした……と?」
「ええ、そうですわ。わたくしのドレスをお召しになったのですけど、
とてもお似合いでしたのよ」
(……『あの』クラピカが……お姫様ドレスを………)
思わず、クラリオがまとっているヒラヒラしたピンクのドレスを観察
してしまう。
レオリオは、あと数ヶ月早くこの国に来なかった事を激しく後悔した。
その晩、レオリオは王宮の貴賓室に御宿泊と相成ったが、『クラピカの
ドレス姿』を(妄)想像せずにはいられなかった為、快眠できたかは
定かではない。
「おはようございますレオリオ様。昨夜はよく眠れまして?」
翌朝、クラリオは満面の笑みで挨拶をして来た。
「はあ……おかげさんで……」
とりあえずレオリオはそう答えるしかない。
朝食の後、レオリオはヨークシンへの交通経路を念入りに調査した。
スナカからは直行便が出ていないので、再び乗り継ぎをしなくては
ならない。今度は間違えないように行かなくては。
約束の日まではまだ余裕があるので、レオリオは出発を午後と決め、
異国の話を聞きたいというクラリオにつきあい、中庭のテラスで
武勇伝を披露した。
元々話術の上手いレオリオである。クラリオは実に興味深く楽しそうに
耳を傾けていた。
そんな彼女を眺めながら、レオリオは昨日から感じていた違和感が
次第に大きくなってゆくのを自覚する。
多少誇張の入ったレオリオの話に、瞳を輝かせて聞き入るクラリオ。
世の中の穢れを少しも知らぬげな、無邪気な笑顔。
─── クラピカはこんな笑い方はしない。
顔立ちや高貴な生まれという点が似ていても、正反対の環境を辿った
2人の違いは大きいのだ。
本来ならクラピカも、クラリオのような娘に育っていたかも知れないのに。
現在のクラピカに至った経緯を考えると、胸が痛む。同時に、目の前の
少女に対して、『可愛いお姫様』以上の感情が起きない事にも気がついた。
幼い妹に対するように保護欲はそそられるけれど、抱きしめたいとは
思わない。
レオリオはクラピカと口喧嘩をした時など、よく『もっと素直になりゃ
いいのに』とか『可愛げの無い奴だな』と思う。そして実際に口に
出して言ったりもする。
クラリオは、レオリオが要求する通りの『素直で可愛げのあるクラピカ』だ。
なのに、クラピカに対して抱いているような感情は少しも沸いて来ない。
─── 理由など、考えるまでも無いけれど。
「レオリオ様…」
「あ、はい。何です?」
話が途切れた時、クラリオの方からレオリオに呼びかけた。
「レオリオ様は、これからクラピカ様と会う予定はお有りですか?」
「ああ、一応、9月の頭に約束してるので…」
「でしたらちょうど良いですわ。お渡ししていただきたい物がありますの」
そう言うや、クラリオは握っていた手の中から一粒の白い珠を差し出した。
「……真珠?クラピカに?」
「ええ。御礼のつもりでクラピカ様に贈ろうと思っていたのですけど、
機会を逸してしまいましたの。レオリオ様からお渡しして下さいません?」
「ああ、かまわね……いや、かまわないですよ」
「ありがとうございます。お願い致しますわ」
レオリオはニッコリと笑うクラリオから真珠を受け取った。
よく見ると、その真珠は珍しい薄紅色をしている。
「変わった色の真珠だな……」
「貴重な真珠ですのよ。それに、女性が持つと幸せになれるという
言い伝えがありますの」
レオリオの呟きに対するクラリオのまことしやかな説明には説得力が
あった。
淡く美しい薔薇色の輝きには、確かにそんな雰囲気が感じられるから。
「わかったよ、姫。必ずクラピカに渡すぜ」
その頼もしい言葉に、クラリオは天使のような微笑を浮かべた。
─── いつか、クラピカもこんな笑顔ができるように。
薄紅の真珠を握り締めながら、レオリオはそう願った。
早目の昼食を済ませた後、レオリオは王宮を出発する。ちなみに
乗船券は、王室用のスペシャルコンパートメントチケットを戴いた。
クラリオが土産代わりにぜひ、と用意したものである。
「─── クラリオ様」
王宮の門からレオリオを見送るクラリオに、トロンが渋い顔をして
呼びかけた。
「クラピカ殿は偽証を嫌っておいででしたよ」
「まあ、聞いていたの?」
少しばかり不愉快そうにクラリオは振り返る。彼の職務上、いかに
クラピカの知己とはいえ、異国人の男と王女を2人きりにするわけには
ゆかないからだとわかっていても、常に見張られているのは嬉しくない。
そして『偽証』とは、クラリオが嘘を言って、残っていた一粒の真珠を
レオリオに渡した事を暗に咎めているのだろう。
しかし、クラリオはケロリとして明るく言い放った。
「良いじゃありませんの。どうせ、もう一つはクラピカ様の手元に有るの
ですし。それに、トロンが言ったのですよ。あのパールは二つそろって
こそ意味があるのだと」
「ですが、姫……」
「あのお二人なら、言い伝えも成就するはずですわ。まだ婚約も決まって
いないわたくしが保管しているより、ずっと有意義ですわよ」
レオリオがクラピカにピンクパールを渡したら、クラピカも彼にブルーの
パールを渡すに違いない。それを確信した上での方便だったのだから。
クラピカが持っていた写真を思えば、第三者が今更、何を画策する必要も
無いだろうけれど。
「きっと、お幸せになられますわよねv」
夢見る乙女の様相で嬉しそうに想像を巡らせているクラリオに、トロンは
説教を諦めて、眉間に皺を寄せつつ 深い深いため息をついた。
─── All you need is Love?
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