「弥生日和」



(そういえば、もう三月なんだったな)
知人の陶芸展に顔を出した後、商店街を歩いていた彼は
ショーウィンドゥに飾られた豪華な七段飾りの雛人形を見て、
たった一人の姪を思い出す。


クラピカの両親が亡くなり、叔父が引き取ったのは五年前。
まだ20代だった独身貴族の彼は突然、12歳の娘持ちになって
しまった。

「お世話になります、叔父上」
それまで住んでいた家を人に貸し、スナカ郊外にある叔父の
家に身を寄せたクラピカは、年齢に似合わぬ礼儀正しさで、
どこか子供らしさを感じさせない。
とにかく、この姪を歪ませず、正しく健やかに生育させる事が
亡き兄夫婦への供養と責任だと決意して、名だたる育児本や
教育読本を読みあさり、いろいろと知識を仕入れた。
親のいない寂しさを感じさせないよう、父親もしくは兄代わりと
なって、大切に慈しんで育てたつもりである。
――― しかし現実は厳しかった。

クリスマスの夜、サンタを気取って姪の枕元にプレゼントを
置いた翌朝、贈った本を熱心に読む姿を嬉しく思ったのに、
「就寝中に寝室へ立ち入るのは遠慮してもらいたい」
と言われて落ち込まされた。
「モノより思い出」の信念で、一般家庭並みに動物園やら
遊園地やら観光名所やら、いろんな場所へ連れて行っても、
姪が唯一リピーターとなったのは国立図書館だけ。
その探究心の深さは学者だった父親ゆずりだと納得したが、
姪は容姿も性格も女らしさに欠けており、やはり女親の存在が
必要なのだろうかと一時は真剣に悩んだのだ。
とはいえ変に色気づかれても困るので、結局そのままにして
しまったが、中学時代、文化祭の準備で帰宅が遅れると聞いた
時はさすがに心配で、校門の前まで迎えに行ったら
「同級生に過保護と思われて恥ずかしい」と一刀両断。
「変質者に出くわしたらどうするんだ」とたしなめても、
「何の為に武術を学んだと思っている」と切り返される始末。
確かに、そのへんのヤワな男2〜3人なら撃退できる技量を
身につけてはいるのだが。
クラピカはぬいぐるみやアクセサリーのような可愛らしい小物
よりも、参考書や専門書を好んで集めている。
勉学熱心なのは良い事だが、一応女の子なのだから、少しは
おしゃれ心も開眼させねばと、誕生日には同世代の少女に
人気だというブランドの可愛いワンピースを選んで贈った。
その時、店員に不審な目で見られてしまい、「娘にです」と、
訊かれてもいないのに説明した記憶がある。
それを着て「ありがとう」と言われた時は父親(?)冥利に
尽きたが本音では姪の好みではなかったらしく、以降その
ワンピースはタンスの肥やしと化してしまった。

とにかく女の子というものは難しい。
ただでさえ男には理解できない謎の生き物なのに、年齢が
違えばジェネレーションギャップも壁になる。
放任もダメ、過干渉もダメ。与える小遣いの額さえ悩んだ。
結果、父娘や兄妹というより、師弟のような感覚で信頼関係を
築くに至る。
そうやって、人知れず苦悩はあったものの、姪は反抗期もなく
――― 素の状態こそが反抗期と言えなくもない気がするが―――
成績も非常に優秀、品行方正、家事の手伝いも自発的に行うし
――― その割に料理が上達しないのは不思議だが―――
おまけに、母親に似て美人に育った。
今いち愛想が良いとは言いがたいが、叔父としては充分満足だ。
しかも、弱冠15歳にして大学入学資格を得た彼女が選んだのは、
叔父の母校でもあるハンター大学。
合格の祝杯をあげながら密かに歓喜にむせんだのは内緒である。
通学の為に一人暮らしをすると言い出した時は正直 迷ったが、
年頃でもあるし、叔父とはいえいつまでも独身男の手元に置く
のも可哀相かと判断したのだ。
――― その決断こそが大きな間違いだったと激しく後悔したのは
入学からわずか一年後の事。
あの潔癖で古風な思考の持ち主である姪が、よもや男と同棲を
始めてしまうなど、予想もつかない晴天の霹靂だった。


しみじみと過去を回想していた叔父は、ついよぎったイヤな
記憶を振り払うように頭を振る。
いろいろ苦労もしたはずなのに、思い出は常に美しい。
雛人形に視線を戻し、再び記憶の中に没頭する。

クラピカを引き取った直後、少しでも姪を幸せにしてやるには
どうしたら良いかと暗中模索の日々が続いた。
やがて季節は移り、春が訪れる。春と言えば、雛祭り。
女の子の健康と幸福を祈願し人形を奉る雛節句は、男兄弟
しかいなかった叔父には無縁の行事だったが、今年からは
姪の為に開催しようと思い立つ。
祖母の代から受け継ぐ七段飾りを蔵から引っ張り出して飾り付け
本格的な雪洞に灯りをともし、雛あられや甘酒や菱餅も買い、
新しい振袖をも用意した。
「一体、何の騒ぎなのだ」
「今日は雛祭りだろ」
知らぬ間に準備を進められていたクラピカは驚いたようだが、
それでも綺麗な着物を着付けられ、豪華に飾られた雛人形を
前に、とても嬉しそうに笑ってくれた記憶がある。

――― ああ、あの頃のクラピカの可愛さときたら!

金の髪に映えていた大きな赤いリボン、花かんざし。
肩上げのついた振袖は、呉服屋で一番上等の正絹だった。
長い袖を引き摺らないよう、しずしずと気を使った歩き方。
その姿を見た近所の奥さんが、せっかくだからと化粧をして
くれて。
親バカだろうが叔父バカだろうが、誰にも文句は言わせない。
華やかな桃色の振袖をまとい、生まれて初めて白粉を塗り、
赤い口紅を唇に差したクラピカは、それはもう人形のように
可愛いかったのだ !!

それが今や……と考えると、涙が出そうになる。
男泣きしそうになるのをぐっと堪え、叔父は拳を握り締めた。
よくよく考えたら、雛飾りというのは輿入れを模したものである。
娘など(姪だが)いつか手放す運命である事は百も承知だが、
まさか齢16歳で深い仲になる男ができようとは。
まさか齢17歳にして、婚約を宣言しようとは。
デキ婚だけは許さんと言い渡してあるが、怪しいものだ。

――― 昨今の娘は晩婚だとか、独身主義が増加しているとか
言われているというのに。
せめて成人式には『振袖』を着てもらいたいと切に願う。

クラピカに初めて晴着を着せた雛節句の、初々しくも愛らしい
嬉しそうな姿を脳裏に描き、悶絶せんばかりに打ち震える男の
姿は、道行く人々にとって不審者でしか無かった。






懐かしい記憶を巡らせる内に、会いたさがつのり始める。
せっかく近い街に来てるんだし、と自分に言い訳をして、叔父は
甘酒を買ってクラピカの部屋を訪れた。
邪魔者がいるかも知れないが、姪と雛節句を祝う叔父を優先
させるのは当然の礼儀だろうと、いささか強引な理屈を用意して。



玄関ドアを開けた姪は、突然の来訪に目をまたたいたが、
土産だ、一緒に飲もう と差し出した甘酒を見て満面の笑顔に
変わった。

「ありがとう叔父上。レオリオの誕生日を祝いに来てくれるなんて
思ってもいなかったのだよ!」



――― 今日は楽しい雛祭り。

END
叔父上の記憶の中のクラピカは12歳より幼そうですね(^^;)