「魔夏の夜の夢」
〜クラピカVer〜


───
蜘蛛め……

クラピカはヒソカの同盟の申し出に対する返答を翌日に延ばし、
その場を立ち去った。
逃亡した蜘蛛を再び捕えなくてはならない。

幻影旅団にまつわる苦々しい記憶に唇を噛む。
元々あの11番も、あのままコミュニティに引き渡してハイさよなら、
というつもりは毛頭無かった。
(必ずこの手で………最後の1匹まで捕えてやる…!!)
クルタ族の無念を晴らす為に、奪われた緋の眼を取り戻す為に。
きらびやかな夜の街とは対照的に、クラピカの心は暗黒の
ヴェールに包まれていた。
やがて車を降り、徒歩で暗号“パターンB”地点へと向かう。

『本日、九月一日、ヨークシンシティでは
───

街頭に設置された巨大なモニターでは、最終のニュースが流れて
いる。
今日の再会を約束して別れた仲間たちは今、どこで何をして
いるのだろう。
(レオリオ……)

クラピカは最も逢いたい名前を心の中で呼んだ。

再会の延期は仕方ないが、人ごみの中、長身と子供の3人連れを
見ると胸がドキリと鳴る。
自分の心は偽れない。同じ街にいるはずなのに、逢おうと約束
していた
のに、逢えないのは辛い。葛藤する感情が苦しくて、思わず胸を
押さえる。
と、右手の鎖がジャラリと揺れた。
(…ダウジング・チェーン…?)
何も念じた覚えは無いのに、薬指に繋がる鎖が反応している。
おりしも大都会の雑踏の中、まさか蜘蛛ではと警戒し、クラピカは
慎重に歩を進めた。
一人、二人と通行人をやり過ごし、やがて鎖の示す対象を発見する。

─── !?)
クラピカは我が目を疑った。
人波の中、前方から歩いて来るただひとりの姿だけが視界に映る。
それは、まぎれもなくレオリオその人。
半年前と同じように、気取って決めたスーツとサングラス姿。
左右に視線を配りながら、こちらへ向かって来る。
(どうして……)
考えかけてクラピカは理解した。一瞬だけ、だけどとても強く、
彼の事を想った。
その感情を念鎖はダイレクトに受けて、レオリオを指し示したの
だろう。
(……ダメだ…)

今、会ってはいけない。
会っている時間は無い。
自分はこれから、蜘蛛を追わねばならないのだ。

頭ではそう思っていても、足は路上に縫い止められたように
動かない。
否、動けない。
─── 動きたくない。

クラピカの目はレオリオから離せず、2人の距離がどんどん
縮まってゆく。
次の瞬間、正面から視線がぶつかった。

「クラ…ピカ……」
名前を呼ばれた途端、クラピカの身体は背に羽根が生えたような
軽さを覚えた。
吸い寄せられるように、レオリオの胸へと飛び込んでゆく。
人前だ、街なかだ、などという恥じらいも理性も、すべて意識の
外へ消え去っていた。
広い胸、暖かな感触、整髪料とコロンの混じった匂い、何もかもが
愛しく懐かしい。他のどこにも存在しない、クラピカの『居場所』。
何度この腕に抱きしめられる夢を見たか。何度この胸に還りたく
思ったことか。
堪えれば堪えるほど心は彼を求めた。
死をも恐れぬ覚悟をしている自分の中で、救われたがっている
自分がいるから。


─── クラピカ……!!」

愛しい声が名前を呼ぶ。逞しい腕が強く抱きしめてくれている。
嬉しさで言葉も出ない。このまま、何時間でもこうしていたい。
いっそ、彼の胸に溶け込んでしまいたい。

───
だけど。

右手に絡んだ冷たい鎖が、心臓に刺さった戒めの楔が、無言で
諌めている。
まだ許されないと。
クラピカはそっと目を開け、久しぶりに間近でレオリオの顔を見た。
胸の奥に熱い想いがこみあげる。
やはり自分は、こんなにも彼が必要なのだ。
誰よりも愛している。
何よりも大切な存在。
─── それでも、まだ一緒にはいられない……

クラピカはレオリオの頬に手を添え、引き寄せるようにして下向かせた。
そして唇を重ねる。
今日、この場で出会えた奇跡に感謝して。
愛しさと、せつなさと、謝罪を込めて………

─── 『絶』───

クラピカは気配ごと、消えるようにレオリオの腕をすりぬけた。


一度も振り返る事なくクラピカはその場を離れる。
もしもう一度目が合えば、そして追いかけて来られたら、振り払う
自信は無かった。
幸いというかレオリオは追って来ず、クラピカは雑踏を抜けると
路地裏で立ち止まり、大きく息をつく。

(レオリオ……)
クラピカは己が身を抱きしめる。レオリオの腕の感触が鮮明に
残っていた。
身体だけではなく、心も熱い。
寂しさや悲哀に似た感情と共に、何かとても心強いものを感じる。
レオリオに会えたから─── ただそれだけで。

クラピカは右手を見つめ、そして握り締めた。深紅のオーラが
淡く美しい輝きを放つ。

───
私は生きる。生きぬいてみせる。この先何が起きようとも、
決して挫けない。
いつか彼と共に歩める日が来るまで、どんな事にも耐えてみせよう……



───
夏の夜、魔都は希望という名の夢を見せた。



                END