「告白〜Secret〜」



「9月1日、ヨークシンシティで
───


パドキアの空港で、そう約束して4人は別れた。
行動を共にするゴンとキルアを残して、クラピカは北ウイング、
レオリオは南ウイングへと向かう。
─── しかし。
長い廊下の途中でクラピカは足を止める。どうしても、心に残る
ひっかかりを無視できなくて。
その脳裏に浮かぶのは一人の男の顔。ついさっき、月並みな
挨拶だけを交わして見送った相手。
(レオリオ……)
胸の内で名をつぶやいた瞬間、クラピカはまるで何かに背中を
押されるように、焦燥に突き動かされるまま踵を返して走り出す。
彼に、どうしても伝えたい言葉があった。
(
─── まだ間に合うだろうか?)
 
果たして、先刻の場所にレオリオはいなかった。ただ、行き交う
人々だけがひっきりなしに通り過ぎる。
期待半分、諦め半分だったクラピカは、うつむいて溜息をついた。
─── クラピカ?」
突然、背後からかけられた声にクラピカの心臓が飛び上がる。
まさかと思いながら振り向くと、そこには予想通りの姿があった。
「レ…レオリオ!?…ど、どうして!?」
「どうしてって、……まぁ、ちょっとヤボ用な。お前こそどうした?」
「…ぅ、……わ……私も、ちょっと……」
言葉を濁して黙り込むクラピカにつられるように、レオリオも口を
つぐむ。
しばし不自然な沈黙が流れた。
「……あのさ、まだ時間あんなら、茶でも飲まねーか?」
「……そうだな」
 レオリオの提案に従い、とりあえず2人は喫茶室へ向かった。

 

静かな音楽の流れるティールームで、2人は差し向かいに座って
いる。
しかしレオリオはコーヒーをブラックで、クラピカはハーブティーを
注文したきり、一言も会話はない。
話したい事があるのに、その為に引き返して来たのに、切り出す
きっかけが掴めず、クラピカは ただ黙ってカップを見つめる。
「…なぁ、クラピカ」
「な、何だ?」
胸の内を見透かされたような気がして、思わずクラピカの声が
上ずる。
「お前はどこへ向かうんだっけか?」
「…ああ。聞いた話だが、闇社会専門のハンター斡旋所があると
いうから、そこへ行こうと思う」
「闇社会……ねぇ」
レオリオは複雑そうにつぶやいてコーヒーをすすった。
長い付き合いではないが、クラピカの性格を把握しているから、
色々と思うところはあるらしい。
「…大丈夫だ。覚悟はできている」
レオリオの表情を読み取り、クラピカは極力明るい口調で言い切る。
事実、闇の世界に身を投じる事は、ハンターになると決めた時から
納得していた。
─── だが、今は。
まさか他に『気がかり』ができるとは思わなくて。それがこんなにも
心を支配するとは予想外で。
このままでは何をしても手につかないような気がする。第一、半年も
先まで今の不安定な心情を抱え続けていたくはない。
─── とはいえ、何と言えば良いのだろうか。
「……レオリオ…」
「ん?」
「…あの…、お前は故郷に戻るのだよな…?」
「ああ。そう言ったろ」
「……そうだったな」 
こんな話をしたいわけではないのに、適切な言葉が思いつかなくて
クラピカはうつむいた。
口を開きかけては、また閉じる。胸がつまるような感覚にレオリオの
目を見る事ができず、視線を逸らせてしまう。
常に毅然としていたクラピカらしからぬその様子に、レオリオも
気がついた。
「クラピカ。お前、出発は急ぐか?」
「…えっ?」
不意の問い掛けにクラピカは顔を上げる。
「あの嵐みてぇなハンター試験から休む間もなくパドキアに来て
1ヶ月だよな。その間スッゲェ慌しかっただろ。もう一日くらいゆっくり
してかねえか?」
わざと大げさな口調で言い、レオリオは悪戯っぽく笑ってみせる。
「ようやくってか、手のかかるお子様たちもいないことだしな」
「……本人たちが聞いたら怒るぞ、レオリオ」
つられるようにクラピカも微笑する。その言葉がレオリオの気遣い
だったのか、本心なのかはわからないが、クラピカの張っていた気は
自然にゆるんでいった。

 

2人は空港のホテルにそれぞれ部屋を取り、出発を翌日に延期した。
─── じゃあ、晩飯は7時にレストランで」
そう言って別れ(といっても隣室同士なのだが)、クラピカは入った
部屋の中で溜息をつく。
フロントでハンター証を提示したところ、自動的にロイヤルスイートへ
回されてしまった。
こんな広い部屋で、たった一人で、落ち着けるはずもない。
まして、頭の中には先刻からの悩みが消えずに残っている。
(レオリオに何と言って話せばよいのか……) 
答は出ないままだが、それでも明日までの猶予が与えられただけ
マシだった。
─── 言わなくては。レオリオに。
その為に自分は今、ここにいるのだから。
隠したままでは別れられない。もう黙ってはいられない。
─── レオリオには、知っていてもらいたいから。
(私が、女だということを………)
  
  
夜の7時きっかりにクラピカはレストランを訪れた。レオリオも
少し遅れて現れ、2人はボーイに案内されて席につく。
ロイヤルスイートの客には、注文しなくてもフルコースメニューが
振舞われるらしい。
食前酒から始まり、オードブル、スープ、サラダ、メインディッシュと、
次から次へと皿が運ばれて来た。
「お前がテーブルマナーを心得ているとは意外だな」
「失礼な…☆伊達男を気取るからには、このくらいできて当然だろ」
しかしそう言うレオリオの手つきは慣れているとは言いがたく、むしろ
マニュアルを暗記した一夜漬けの様相である。それこそが彼らしくて
クラピカは微笑した。
しかし、ふと周囲に目を向けた途端に表情が翳る。
他のテーブルについている客は皆 正装で、特に女性は美しい
ドレスに身を包み、華やかに自身を演出している。
レオリオは正装とは言わないまでもスーツ姿だからまだ良いが、
クラピカは己の身形をかえりみて恥ずかしく思った。
否、自分よりもレオリオが恥ずかしいのではないだろうか?
(……もう少し、良い服を着て来ればよかった……)
さすがにドレスは持っていないが、ホテルのブティックになら
それなりの服があったはず。こんな事にも気の回らない自分が
情けない。
─── どうした?」
突然黙り込み、食事の手を止めてしまったクラピカにレオリオは
問いかける。
「いや、何でもない」
クラピカは無理に笑顔を作って食事を続けた。

デザートが終わり、食後の飲み物が運ばれて来る。
「いやー久々に美味いメシが食えたなー♪」
レオリオは上機嫌でコーヒーを飲むが、クラピカは再び緊張に
苛まれていた。
せっかくのディナータイムを台無しにする(かも知れない)発言は
できないと思って黙っていたのだが、時間は刻一刻と過ぎてゆく。
─── 言わなくては、必ず後悔する……)
「レオリ…」
「クラピ…」
2人は同時に互いの名を呼んだ。
「…何だよ?」
「…お前が先に言え」
気まずい沈黙が2人の間に漂う。
「…えーと……なぁ…」
先に口を開いたのはレオリオ。
「…お前、オレに何か用があるんじゃねぇか…?」
「……!!」
図星を刺され、クラピカの心臓が音を立てて跳ね上がる。
なぜわかった、と問おうとしても、動揺のあまり声が出ない。
「実はさ……、オレも…お前に話があって……」
─── !?」
クラピカは思わず顔を上げる。レオリオは困ったような表情で、
わざと目を逸らしていた。
「な……何なのだ?」
「ちょっと……ここじゃあ言いにくいんだよな…」
不安がクラピカの胸にのしかかる。しかし、これはある意味 好機
かもしれないと判断し、意を決した。
「……では、場所を変えよう」
クラピカは平静を装って立ちあがる。
「私も話したいことがあるから、ちょうどよかった。部屋へ来てくれ」
そのままレオリオの横を通りすぎたクラピカには、彼の当惑した
表情に気づく余裕は無かった。
 


─── 何か飲むか?」
「いや……いらねぇ」
レオリオを部屋に招き入れたクラピカは、室内のミニバーに揃え
られている酒瓶を指し示す。
それを断り、レオリオはソファに腰を下ろした。
互いに ただならぬ予感を感じつつ、それでもクラピカはレオリオの
向かいに座る。どこかそわそわと落ち着かないレオリオの様子を
察し、クラピカは覚悟を決めて口を開いた。
「……レオリオ」
「な、何だ?」
「……実は、ずっと隠していた事があるのだが……」
─── え?」
「私は
─── ……」
クラピカは目を閉じ、緊張に震える指先を握り締める。

─── 私は、女なのだ……」
   
シィン……と、空気の張り詰める音が聞こえる気がした。
  
クラピカは、クルタ族の族長の家に生まれた『娘』である。しかし、
4年前からずっと少年のふりをしていた。
長かった髪を切り、スカートを捨て、武術を磨き、言葉使いも態度も
仕草も、意図的に『女』を忘れて生きてきた。
その理由は、第一に『少女の一人旅』ゆえに及ぶであろう余計な
危険を回避する為。そしてもう一つは『復讐』という人生を選択した
自分への戒めの為で、今でも間違ってはいないと信じている。
─── レオリオに会うまでは。
あの荒天の船の中で出会い、共に日々を過ごす内、いつしか
クラピカの内に、封じていたはずの『少女』の心が目覚めてしまった。
少女の心
─── すなわち恋心である。
試験中は抑えていられた。彼と一緒に過ごせていたから。だけど、
これからは半年以上も会えなくなる。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
別離自体は、やむをえない事だと納得しているが、寂しさと共に
胸を突く切迫した感情を止められなかったのだ。
せめて、少女だと告げる事で真実の自分を知って欲しい。
そう思って、決死の思いで告白したのだが、レオリオは無言のまま。

 
─── よほど驚いたのか、それとも、騙されていたと怒っている
のか
───

クラピカは恐る恐る目を開けた。案の定、レオリオは鳩が豆鉄砲を
くらったように目を点にしていたが、不安そうなクラピカのまなざしに
気づくと、何やら複雑な表情のまま、ボリボリと頭をかいて言った。
「……あぁ、…うん…知ってたけど」
─── !?!?!?
クラピカは驚愕に目を見開いたまま硬直する。
「…い…今、何と……?」
「だから……知ってたって」
「私が……女だと……!?」
「…まぁな。けどオレだけじゃなく、ゴンもキルアも知ってたぜ」
更なるショックがクラピカを直撃する。ゴンたちにまで見ぬかれて
いたのなら、試験の最中に出会った者たちにも、何人に気づかれたか
知れたものではない。
─── では今までの苦悩は何だったのだ。
クラピカは愕然と放心する。隠していたはずの性別が皆にバレて
いたとは。
目に見えて落ち込んでしまったクラピカをレオリオは慌ててなだめる。
「ほら、ゴンは野性的なカンの持ち主だし、キルアは特殊な環境で
育ってるだろ?オレも一緒にいた時間が長いから気づいただけで、
他の連中は知らないと思うぜ?」
レオリオの言葉は正論である。
事実、一番近くにいた彼自身、クラピカの性別にはずいぶんと
悩んだのだから。

初対面の時は『少年』だと信じて疑わなかった。
しかし、日が経つにつれ少しずつ疑念が沸き、試験が進行すると
共に、どんどんわからなくなってしまった。
第一印象から中性的な顔や声だとは思っていたが、ふとした瞬間に
垣間見える表情や何気ない仕草の端々に、レオリオの男の本能と
いうか 六感のようなものが『女』の匂いを感じ取り始めたのである。
医学を志す者が男女の区別もつかないとあっては恥。
とはいえ本人に直接聞くのは気が引けるし、うまく確認する方法も
見つからず、思いあまってレオリオはゴンに相談した。
年下の子供に助言を乞うのは自負に反するが、魔獣・凶狸狐を
見分けたゴンなら人間の性別くらい簡単だろう。
そしてゴンは即答した。いわく、

『だって体型が全然女の人じゃん。身のこなしだって柔らかくて
優しい感じだし』

それでも念の為、レオリオはゾルディック家を後にしたキルアにも、
こっそりと聞いてみた。
結果。 
『女だろ?』
キルアもやはり即答だった。
『最初はどっちかなーって思ったけど、何日も見てりゃわかるよ。
洞察力を磨くのは戦闘の基本だしな』
そう言い切ったキルアの言葉にとどめを刺され、レオリオもようやく
確信したのである。
クラピカは『異性』なのだと。

「………バカみたいだ…」
がっくりと肩を落としてクラピカはつぶやく。
「皆が知っている事を、私だけが秘密と思っていたなんて……」
「気にすんなよ。性別がどうあれ、お前はお前だろ」
「………………」
─── で、オレを好きなんだよな?」
「!?」
続いて発せられたレオリオの言葉にクラピカの思考が停止する。
意味を理解するのに、暫しの時間が必要だった。
「な、な、何をっ…!だ、だれがそんなことを!?」
ようやく出た声は焦りと動揺でうわずっている。
「じゃあなんでオレにだけ『女だ』って告ったんだ?」
「そ、それは……」
クラピカは口ごもる。確かに、ゴンやキルアにはあえて話すべき
必然性を感じなかったが、レオリオにだけは知って欲しいと思った。
その理由は
─── ……
クラピカは無意識の内に考えないようにしていた結論を自覚する。
「…………その通り……だ」
赤く染まった顔を見られたくなくて、クラピカはうつむいたまま肯定
する。
「お前には……、私を女として認識して欲しかったのだ……」
恥ずかしさのあまりクラピカは目を閉じた。
今更改めて言わなくてもレオリオはとうに知っていたのだから、
この告白は無意味ではないかという自嘲と共に。
「……!」
不意にレオリオの手がクラピカの髪に触れた。
思わず上げたクラピカの顔を、レオリオは己が胸に抱き寄せる。
「レ、レオ…!?」
─── ありがとな。スゲー嬉しいぜ…」
唐突な展開にクラピカの全身は硬直していた。心音が半鐘のように
大きく響く。
「オレも教えてやる。話したい事があって引き返したっつったろ。
…告白するよ」
レオリオの声が耳元で聞こえる。動転していても、その言葉だけは
はっきりと届いた。
「お前が好きだ
─── そう言いたかったのさ…」

───
その瞬間、時間が止まったような気がした。
  
レオリオがクラピカの性別に悩んだ最大の理由は、自他共に認める
女好きの自分が、まさか同性に惚れたのではないか、という事だった。
それならそれで割り切るしかないとも考えたが、女なら何も問題は
無い。
しかし堂々と恋心を表現するには2人は親しくなりすぎていたし、
ゴンたちの手前『今更』という気恥ずかしさもあって、あえて態度を
変えずにいたのだ。
それでも、いざ別離となると、どうしても行動せずにはいられなくて
───
(あの時、引き返して良かった)と、レオリオは誰にともなく感謝した。

一方、クラピカは言葉を失ったまま微動だにしない。

───
というか、できなかった。
都合の良い幻聴ではないかと思ったが、抱きしめる腕や胸の
感触は現実。
「……おい。無反応だけど、ちゃんと聞いてたんだろーな?」
顔をのぞき込まれ、クラピカは我に返る。目と目が合った途端、
顔から火が出そうな気がした。
まだどこか混乱した意識の中、嬉しさが胸の奥を熱くする。しかし
クラピカには素直に喜べない事情があった。
「わ、私は……こんな…男のようななりをしているし、…全然女らしく
ないし、その……お前の好むようなタイプでは全然ないのだよ?」
クラピカは目を逸らし、困惑の表情でまくしたてる。
「……これからも、女らしい姿や生き方は…できない。…だから…」
─── かまわねぇよ」
レオリオは抱きしめた腕を離さぬまま、クラピカの言葉を遮った。
「それがお前の選んだ生き方なら、別に変える必要は無ぇだろ。
そもそも、オレは女っぽくも色っぽくもねぇお前に惚れたんだからな」
からかうような笑みを浮かべ、それでも真摯な口調でレオリオは
言い切る。
そんな彼の顔を間近に見ながら、クラピカは複雑な思いで呟いた。
「……あまり嬉しくない言われ様だな…」
「そうか?けどオレは安心していられるぜ。あんまりオンナオンナ
してたら、半年の間に妙な虫がつくんじゃねーかって、心配で勉強も
できねぇとこだよ」
「…何を考えているのだ。私はそれほど多情ではない」
「じゃあ、証明をくれ」
「?」
訝しげに見上げたクラピカの唇にレオリオの指が触れる。意味を
察し、クラピカの心臓が大きく弾けた。
「レ…レオリオ、私は…」
「『オレのオンナ』だろ?」
「……その発言は女性蔑視だ」
「んじゃ、オレが『お前のオトコ』でいいよ」
どこから本気でどこまでが冗談なのかわからない話術に引き込まれ、
クラピカはクスリと笑った。
よく考えたら、どちらでも大差は無いし。
そしてレオリオの首に両腕を回し、まっすぐ目を見て微笑みかける。
─── 私が『女』でいるのは、レオリオの前でだけだ」
「ああ、そう願うぜ」

唇がふれあう。
二つの影は一つに重なり、そのまま離れなかった。

   
 ※裏へ続く(^^;)