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9月6日、午後。
念の鍛錬に余念のないゴンの前に、ようやく熱の下がったクラピカが
顔を見せた。
幻影旅団は追わず近々ヨークシンを離れると言う彼女の言葉に、
ゴンは一応安堵する。
「ねェ、クラピカ。将来、仲間の眼を全部集め終わったらどうするの?」
ゴンは邪気の無いキラキラした瞳を向けて問い掛けた。
「……そうだな。まだ予測もつかないが、仲間の墓前に報告をして
それから考える事になるだろう」
以前に誰かも似たような質問をしてきたなと思い返しながら、クラピカは
返答する。
「そっか。じゃあさ、その時に一つお願いがあるんだけど」
「何だ?」
なごやかに問い返すクラピカだったが、次に出て来たゴンの言葉は
予想外のものだった。
「クラピカ、オレのお嫁さんになってよ」
――――――…………
「……あの、ゴン。すまないが今、何と言った?」
「オレのお嫁さんになって、って」
しばし石化していたクラピカは、ひきつりながら口を開く。
対してゴンは至極明るく元気よく、明解に即答した。
「…わ、私がか?」
「うん♪」
満面の笑顔を向けるゴンに、クラピカは困惑する。
どこの国の法律でも12歳では婚姻不可能だが、ゴンがこの類の
ネタで冗談を飛ばすとは思えない。
かといって真剣な申し出かと言えば非常に微妙だが、『はいはい、
なろうね』などと軽く受け流して終われるほど幼くはないだろう。
クラピカは心の中で、冷静になるよう己に言い聞かせる。
「……訊いて良いかな。その…、なぜ私に?」
「この前くじら島を出る時にね、ミトさんに言われたんだ」
『ジンみたいに、ある日突然子供連れて帰って来たりしちゃイヤよ。
せめてお嫁さんになる人を先に連れて来なさいね。――― あ、でも
ゴンにつきあえるような強い女の子はなかなか見つからないかしら』
「――― って。でも、クラピカならオレより強いし、どこ行くのも大丈夫
だよね?」
誉められてるのか何なのか。クラピカは眩暈を覚えた。
それではまるで冒険の旅にでも同行する基準ではないか。
お嫁さんとは、そういうものではないだろうに。
「あのな、ゴン……」
「それにオレ、クラピカのこと大好きだし♪」
少しは理解しているのか、ゴンは天使の笑顔でそう告げた。
もちろん嘘では無いだろうが他意も無く、言葉通りの意味だろう。
「もちろん今すぐじゃなくていいよ。お互い、しなきゃならない事
あるしね。オレが大人になってからでいいから」
クラピカは気が遠くなりそうだった。
そもそもクラピカにとってゴンは弟のように可愛い存在だし、大切な
友人で、かけがえの無い仲間だと思っている。
だからこそ、迂闊な返答はできない。
「……しばらく考えさせてくれないか?」
「うん、いいよ♪」
とりあえず年上の体裁だけは取り繕って、クラピカは部屋を出た。
困惑をずっしり背負い、廊下の壁にもたれて立ち尽くす。
ゴンは一体どこまでわかっていて、どこまで本気で言ったのだろうか。
不確定要素の高い人物 とはゼパイルの説だが、それだけに測り難い。
子供の戯言ならば軽く受け流してお終いで済む。
しかし彼なりに理解した上での求婚ならば、断るにしても言葉を
選ばなければ傷つけてしまう。
まだ少し発熱の余韻の残る頭では、簡単には名案が閃かなかった。
それにしても――― ……
(……12の子供にもあれだけ言えるというのに、あいつときたら…)
口説き文句なら無尽蔵の涌き水の如くあふれるけれど、確実な事は
何も言わない男の顔が脳裏をよぎる。
クラピカは溜息をつき、ヨロヨロと元の部屋へ戻って行った。
その夜。
簡易食品で夕食を摂りながら一同は、他愛ない雑談に花を咲かせる。
このいっときぐらいは、グリードアイランドや幻影旅団など各々の
抱える現実問題を忘れても良いだろうという暗黙の了解の元に。
ところが、事もあろうにその最中、ゴンは再び爆弾発言をかまして
くれた。
「ねェクラピカ、お嫁さんになるかどうか決めてくれた?」
次の瞬間レオリオはコーヒーを吹き出し、ゼパイルはスプーンを
落とし、クッキーを齧ろうとしていたキルアの口は開きっぱなし、
センリツは湯沸しに注いでいた水をあふれさせた。
当のクラピカは凍りついたまま、皆の形容しがたい視線を一身に
受ける。
しばしの静寂の後、最初に言葉を発したのはキルアだった。
「…………誰が誰のお嫁サンになるんだって?」
「クラピカがオレの」
「ちょっ…」
「ちょーっと待ったァ――― !!」
狼狽するクラピカの声を遮り、何やら懐かしいフレーズをレオリオが
絶叫する。
彼はクラピカの肩を強引に抱き寄せ、更に叫んだ。
「ダメっ、絶対ダメ!! クラピカはオレの嫁さんになんの!!」
―――――・・・・・
二度目の爆弾発言に、再度その場の時間が止まる。
「…そーなの?クラピカ」
キョトンとした瞳で問い掛けるゴンに、真っ白だったクラピカは
ようやく我に返った。
「え、あ、そ、その、いや、そんな……」
それでも言語中枢はまだ立ち直っていないらしく、発すべき言葉が
見つからない。
「そーなの!もう決まってんの!なっ?クラピカ、そうだよな!?」
「で、でも、あの…」
クラピカを腕の中に抱え込むようにしながら、レオリオは念を押す。
「お前はオレの嫁さんになるんだよなっ!?」
「は、はいっ」
その懇願するような口調につられ、クラピカはつい肯定してしまった。
「なーんだ。そうなんだー。じゃあ、いいや」
それを聞いたゴンは拍子ぬけするほどあっさりと納得し、食事を
続ける。
彼以外は全員、固まったまま。
「ごちそうさまー。じゃオレ、訓練の続きに戻るね」
そんな中、まるで何事もなかったかのように最後の一口を食べ終えて
ゴンが立ち上がる。
「あ、オレも」
つられるようにキルアも、クッキーを口に放りこみながらゴンに
続いた。
「あー、オレもそろそろ商談相手との約束時間だから」
そう言ってゼパイルもそそくさと部屋を出て行き、センリツも、
「ちょっと買い物を思い出したわ。ホホホ」
と、含み笑いと共に退出する。
そして誰もいなくなった。
静まり返った部屋の中、取り残されたレオリオとクラピカはまだ
固まっている。
「……おい」
「あ(汗)」
呆然としていたレオリオは、クラピカの肩を抱きしめていたまま
だった事に気付き、慌てて手を離した。
室内には非常に気まずい空気が充満している。
「…………」
「…………」
二人は一瞬だけ目が合ったものの、すぐに逸らしてしまう。
今更ながら、何を言えば良いのかわからなくなっていた。
「…………」
「……あのさ、」
「礼を言うべきなのだろうな」
レオリオはやっとの思いで言葉を搾り出すが、クラピカはそれを
遮った。
「は?」
「ゴンを傷つけずに断る方法を模索していたのだ。お前の口八丁も
時には役に立つのだな」
どこか冷たい口調で、そっぽを向いたままクラピカは言う。まるで、
怒っているかのようだった。
「……何怒ってんだよ」
「別に怒ってなどいないのだよ」
「嘘つけ」
「嘘ではない。偽証したのはお前の方だろう」
「オレがいつ偽証したよ!?」
今まで何度も繰り返している、売り言葉に買い言葉のパターンだが、
レオリオはつい語気を荒げてしまう。
「どさくさまぎれの発言など、誰が信用するというのだ!!」
クラピカも負けじと強い口調で言い返した。
「嘘や冗談で、ンなこと言うわけねーだろ!?」
「今まで一度もあのような発言しなかったではないか!!」
「ったりめーじゃねえか、日頃からヘラヘラ口にするべきコトかよ!!」
「はずみで言ったくせに!!」
「いっつも考えてた事だから出ちまったんだよ!!」
二人はようやくハッと気付いた。
同時に、今まで応酬していた言葉の意味を理解し、互いに赤面する。
再度そっぽを向き冷静を装うが、心臓の高鳴りはおさまらない。
「…………いつも、考えていたというのか?」
「……そーだよ」
背を向けたままのクラピカの問いに、レオリオも壁の方を向いたまま
それでも正直に答える。
「…けどオレはまだ医者どころか医学生でもねえし、念も習得して
ねえし……その、…嫁サンは自分の力で養いたいと思ってるし……」
「…………」
照れたような困ったようなレオリオの声を背後に聞きながら、クラピカは
無言でうつむいていた。
続く言葉を聞くのが不安で、だけど期待している自分を自覚する。
「もっと……お前にふさわしい男になってから…と思ってたんだけど、
…まさかゴンに先を越されるとは、予想外だったぜ」
レオリオは苦笑し、静かにクラピカに向き直ると、姿勢を正して
座り直した。
「クラピカ」
真摯な呼びかけに、クラピカの胸の奥がドキンと鳴る。
「今すぐでなくてもいい。オレの嫁さんになってくれ」
(――――― ……)
クラピカは思わず目を閉じる。
ゴンに言われた時よりも、先刻の騒ぎの中で言われた時よりも、
はるかに甘く熱い感情が胸を締め付けた。
「……クラピカ?」
無言のままのクラピカに、レオリオは不安そうな表情を向ける。
「…あのー、返事…」
「バカ者…」
真っ赤になった顔を隠すように覆っていた両手の隙間から、
眩い笑顔がこぼれ出た。
「先刻、返答したではないか……」
その言葉に、レオリオは一瞬 目を丸くする。
そして、晴れやかに笑った。
――― 余談。
「なぁゴン。お前――― マジだったわけ?」
「ん?何が?」
廃ビルの廊下を進みながら、キルアはゴンに問い掛けた。
「さっきの、クラピカを嫁にするとか何とか」
「うん、本気だったよ。でもレオリオと約束してるんなら仕方ないし」
そうは言っても、失恋したにしては やけにケロッとした明るさが
キルアには不審である。
「それで、あっさり身を引くってか?」
「うん。でもちょっと残念かなー。クラピカみたいに強い女の人を
探すの、大変そうだもんね」
「…強い女?それがゴンの好みかよ?」
「強くなきゃオレにつきあえないって、ミトさんが言うから」
「……ハ?」
何か違和感を感じていたキルアは、明確なズレに気がついた。
彼の困惑をよそに、ゴンは相変わらず無邪気に言い放つ。
「キルアが女の子だったら、お嫁さんになってもらったのになあ」
思わぬ言葉に、目が点になったキルアは、「嫁」と「友」の違いを
説明するべきかどうか悩み、その夜は眠れなかった。
別室で婚約の成立に酔いしれる二人が彼の苦悩を知るよしも無い。
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