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その日の早朝、朝焼けの光が降り注ぐベランダに立つキルアは、
睡眠不足の目をこすりながらつぶいた。
「……もー限界」
ゴンとキルア、クラピカとレオリオ。4人が知り合ってから
かなり経つが、宿を取る際の部屋割りは、いつしか前者コンビと
後者コンビに別れるのが暗黙の了解で決まっていた。
何も問題は無いし、文句も出ない。それはきわめて自然な経緯
だったのだが。
「オレ、もうあの部屋ヤダかんな。もう一室取るか、クラピカが
ゴンと同室になるかしてよね」
ホテルのカフェで朝食を摂っているさなか、突然そう宣言され、
キルアを除く三名は驚いた。
彼は元々協調性のある方ではなかったが、いきなり我侭を
かますほど身勝手でもなくなっていたのに。
「どうして?キルア。オレ、何か気に入らないことした?」
それまで同室だったゴンは真っ先に問いかける。
「ゴンには関係ねーよ。あの部屋がヤなだけ」
キルアは即座に否定するが、視線を逸らせたままなので
説得力はあまり無い。
「何言ってんだ。ロイヤルツインの高い部屋泊まってんのに、
我侭言ってんじゃねーぞ。それともオバケでも出たのか?」
「そんなもん、オレが怖がるかよ」
レオリオが揶揄まじりにたしなめるものの、キルアの仏頂面は
変わらない。
普段から愛想が良いとは言い難い彼だが、今日は特に不機嫌な
ようだ。
「理由も言わずに一方的な主張だな、キルア。それは団体行動を
乱す意味で問題だと思うのだよ」
「……はみだし者なんだよ、悪ぃけどな」
遂には説得の真打ちが登場するが、キルアは眇めた瞳で一言
返すのみ。
レオリオはコーヒーを置き、姿勢を正してキルアに向き直った。
「そんな態度は良くねーぞ。だいたいなぁ、他人様がベッドメイク
してくれた布団で眠れるのはありがたーい事なんだぜ。当たり前
だとか思ってねぇか?」
「そうだぞキルア。人間、起きて半畳・寝て一畳だ。そもそも
宿に限らず、雨風しのげる場所ならば贅沢を言うものではない」
ひねくれた子供を矯正するのは年長者の責務とぱかりに、
レオリオとクラピカは説教を始める。
そんな二人の言葉をキルアは鬱陶しそうに聞き流していた。
「何が不満なのだ」
「我侭を言うな」
結局はその2点なのだが、キルアは明確な理由を示さない。
やがて、不安そうに見守っていたゴンが立ち上がった。
「ごめん!!キルア」
いきなり謝られ、キルアは目を丸くする。
「オレ、寝相が悪いから、キルアのベッドまで侵入しちゃった?
それとも寝言?きっと安眠妨害されて、それで怒ってるんでしょ?」
思いがけないゴンの思考に、キルアは慌てて否定した。
「そんなんじゃない。ゴンには関係ねぇって言っただろ」
「だったらなんで部屋換えなんて言うのさ。オレが知らない間に
何かしちゃったとしか思えないよ。だから謝るね、キルア」
「あのなー、ゴン…」
すっかり自分のせいだと思っているゴンにキルアは困惑するが、
左右から降り注ぐ声に追い討ちをかけられる。
「ゴンは悪くねぇぞ。寝相だの寝言だのなんて、本人の責任じゃ
ねぇかんな」
「ベッドを離すとか、耳栓をするとか、打開の方法はいろいろある
はずだ。試してみたか?」
「…………」
キルアの額には、次第に青筋が浮かび始める。
しかしレオリオとクラピカは、気付かず説教を続けた。
「だいたいなぁ、友達の寝相や寝言が気になって眠れないたぁ
神経質だぞ?昼間あんだけパワー全開してるくせに、まだ元気が
余ってんのか?」
「キルアが人との接触に不慣れなのはわかるが、だからといって
部屋換えまでするほどの事はないだろう。むやみにハンター証を
無駄使いするだけではないか」
「ごめんねキルア。オレ、これから気をつけるから…」
「……………」
キルアの拳がフルフルと震える。
黙ったままの彼を置き去り、周囲は勝手に話を進めてしまう。
「やっぱ、まだまだ子供だよな。我慢を覚えるのも大事だぞ、
小せぇ事にこだわってちゃ成長できねーぜ?」
「我々も協力するのだよ。とりあえず、藪から棒に部屋換えなどと
言わず、円満解決の方法を考えよう」
「寝言を抑えるのって、どうすればいいかな?」
――― ぷっつり。
「ん?どーしたキルア?」
「キルア?」
「………………うぜぇんだよ」
蒼くゆらめくオーラを背負い、黒キルアと化して彼は立ち上がる。
その姿は、近頃めっきり見なくなった殺し屋モードに近い。
驚きと緊張に戸惑う三名を前に、キルアは一気に言い放った。
「誰のせいだと思ってんだよ、ゴンじゃなくて
レオリオ!クラピカ!アンタらだろ!! 毎晩毎晩
飽きもせずにガンバリやがって、うるせーったら
ねーんだよ!! オレの聴力じゃイヤでも聞こえるっ
つーの!! 隣にオレらが寝てるってわかってんなら、
もー少し声落としたってバチ当たらねーぜ!!
いー加減にしてくれよなまったく!!!!」
しばしの沈黙。
他の宿泊客たちが注目する中、肩で息をしながら、
キルアは再び着席する。
対して、後の三名はと言えば。
赤くなって固まるレオリオ。
青くなって固まるクラピカ。
カフェの中の空気は凍りついている。
ゴンは目を丸くしたまま ゆっくりと視線を移した。
「………………ねェ、クラピカたちって」
「ぅわ゛ーわ゛ーわ゛ー〜〜〜!!!!」
予想しえる最凶の質問を遮る為の大声が上がる。次の瞬間、
クラピカは顔どころか目まで緋くしてレオリオの胸倉を掴み上げた。
「ききき貴様が悪いのだ!! だから私はイヤだと言ったのにっ!」
「オ、オレだけのせいかよ!?お前だってなんだかんだ言って結局…」
「バっバカ、人前で何を言い出すか――― !! 」
突如としてケンカを始めてしまった二人を、ゴンは唖然と見つめる。
キルアはといえば、腹の底にたまっていた日頃の不満を爆発させた
為か、ずいぶんスッキリした気分だった。
思えば今まで、ゴンへの悪影響を阻むべく人知れぬ苦悩を重ねて
きた彼である。そんな努力も知らず勝手にいちゃいちゃしている
大人たちに文句をぶつけたとて、一体誰が責められようか。
「…ねー、キルア」
「ん?」
テーブルに残っていたジュースを飲みながら、キルアは返事をする。
何を訊かれるのか、なんとなく予想はついていた。
「あの二人、そんなに寝相悪いの?」
「ああ、もうサイテー」
「寝言も?」
「そ。うるせーのなんの」
案の定、出て来たのは無邪気な質問。適当に受け流しながら、
キルアは内心で舌を出す。
ついブチ切れて言いたい事を言ってしまったが、やはりというか
ゴンは大人たちの事情を一切気付いていない。
なにしろ彼はベッドに入れば5秒で寝つくから、隣室の秘密など
知るよしも無かった。
ゆえにこっちはノープロブレム、後は野となれ山となれ。
キルアはゆったりと座ったまま、デザートに手を伸ばす。
そんな彼の隣で、ゴンは困ったようにレオリオたちを見つめた。
二人は原因を押し付け合いながら、大ゲンカを続けている。
「…よくわかんないけど、止めなくちゃ」
「放っとけよ、ゴン」
「そんなのダメだよ。レオリオ、クラピカ、ケンカやめて!」
しかし仲裁に入ろうとしても、当事者たちは聞いちゃいない。
「共同責任だろーがよ!」
「仕掛けて来るのは貴様ではないかっ!」
「んなこと言ったって、あればっかりは仕方ねーだろ!」
「忍耐力が足りないのだよ!このケダモノ!!」
「何だよその言い方!あん時とは別人みてーな憎たらしさだな!!」
今にも物が飛びそうな勢いだが、実際は睨み合いと怒鳴り合いの
応酬である。レオリオが女に手を上げない主義ゆえ、クラピカも
暴力に訴えないのだった。
「レオリオ!クラピカ!もう、落ち着いてってば!!」
既に『その人を知りたければ何に対して怒りを感じるか云々』という
問題でもなく、ゴンはとにかく争いを止めるべく必死に叫ぶ。
「やーめーてーよー!! どうしちゃったんだよ、ふたりともいつも
好きだ好きだ言ってるくせにー!!!!」
――――――・・・・・・・・
再度 カフェの中は凍りつく。
というより、時間が停止したかのようである。
レオリオとクラピカは、真っ白になって石化した。
ちなみにキルアも固まっている。彼が手に持っていたリンゴは、
哀れにも握りつぶされていた。
シーーーーーーーーンと静まり返ったカフェの中、誰もが硬直して
動かない。まるで、生存しているのがゴン一人であるような錯覚。
そのゴンは、急激に鎮静した事態に、不思議そうに目をパチクリ
させる。
「…………………… な、ん、だって……?」
「…………ゴ……ゴン、今…………何と…言った…?」
「……し……知ってたのかよ……?」
ようやく凍結の呪縛から脱したレオリオとクラピカ、そしてキルアも、
ひきつりながらゴンに問う。
彼の前で、恥も外聞もなくそんな台詞を口にした事など無いはずだ。
しかし、不可解ながらもケンカが中断して気を良くしたゴンは、いとも
サラッと言いきった。
「うん、知ってるよ。レオリオたちって夜、部屋で、好きだって
言い合ってるでしょ?寝てる時、たまに聞こえるもん」
(・・・・・・・・・・!!!)
レオリオは顔から火を吹きそうになる。
クラピカにいたっては、燃えつきて灰と化しかねない。
キルアはテーブルを通り越して、床にすがりつきたくなった。
「そんな仲良しなのに、わけのわかんない事でケンカなんかしちゃ
ダメだよ。絶対後悔するに決まってるんだから」
三名の脳裏に、同一の思考がよぎる。
(・・・この野生の少年の聴覚を侮っていた・・・)
キルアに聞こえたものが、ゴンに聞こえないはずはなかったのだ。
救いは、『好き』の意味を言葉通りに捉えている事と、それ以上の
コトには気付いていなさそうな事くらいか。
それでも最年長者の威厳を見事に失ったレオリオは落ち込み、
周囲の冷たい視線に気付いたクラピカはその場にいたたまれず、
自ら墓穴を掘りかけたキルアは、寿命が縮んだ。
「はい、じゃあ仲直りしてね。二人とも」
正義の天使はにっこりと笑い、最後の務めを言い渡す。
仲介されながら握手をするレオリオとクラピカは、真実を暴露される
以上の恥ずかしさだった。
そして彼等は心に誓う。
(今夜からは隣室じゃなく、別フロアの部屋に換えてもらおう…)
最初っからそうしておけば良かったのだ。
君子危うきに近づくなかれ。
――― Good−Night。
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