「末は博士か花嫁か」

〜六幕〜



繁華街の一角に、ひときわ大きく上品な料亭が佇んでいる。
そこは一見お断りの老舗で、政財界の要人もたびたび足を
運ぶという。
芸者を挙げて飲めや歌えやの賑やかな宴席とは異なり、厳粛で
落ち着いた空間。
屏風一双、掛軸一幅、床の間に飾られた花にさえ、格の違う
高級感が漂っていた。

その奥の広い座敷に、二人の男が向かい合って座している。
一人はクルタ家当主の、クラピカの叔父。
もう一人は、彼をこの場へ呼び出したサトツ。
和装と洋装、短髪と長髪、無骨と優雅。彼等は絵に描いたかの
ように対照的で、客のプライバシーには不干渉が絶対の仲居
さえも、どういう関係だろうかと好奇心が疼いた。
人払いをされたので、会話を漏れ聞く事は不可能だったが、
座卓に並んだ会席料理にも手をつけず、二人は深刻な表情で
何やら話し合っている。

「……マジか」
「ええ、間違いありません」
さらりと肯定するサトツに、叔父は苛立ちを隠せない様子で
肩を揺すった。
「人事だと思って軽く言ってくれるじゃねえか。冗談じゃねえぞ、
よりによって…!」
それでもサトツに当たるのはお門違いとわかっており、動揺と
困惑の中、苦虫を噛み潰したように眉を顰め、頭を抱える。
「……本当に、そうなのか」
「はい」
繰り返される肯定に、叔父は語調を荒げた。
「だからってな、姪はまだ嫁入り前なんだぞ。そんな事、噂でも
世間に広まったら、一生ものの疵になっちまうじゃねえか!」
「将来よりも、今 目の前にある問題を心配して下さいませんか」
「〜〜〜……っ」
仮にも『先生』と呼ばれる職業の者が相手では、とても勝てない。
ましてサトツの意見は正論である。
叔父は逡巡しつつも、頷くしかなかった。
「……保証はしてくれるんだろうな」
「それは勿論。最善を尽くしますが、私だけでは役不足なら、
ネテロ学長にもご尽力を願うつもりですよ」
「……あの爺さんか」
毅然と断言するサトツは、直接の面識は無くても叔父にとって
狩人大学の先輩に当たる。
学長ネテロは、彼が現役の学生の頃から国内屈指の名教授。
その評判と、実績と、地位と人格は有名で、もはや彼らに頼る
しか道は無かった。
「仕方ない。……よろしく頼む」
大切な姪の為に、叔父は頭を下げる。
そんな彼に、サトツは安心させるように微笑した。
「後日、改めてお嬢さんの診断書をお届けしましょう」
「直してくれるんだろうな」
鋭い瞳を上げ、叔父は念を押す。
それでもサトツの穏やかな表情は変わらない。
「ご心配なく。私も医師の端くれですからね」
言いながら、憮然としたままの叔父に銚子を差し出した。

「お嬢さんは、必ずお助けしますよ」
「……ああ、頼む」
溜息をつきながら、叔父は杯を受ける。
これが最後の晩餐だなと頭の隅で考えながら。

「まったく……あいつも厄介な病に罹っちまったもんだ…」






夜半、叔父は一人帰路につく。
自棄気味に飲んだ酒は、高級銘柄だったにも関わらず不味かった。

「クルタの旦那」
その背後に甘い声がかけられ、ふと足を止める。
呼びかけの主は、近所に住む置屋の若女将。
「こんばんは。あらあら、珍しく良いお調子ねぇ。何か嫌な事でも
あったのかしら?」
図星を付かれ、叔父は閉口する。今は彼女の軽口をかわす余裕
など無く、型通りの挨拶だけして、その場を去るべく踵を返した。
「あぁ、そうそう。旦那のお家、この前から若い男がチラチラ様子を
うかがってるわよ」
「……何っ?」
穏やかならぬ発言に、叔父は振り返る。
女将は艶めいた流し目をよこし、意味あり気に笑う。
「夜盗とかには見えなかったけど、可愛いお嬢さんもいる事だし
お気をつけあそばせ」
そう言って二つ結びの髪をなびかせながら、女将はカランコロンと
下駄の音も高らかに去ってゆく。
彼女の言う『若い男』には心当たりがあり、叔父は駆け出した。

果たして屋敷の近くでは、長身の影がウロついている。
こんな真似をして人目についたらどうしてくれると、内心で毒づき
ながら、叔父はわざとらしく咳払いをした。
弾かれたように、レオリオは驚いて飛び上がる。
「何か用か」
「……い、いえ。…あの、ただ、近くを通りかかっただけで」
睨んだくらいで狼狽するようでは、まだまだ頼りない。
フンと大きく息を吐き、叔父はレオリオを一瞥した。
「たった今、テメェんとこの先生と会ってきた所だ」
「!」
「官憲に通報されたくなけりゃ、とっとと帰れ」
叔父はレオリオを押しのけるようにして道を進む。背後から何か
言われたような気がしたが、耳に入れなかった。


不愉快な感情が複雑に渦巻き、自然 足取りが荒くなる。
姪に縁談が来た時から嫌な気分は続いていたが、まさかこんな
事態に向かうとは思ってもいなかった。

更に一杯ひっかけなければ眠れないと思った、初春の宵。







クラピカの風邪は長引き、なかなか熱や咳がおさまらない。
レオリオはサトツの使いで、毎日のように薬や書簡を届けに
クルタ家を訪れている。
玄関先のやりとりだけでクラピカとは顔を合わせないものの、
値踏みするように睨む叔父の目をかすめて、見舞いの花を
贈り続けていた。

「クラピカさん、今日は水仙ですよ」
フワリと甘い香りが室内に漂う。届けられる花はそのまま季節の
進行を示していた。
「今夜の夕餉には、先日いただいた菜の花のおひたしをお出し
しますからね。残さず食べて下さいよ」
水仙を活けた花器を机に置きながら、センリツは力づけるように
優しく言う。
貧相な銘柄ばかりだが、生命力に満ちた強く愛らしい花々と
込められた彼の思いに、クラピカは嬉しさを感じていた。
だが同時に、胸をしめつけるせつなさが堪らない。
「どうして、こんな事をするのだろう…」
「クラピカさんを心配してらっしゃるんですよ」
それはわかっているけれど、クラピカは素直に喜べなかった。

このささやかな幸福は、今だけのもの。
完治したら、きっともう会えない。

そんな悲しみが胸に宿っていた所為か、一週間以上も寝込んで
しまった。




それでも少しずつ回復に向かい、庭を散歩できる程度には
気力も体力も戻り始める。
だがそんな時、最悪の事態が起きようとしていた。
ルシルフル中佐がクラピカとの縁談を進めるべく、直々に
クルタ家を訪れたのである。