「Before the dawn」 〜夜明け前〜 |
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絶海の孤島・ゼビル島。 第287期ハンター試験 第四次試験会場。 熱帯雨林地方に属するが、海洋性気候の為、しのぎやすい。 常緑樹が島の大半を占め、食用の植物や天然の湧き水も豊富。 野生動物は小型の哺乳類や爬虫類・両生類などが多数確認 されているが、人間に危害を加える可能性のある大型の猛獣は 生息していない。 ――― だが、猛獣よりも危険な生き物が上陸していた。 ヒソカと遭遇し、プレート一枚と引き換えに取引が成立した後、 レオリオとクラピカは全速力で逃走する。 あの危険な男から少しでも遠く、少しでも距離を空ける為に。 道なき道を駆け、木々の間を縫いながら、どれだけ疾走したのか 二人はようやく足を止めた。 初めて後ろを振り返り、追尾されていない事を確認する。 「……どうやら、追っては来なかったようだな」 「――― はぁぁ〜〜〜……」 レオリオは安堵のあまり、その場に座り込んでしまう。 深夜の森の静寂の中、苦しい呼吸の音がやけに耳についた。 「よりによって、あいつと出くわすとはなぁ…」 他の受験生なら、そうそう生命まで奪られるとは思わない。 しかしヒソカだけは別だ。第一次試験のヌメーレ湿原で、彼の 異常な性癖と強さは身にしみて知っている。 それでも逃げられたのだから、運が良いのか悪いのか。 「どこか、休める場所を探さなくては」 「ここでいいよ。オレもう動きたくねえ」 少しでも人目につかぬようにと考えるクラピカに、レオリオは ぶっきらぼうに答えた。 「軟弱なのだよ。情けない」 「……うるせーや」 言葉を返してはいたが、疲弊状態はクラピカも同じである。 剣を握り締めたままだった事に気づき、腰の後ろに収めるべく 腕を回す。 ところがその瞬間、二刀一対の剣は地面に落ちた。 汗で滑ったのかと考え、クラピカはすぐに拾ったが、鞘は妙な 感触がして、再び取り落としてしまう。 「……?」 「どうした?」 さすがに、目の前で見ていたレオリオも不審に思った。 クラピカはようやく己が手の異常に気づき、両手を顔前に 上げて見る。 「…………」 すべての指が、小刻みに震えていた。 クラピカは愕然とする。 確かに、生命の危機や緊張感は強く感じたけれど。 かけひきは成功し、無事に逃げ切ったというのに。 無意識下で、こんなにも恐れていたのか。 「……私の方こそ、情けないな」 「…無理ねぇよ」 事態に気づいたレオリオは、苦笑しながら慰める。 「オレもガキの頃から何度もヤバイ奴と渡り合ってきたけどよ、 ヒソカみてーなのは初めてだし。ビビって当然だ」 「別に怯えてなどいない。これはただの生理学的な反応だ」 それでもクラピカは虚勢を張っていた。 うまく動かない手で剣を拾い、毅然とした態度を保とうとする。 (口先で強がってても、身体は正直なのにな) そう思ったが、レオリオは口には出さなかった。 代わりに、クラピカに向かって手を差し出す。 「何だ?」 「手」 「立たせて欲しいのか?世話の焼ける男だな」 迷惑そうに呟きながら、それでもクラピカは彼の手を掴む。 だが次の瞬間、強い力で引っ張られた。 「う……わっ!?」 気づけば、レオリオの腕の中。 「何をする!」 「動くなって」 クラピカを包み込むように抱きしめて、レオリオは言う。 とはいえ、彼の思わぬ行動に動揺してしまい、クラピカは じたばたと暴れた。 「離せっ」 「少し、じっとしてろ」 言いながら、背中をポンポンと叩く。 その仕草に、クラピカはふと我に返った。 レオリオはクラピカを抱きしめながら、髪を撫で、背を軽く叩き、 耳元でささやく。 「危なかったなあ…」 「…………」 「マジでビビった…」 「…………」 「…でも、もう大丈夫だからな」 「…………」 「助かったんだよ」 「…………」 まるで、子供をあやすような言い方だった。 ――― 私は死など恐れないし、現時点で死ぬ気も無い。 怖がっていたのはレオリオの方だろうに。 そう思ってはいたけれど、クラピカは何も言えずにいる。 「大丈夫、大丈夫だ」 繰り返されるレオリオの声が、あまりにも心地よく響いたから。 彼のぬくもりが、大きな掌が、とても優しく感じられたから。 ふっと糸が切れるように、固まっていた全身が弛緩した。 顔を埋めた広い胸から、心音が聞こえる。 全力疾走した所為か、緊張と恐怖の為か、その鼓動は大きく早い。 だけど不思議に暖かく、頼もしく、そして安心感を誘われた。 心臓の脈動は、生命の証。 自分たちは、今ここに、生きている。 そんな実感が、伝わる体温と共に全身に広がってゆく。 クラピカは無意識に目を閉じて、大きく息をついた。 (……もう、大丈夫…) 「……クラピカ?」 長い沈黙の後、レオリオは名を呼ぶ。 しかしクラピカは既に意識がなく、静かな寝息を立てていた。 落ち着かせる意図で抱きしめたものの、眠ってしまうとは予想外で レオリオは困惑する。 (……ま、いっか) 目的は果たせたのだし、あえて起こす必要も無い。 そう思って、クラピカを胸に抱いたまま、少しだけ位置をずらして 近くの樹に背をもたれる。 だが一息ついた直後、心臓が跳ね上がった。 「……!!」 10数メートルほど離れた茂みの向こうを、人影が歩いている。 しかもそれは、見覚えのある――― つい先刻も出会った男。 (ヒソカ……!!) レオリオが認識すると同時に、彼もこちらを向いた。 月夜が災いして、最悪にも目が合ってしまう。 クラピカの言った通り、隠れる場所を探しておけばよかったと 今更ながらに悔いる。 (ちくしょう……やっぱりダメか?) 背後は大樹で、逃げ場は無い。クラピカは眠っていて無防備、 レオリオ自身、臨戦態勢を取れる状態ではなく、絶体絶命だ。 もしプレートで片が付くならと、自分のカバンを目線で示すが、 それでも命の保証は無いし、二対一でも危なそうな相手を、 一人で倒せる自信も無い。 ではどうする? レオリオはクラピカをかばうように抱きしめた。 トランプなら、頚動脈でもやられない限り即死の可能性は低い。 カウンターで相打ちは無理としても、クラピカを逃がすくらいの 時間は稼げるだろう。 否、意地でもそれだけはやってやる。安い命だが、盾くらいの 価値はあるのだ。 レオリオは微動だにせず、背水の陣の覚悟で臨む。 しかしヒソカは攻撃行動には出ず、例の張り付いたような笑顔を 浮かべ、四枚のプレートをヒラヒラとかざすだけだった。 そのまま、何事も無かったように遠ざかる。 一瞬の邂逅は、何時間もの死闘より長く感じた。 再び静寂が戻り、レオリオは全身から脱力する。 プレートに書かれた数字は、暗くて読み取れなかったが、彼の 事だから本来のターゲットを見つけて奪ったのかも知れない。 ゆえに、他のプレートは要らなくなったのか。 それとも、ただの気まぐれか。 何にせよ、一晩の内に二度も死の恐怖を味わうとは思っても いなかった。しかも同じ人物によって。 握り締めていた掌には、ジットリと冷や汗がにじんでいる。 深呼吸をして、気を落ち着けて、腕の中に目を向けた。 ヒソカが足音どころか気配も立てなかった為か、クラピカは 眠ったままである。 その寝顔に生存を実感し、改めて安堵した。 『見逃してもらった』などという事実は自負に反するが、それでも 今は良かったと思う。 自分の実力ではヒソカには勝てないとわかっている。 それでも、クラピカだけは守りたかったから。 その為ならプレートどころか、身を挺してもかまわないと。 (……ああ、そうだったのか…) レオリオはようやく自覚する。 夢より、プライドより、命より、大切に思っているのだと。 つい数日前に出会ったばかりで、尊大で生意気な、今、自分の 腕の中にいる人を。 遊びの恋ならいくつもしてきたが、こんな感情は初めてだ。 伊達男を気取っていたのに、何とも情けない話である。 だけど、もう大丈夫。 自分で気づいて、理解したから。 (何つって口説きゃいいかなあ…) 先ほどまでとは違う意味で苦笑を浮かべ、レオリオは再度 クラピカを抱き寄せる。 南の島の早い夜明けはもう間近だった。 |
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END お題のつもりで書いてましたが、あまりの違和感に独立。 その名残りが最後の行に(^^;) |