「緋色の闇の彼方に」
              〜後編〜



くじら島に到着した一行は、ゴンから連絡を受けて待っていたミトに
あたたかい歓迎を受けた。
車椅子で島に降り立ったクラピカには、レオリオが常に付き添って
くれている。
ゴンとキルアはゴンの家に滞在するが、クラピカには少し離れた
──
といってもゴンの家から見える距離なのだが─── 小さな家が用意
されていた。
「オレが頼んでおいたんだ。オレも主治医として一緒に住むからな」
レオリオの言葉にクラピカは多少戸惑ったが、医者が必要なのは
事実だし、身の回りの世話はミトがしてくれると言うので、素直に
好意を受ける事にした。




やがて半年が過ぎた。
当初は歩行も困難だったクラピカは、レオリオの献身的な看護で
徐々に回復し、健康体に戻りつつある。
それでも、その瞳は開かぬまま。
レオリオは、時が経てば治ると信じていた。しかし環境を変えても、
念能力が戻っても、平穏な日々が来ても、開眼の兆しは無い。
クラピカは生涯 瞳を閉ざしたままでいるしかないのだろうか。
 
レオリオの不安とは対照的に、クラピカは冷静だった。
今では食事も着替えも一人でできるし、何より本人が自発的に
何でも自力で為そうと努力している。
だが、それはクラピカ自身が回復を諦めている証でもあった。
「治らないのなら、それでもいい。これが私の運命ならば、甘んじて
受けるつもりだ」
穏やかな口調でそう言うクラピカに、レオリオは己の無力さを痛感
せずにはいられない。
クラピカはようやく長く辛い戦いを終えたのだ。新しい人生を生きて
欲しいと思う。何にも囚われず自由に、そして幸福になれるように。
その思いは彼の中で日に日に強まっていった

─── 幸福にしてやる。金や権力じゃなく、オレのこの手で……)



ある日、レオリオはクラピカをピクニックに誘った。


それほど足場の悪くは無い森の道を、レオリオはクラピカの手を
引きながら進む。
しばらく歩いた後、二人は大きな湖に面した樹の下に座って
ランチを摂った。
 
季節の良い昼下がり、晴天の空は青く、木々の緑は深く、湖は
どこまでも澄み、一枚の絵画のように美しい。
見る事のできないクラピカに、レオリオは こと細かに説明して
聞かせた。
彼の言葉から、その場の情景を思い浮かべてクラピカは微笑
する。視覚以外の五感でも、涼やかな風や、優しい水音や、草の
香りを充分に感じられた。
故郷のルクソ地方とは少し違うが、雄大な自然の中に在ることが
実感できる。以前からは考えられないほど静かで穏やかな時間が
過ぎているのだ。
─── 何よりも、レオリオの存在が安らぎを与えている。
決戦の時、2度と会えない覚悟をして去ったのに、今こうして共に
いる事が信じられない。
生きて戻れた事も、再会できた事も、すべてが夢のようだった。
レオリオは片時もそばを離れず、心身を支えてくれている。たとえ
医者の義務感からであっても、嬉しかった。
他の誰でもなくレオリオだからこそ得られる安心感、そして充実感。
(私はずっと、こんな日が来る事を望んでいたのかも知れない…)
クラピカはそう思った。

「クラピカ」
ふいに名を呼ばれ、クラピカは反射的に顔を向ける。
レオリオの近づく気配と共に、思いがけない言葉が聞こえた。
「結婚しよう」
「!?」
クラピカは己が耳を疑う。何の冗談か、と言おうとした時、地面に
置いていた左手を取られた。
薬指に金属の輪を嵌められる感触。
「これ、お袋の形見なんだ。未来の嫁さんに渡せって遺言だから、
安物だけど我慢してくれよな」
─── レオリオ!!」
振りほどこうとしても、レオリオは手を離さない。クラピカは困惑と
共に言い放った。
「バカな事を言うな!私はお前と…いや、誰とも結婚する気など
無い!」
「なんでだ?」
「だって私は、…………」
暗い記憶が蘇り、クラピカは口をつぐむ。
それは闇と、血と、死にまみれた、決して消えない過去。
「……私は…一人で生きてゆける。
…幸い、ハンターの資格が
ある限り、衣食住には困らないからな。特に問題も無いし……」
上手く笑顔を作れているか考えながらクラピカは続ける。
「お前には感謝しているが、怪我もだいぶ癒えたし、なるべく早く
自立するつもりだ。だからお前も、そろそろ自分の事を考えろ。
ようやく医者になったのだから、開業でも何でもして多くの人命を
救うがいい。……いつまでも私一人に関わっている必要は無いの
だよ」
─── 偽証は慣れていない。果たして、本音のように聞こえた
だろうか?
風が葉ずれの音を立てて通りすぎる。沈黙が重い。
「言いたい事はそれで全部か?」
息をつきながらレオリオは問う。予想外のリアクションにクラピカは
戸惑った。
「んじゃ、今度はオレの番だな。返答しろクラピカ、二者択一だ」
どこか悪戯っぽい言い回しではあったが、口調は真剣。 
「1、オレと結婚する。2、主治医のオレとずっと一緒に暮らす。
どっちか選べ」
───── ……。どちらも同じ意味ではないのか……?」
「そうとも言うかな」
「どうしてそこまで………」
「もう『クルタ族のクラピカ』としての務めは終わったんだろ?じゃあ
これからは『クラピカ個人』として生きていいはずだぜ」
─── 私は……こんな目で…」
「オレがお前の目になるよ。だから、お前の人生の半分をオレにくれ」
レオリオの言葉が熱く胸に響く。
堪えきれず、クラピカの口から本心が漏れた。
「……お前の重荷に…なりたくないのだよ……」
「荷物なんかじゃねぇよ。
─── オレにはお前が必要なんだ」
「…………」
「お前を愛してる。いつからかわかんねぇほど前からな」
クラピカはもう反論できない。
きっと、何を言ってもレオリオは引き下がらないだろう。彼の腕に
捕らわれているから、逃げる事もできない。
(レオリオ……)
封印していた感情が、堰を切ったようにあふれ出す。

本当はクラピカも、ずっと前からレオリオが好きだった。
生まれて初めて恋をして、愛していると自覚していた。
だけど蜘蛛の血に汚れた時から、視力と共に 愛される資格も
失くしたと思っていたのに。

「……私で…良いのか……?」
「お前でなきゃダメなんだよ」
伏せたままの瞼の下から涙があふれる。
緋色に染まった視界を閉ざしたのは、無意識の贖罪。
レオリオはすべての罪と傷を知った上で、それでも許し、望んで
くれているのだ。
クラピカの見えぬ目には、レオリオの存在が光として感じられる。
過去のしがらみから解放された今、新たな道が示されたのかも
知れない。
避け続けていた、幸せへと続く未来に。 
「一緒に生きよう、クラピカ」  
クラピカは無言のまま、しかし力強くうなずいた。





「おめでとう」
「おめでとう、二人とも」
「幸せになってね、クラピカ」
多くの友や島民たちに祝福されて二人は結婚式を挙げた。
盲目の花嫁を抱き上げて、レオリオは誓いのキスをする。 
それは終着(ゴールイン)ではなく始動(スタート)の証。
眼を狙われる危惧も、同胞の復讐に殉じる覚悟も、自分だけが
幸せになってはいけないという戒めも必要無い。
これからは自分の為に自分の人生を、希望に向かって歩いて
ゆけば良いのだ。
もう、独りではないのだから。


「オレがずっとそばにいる」
今更ながらの台詞にクラピカは微笑する。
「ずっとお前を愛してる」
どんな顔をして言っているのか、見られない事が少し残念だった。

「私もだ。レオリオ…」



レオリオの胸の中、彼の妻となったクラピカは優しい眠りに包まれる。
惜しみなく注がれる愛情が、心地よいぬくもりが、緋の色彩を拭い
去ってゆく。
それは生まれて初めて感じた『幸福』という自覚。


二人で迎える最初の黎明。
緋色の闇から覚めた時、その瞳には天然色の世界と、愛する者の
姿が
映っていた。



         後半で省略した部分は裏にあります(^^;)
     
           END
            「夢の終わり」に似てますが、実は
             こっちが先に出来ていたのです。