「いつか、きっと」



クラピカが休暇だと連絡をして来たので、レオリオは
早速デートの約束を取り付けた。
前に会ってから何日ぶりか数えるには、指が足りない。
ただ嬉しさだけを意識して、部屋を出る。
現在の勤務地からは陸路で来られると言うクラピカを
迎えに、レオリオは駅へ向かった。

ホームへ出て待つには、まだ時間が余っている。
レオリオは足を止め、駅前のベンチに座った。
そこは植樹や祈念碑の建つ人工の広場で、小さな公園の
風情は待ち合わせ場所として有名である。
彼の他にも恋人を待つ若者たちが何人もいて、そわそわと
携帯や腕時計を眺める姿は、ハンターも庶民も変わらない。

「待ち合わせですか?」
不意に声をかけられ、レオリオは視線を向ける。
細長いベンチの隣に、いつのまにか若い女が腰掛けていた。
「ええ、まあ」
見れば、レトロなコートをまとったなかなかの美人だが、
愛しい恋人を待っている時に、鼻の下など伸ばせない。
それでも美女に声をかけられたら、悪い気はしないのが
男という生き物である。
無難に返答するレオリオに、女は静かに微笑した。
「…恋人を?」
「ああ」
その問いかけに、レオリオは胸を張って肯定する。
もしかして逆ナンなら、早々に諦めてもらわなくては。
しかし女の次の発言は、そんな危惧を覆した。
「私も、恋人を待っているんです」
「……そうですか」
安堵しつつも、心のどこかで残念がっている自覚を、
レオリオは意図的に排除する。
そんな心境をクラピカに知られたら、殴られるだけでは
済むまい。
とりあえず、当たり障りの無い世間話で時間を潰そうと
軽い気持ちで口を開く。
「オレ、到着時間より早く来すぎちまったんだけど、
こうして待つのも悪かないですよね」
「悪くない……ですか?」
「ああ。久々の再会だから、第一声は何て言おう、とか
どんな話題を振ろうか、とか考えると、ウキウキするし」
「…………」
「どの店でメシ食おうか、どこを案内してやろうか、とか
いろいろシミュレーションするのも、待ってる間の楽しみ
じゃないッスか?」
しかし軽快に流れる言葉を聞いていた女は、寂しそうに
俯き、視線を落とした。
「……それは、あなたが待つ身の辛さを知らないからです」
「…え?」
「私は……もうずっと待っているのに…」

(しまった……)
レオリオは恋愛沙汰では場数を踏んでいる。女の言葉と
態度で、だいたいの察しはついた。
――― もしかすると、恋人に捨てられたのかも知れない。
戻らぬ男を待ち続けているのかも知れない。
だとすれば、マズイ事を言ってしまったか。

「ずっとずっと待っているのに、彼は来てくれないんです…」
遂に女は涙を流し始めた。
さすがに動揺するレオリオだが、生来のフェミニストでもあり
関係ないからとこの場を逃げるのは気が引ける。
かといって、これではまるで自分が泣かせたようではないか。
『待つのも悪くない』という一言がきっかけだとしたら、確かに
そうなのだが。
しかしこういう場合、何と言って慰めたら良いのかわからない。
――― 口説くのなら、いくらでも文句を知っているけれど。

「待ってるのに……約束したのに、どうして来てくれないの…」
「あ、あの…」
「どうしてなの……私はずっと待っているのに…」
両手で顔を覆い、しくしくと泣き続ける女に、レオリオはただ
オロオロと焦るばかり。
周囲の誰も彼に冷たい視線を向けないのは救いだが、こんな
場面をクラピカに目撃でもされたら。

「レオリオ」
――― 悪い予感ほど的中するのが世の常らしい。
名を呼ばれた瞬間、レオリオの心臓が凍りついた。
最愛の相手の声を畏怖と感じるなんて情けない。
「ク…クラピカ。早かったんだな……」
青ざめた笑顔で振り返るレオリオに、クラピカは怪訝な
表情を浮かべる。
「……どうしたのだ?」
その視線は、明らかにレオリオではなく隣の女性に向けられ
ていた。
「あ、あ、あの、その、こ、これは…その……この人は…」
しどろもどろに弁明を試みるレオリオだが、言い訳の言葉を
思いつかない。
たまたま隣り合わせて、二言三言会話をしたら泣き出した
などと、どう説明したら良いというのだ。
クラピカの無表情が恐ろしい。
しかし、その唇から出てきたのは、冷たい罵声ではなかった。
「…ここで何をしているのです」
―――?」
予想外の穏やかな声音に、レオリオは一瞬 呆けてしまう。
クラピカの問いかけに、女は泣きじゃくりながら返答した。
「恋人を……待っているんです」
「その人は、ここには来ませんよ」
容赦のないクラピカの言葉に、レオリオは目を丸くする。
「おい、いくら何でもそんな言い方…」
「お前は黙っていろ」
口を挟むレオリオを一言で制し、クラピカは更に続けた。
「貴方は待ち合わせ場所を間違えている。だから、いくら
待っても、貴方の恋人はここには来ない」
「間違えて……?」
女はふと顔を上げる。
「だって、ここで待ち合わせるって約束したのよ。だから
私はずっと…」
「でも、ここにいる限り彼とは会えない」
「だったらどこへ行けばいいの?どこへ行けば彼に会えるの?
……貴方は、知っているの…?」
すがるような瞳で見つめる女に、クラピカは静かに微笑した。
「光さす方へ」
「光……?」
女はキョロキョロと周囲を見回し、再びクラピカに視線を戻す。
「光なんて見えないわ。周りはすべて暗闇だもの」
「大丈夫だ」
クラピカはすっと目を閉じ、小さな声でなにごとか呟き始めた。

――― 天に還り、地に宿り、其の身体はこの地を逃れて
其の魂は空に舞いたつ。この陽の光と月の光を一身に浴び、
緑の恵みが其の身を潤す。この地を吹き抜ける風に其の身を
委ねよ……」

「……!!」
呆然と見つめていたレオリオは、目前の光景に驚愕する。
クラピカが紡ぎ出す言葉に合わせるかの如く、女の身体が
薄れ、輪郭がぼやけ始めた。
それは次第に淡い輝きを放ち、そして
―――

悲しげだった女の表情に、かすかな微笑が浮かぶ。
まもなくその姿は、煙のように掻き消えた。

「お前は美女と相席できるなら、この世の者でなくても良いのか」

あきれたようなクラピカの一言は、レオリオにとどめを刺した。




この広場では、数十年前に凄惨な多重衝突事故が起きており、
レオリオが座っていたベンチの後ろには、祈念の慰霊碑が
建っている。
犠牲者の中には、現在と同じように、この場で待ち合わせを
していた若者たちが多くいた。

「今、何月だと思ってんだよ……つーか、真昼間なのに…」
「ああいうものは季節も時間も問わないのだよ」
生まれて初めて、人ならぬ存在と対峙してしまったレオリオは
頭を抱えるが、クラピカの方は平然としている。
それに先刻の遣り取りも、ずいぶん慣れた様子だった。
「……お前、何やったの」
「クルタ族の経典にある、鎮魂の文句を唱えただけだ」
「……霊媒師かよ」
「我が一族は基本的に、霊的な勘が強い体質なのだよ」
――― なぜか同胞の姿だけは、見ることができないけれど。
そう呟いてクラピカは寂しげに視線を落とす。
緋の眼といい、神秘性の高い種族だから、言われてみれば
納得できた。
しかしレオリオには、その方面の能力はまったく無い。
今まで一度も遭遇した事など無いし、まして、あの世の人間が
あんなに明瞭に見えるとは思わなかった。
それでも周囲の人間には、彼女が見えていなかったらしい。
「お前はともかく、なんでオレにも見えたのかなぁ」
「……私の所為かも知れないな。勘の強い人間と接触して
いると、多少なり影響されるというから」
すまなさそうに笑いながら、クラピカは心の中でもう一つの
可能性を考える。

周りはすべて暗闇だと、あの女は言った。
しかし彼女はレオリオに声をかけた。
それは、レオリオの姿が見えていたからに他ならない。
死してなお想いを残し、行き場を見失った者には、彼の
一途でまっすぐな魂が、光り輝いて映ったのかも知れない。
――― クラピカにとって、そうであるように。

(霊魂も相手を選ぶようだが、レオリオに憑かれては
困るのだよ)
経典の文句だけで導く事ができて良かったとクラピカは
安堵する。

「彼女、成仏したのか?」
「ああ、おそらく」
「じゃあ、恋人と再会できるかな」
「……どうだろうか」

ふと不吉な思考がクラピカの脳裏をよぎった。
もしも何処かで命を落としたら、自分もレオリオを待ち続ける
のだろうか。もはや来る事の無い恋人を。
――― 来ない自分を、レオリオが待ち続けるよりはマシかも
知れないけれど。

「何十年も待ったんだから、すぐには無理でも、いつか
きっと会えるだろ」
暗い想像は、レオリオの明るい声に一蹴される。
クラピカは丸くなった瞳を彼に向けたが、それはすぐに
笑みに変わった。
――― そうだな」

たとえ離れ離れになったとしても、必ずまた会える。
それがどんなに長い年月であっても。
――― いつか、きっと。


「でもな、クラピカ」
「え?」
「オレたちは『いつか』じゃなくて『今』を堪能しようぜ」

今更ながら、レオリオはクラピカを抱きしめた。
久しぶりの再会を喜びながら。



END
※クラピカのセリフは一部変更してあります。
多分、違反にはならないハズ(汗)