「時空の彼方の恋人」 〜Curarpikt〜 |
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ゲームに負けた結果、キルアの提案でレオリオの初恋話を 聞く羽目になったクラピカは、あまり機嫌が良ろしくない。 飲み続けていた酒の影響もあってか、普段の冷静な思考が 崩れてもいる。 だからなのか、レオリオに「次はクラピカの番だぜ」とつつかれ ても、かわす気が起きなかった。 元々偽証は好まないし、心を許した仲間でもあるから、特に 隠しだてする必然性を感じなかったのかも知れない。 「お前に初恋なんて可愛い感情があったとは思えねぇけどな」 そんな軽口を叩くレオリオを睨みつけ、クラピカは開き直って 語り始める。 「確かに、そんな甘ったるい思い出は無いが、嫁いでも良いと 思う相手ならいたぞ」 途端にキルアは頬杖の手から顔が落ちかけ、レオリオは酒に むせて咳き込んだ。 「と、と、トツグって、お前……(汗)」 「へぇー。ずいぶん極端だねー♪」 思いがけない言葉にレオリオは動揺し、キルアは興味津々と いった様子で耳を傾ける。 「といっても、ほとんどは母からの又聞きなのだがな」 クラピカはそう前置きして話し始めた。 「あれは私が3歳になるかならないかの頃だ─── 」 |
当時、クルタ族は、四方を山と森に囲まれたルクソ地方の 奥地で静かに暮らしていた。 他の部族との交流を断ち、自給自足の生活を営みながら、 一族の代名詞であり、至宝であり、生命を脅かす原因でも ある『緋の眼』を代々繋ぐ事を唯一の使命のように。 その日、一組の母子が村から離れ、森の中に流れる大きな 川へ向かった。 女はクルタ族族長の娘であり、若長の妻でもある。 連れているのは3歳前後の、彼女の娘。それこそが幼い日の クラピカだった。 村の女が川へ出かけるのは珍しくない。洗濯や水浴、生活 用水の汲み出し等、用事は多様にある。 母親が川へ行った理由はよく覚えていないけれど、クラピカは 村内には無い『川』というものを見るのが好きだった。 天気も良く、太陽を反射してキラキラと輝く飛沫が美しい。 絶える事なく流れてゆく水を見ている内に、つい手が出て しまったのも仕方ないだろう。 次の瞬間、クラピカは水中に転落してしまった。 「クラピカ!!」 目を離してしまっていた母親は水音に振り向いて事態を察し、 悲鳴を上げる。 幼い娘は、まだ泳ぐことができないのだ。仮に泳げたとしても この水流の早さでは無理だったろうけれど。 母親は若い頃から戦乙女と呼ばれ、一族屈指の女剣士だった けれど、この時、彼女は次子を宿していた。 身重の体では全力疾走できず、川の流れに運ばれてゆく娘を 追いきれない。 川の行く手は高い滝になっており、幼児が落ちたら命は無い だろう。 クラピカは浮き沈みを繰り返しながら滝に近づいている。 「─── 誰か、助けて─── !!」 悲痛な叫びが森に響く。 それに応えるように、黒い影が木陰から飛び出した。 人影は目にも止まらぬ早さで川を並走し、三段飛びの要領で 岩伝いにクラピカを目指す。 しかしクラピカは既に落水地点に到達してしまった。 「─── ……!!」 一瞬、小さな体が飛沫と共に空中に浮く。 そのまま滝壷に落下するかと思われたが、間一髪で間に合った。 クラピカを掴んだ人物の体も共に滝の端から飛び出したけれど、 取り出した剣を崖に突き立て、転落を免れる。 ─── すべては一瞬の早業だった。 ようやく追いついた母親の前に、クラピカを抱えて若い男が川から 上がる。 二人ともずぶぬれだが、クラピカには意識があり、水もたいして 飲んでいないらしかった。 娘の無事な姿に母は安堵の息をつく。 しかし男の姿を認識した瞬間、警戒に全身を固めた。 黒い短髪、日焼けした肌、近隣では滅多に見かけない形の衣服、 襟元で結んだ細いタイ、光沢のある革の靴。 その容貌や服装から、彼がクルタ族でない事は一目でわかった。 旅人にしては軽装だが、こんな奥地にまで訪れる者など、ほとんど 皆無である。 ごくまれに見かけるとしたら、わけあって世を捨てた隠者か、 緋の眼狙いの密猟者ぐらいなものだ。 どちらにせよ、歓迎できる対象ではない。 クラピカは溺れかけた事に怯えているのか、泣く事もできず男の 首にしがみついたまま固まっている。 男はそんなクラピカをどこか嬉しそうに見つめ、なだめるように 髪を撫ぜていた。 「─── 娘を返して」 一定の距離を保ったまま、母親は気丈な声で言った。 男は気付いて彼女を見たけれど、不思議そうな表情で立ち尽く している。 どうやら、言葉が通じないらしかった。 「私の娘を返して!」 母親は更に言い、手を差し出す。 その仕草で男も彼女の意図を理解し、首にはりついている クラピカを離すと、母親に渡した。 そして、いまだ警戒の姿勢を崩さない母親に、害意が無い事を 示すように微笑み、両手を上げた。 母親は直感的に、彼が悪人では無さそうだと悟る。それでも 過去のさまざまな経緯から油断はできなかった。 かといって即座に村へ逃げ帰れば、よそ者を案内しかねない。 この男がどこの誰で、何の用があってクルタの村の近くへ来た のか不明な以上、迂闊に動けないのだ。 訝しむ彼女の思考が伝わったのか、男は困ったように苦笑して いたが、やがて思い出したように懐へ手を入れた。 (!?) 一瞬、母親の警戒心が張り詰める。 しかし彼が取り出したのは、一枚のカードだった。 男はそれを見せた上で、隅に表示されている12桁の数字を指し 示す。 母親には、それらが何を意味するものなのかわからなかった。 けれど示された数字だけは鮮明に脳裏に焼き付ける。 娘を取り戻しても彼女の警戒が消えない事を察知したのか、 男は突然、無防備に背を向けた。 そして両手を上げたまま、ゆっくりと森の方へ歩き始める。 やがて木々の中へ消えてゆくまで、彼は何度か振り返った けれど、とても穏やかで優しい微笑を向けていた。 男が村とは逆の方向へ去り、その気配も完全に消えたのを 確認した後、母親はクラピカを連れて急ぎ村へ戻る。 彼女は夫と父親に事態を伝え、念の為に村の周辺に屈強な 見張りを立てたけれど、何日経っても異変が起きる事は なかった。 後日、母親が村の識者に尋ねたところ、男が示したカードは おそらくハンター証だろうと教えられた。 ライセンスを所有する正式なハンターで、クラピカの命の恩人。 ならば疑わず村に招き入れて歓待すれば良かったと考え直し たけれど、以降 彼が姿を現す事は二度と無く、母親は長らく 後悔する事になる。 そこで彼女は繰り返しクラピカに言った。 「いつかあの人に会う事があったら、必ず命を救われた お礼を言いなさい」─── と。 本来ならクルタ族の娘は、その血統と緋の眼を守る為に 外界へ出る事は許されない。 しかしクラピカは特別だった。 なぜなら生まれた時に、一族の占術師から 『この子はやがてクルタの希望となり、大海を越えるだろう』 という内容の未来を予言されていたから。 山岳に囲まれたルクソ地方に生まれた子供が『大海を越える』 という事は、村を出る意味に他ならない。 その為に祖父も、父母も、クラピカに膨大な知識と武術を 授ける決意をしたのだから。 いずれ何らかの理由で村を旅立つ子供が、いついかなる事態に 遭遇しても、息災でいられるようにと。 その後もクラピカを助けた男については一切が不明だったが、 母親のみならず、幼いクラピカにも強い印象を残していた。 滝から空中に投げ出された恐怖の中、捕まえられた時の力強さ、 そして安心感、彼にしがみついていた時の高度─── 男は一族の 中にも例をみないほどの長身だった─── 全身ずぶぬれだった のに、とてもあたたかい体温を感じた事など。 しばらくの間、もう一度彼に会いたいと言って母親を困らせて いたらしい。 母親は、男の示したカードに記されていた12桁の数字を教えて くれた。 もしかすると彼の身元を知る唯一の手掛りかも知れないから。 それは何度も聞かされて、覚えていたはずなのに、数年後、 一族虐殺という悲劇に見舞われた為か、現在のクラピカは どうしてもその数字を思い出せなかった。 当時3歳という年齢では、当然ながら、彼の顔も、声も、何一つ 記憶に残ってはいない。 ─── 今なお、男の正体はわからずじまいである。 |
「……以上だ。彼がいなかったら、今の私も存在していない。 だから私は、あの男になら嫁いでも良いと思っているのだよ」 室内は再び、微妙な沈黙に包まれている。 最初に口を開いたのは、かなり酔いの回っているレオリオ だった。 「…お前ねー、命の恩人だからって、どこの誰とも知れねー 男に嫁げんのかよ」 「どこの誰とも知れぬ人妻に恋した男に言われたくは無い」 互いに不機嫌な口調なのは、酒のせいだけではあるまい。 「オレの話を持ち出すなよな。もしかすっとそいつ、お飾りで ライセンス買った見せかけヤローかも知れねえじゃん」 「勝手な推測で恩人を侮辱しないでもらおうか。悔しかったら 私の命を救ってみろ」 「誰が悔しいもんかよ!ロクに覚えてもねぇくせに。どーせ 今頃はデバラでハゲのスケベ中年だろが!」 「ロクに覚えていないのはお前も同様だろう!! 母が言うには とても長身で端正で知的な男だったのだよ!!」 「フン、長身のイイ男ならここにも居るぜ。オレの初恋の女神は お前とは全然違ってっけどな!」 「一緒にしてほしくないのだよ!!」 売り言葉に買い言葉は彼らの常だが、アルコールも手伝って、 ハイテンションでケンカが発展してゆく。 そんな二人を前に、キルアはバカバカしさのあまり、寝たフリを 決め込むしかなかった。 (どっちもどっちじゃん☆) ちなみに、レオリオが口ゲンカでクラピカに勝てるはずもなく、 彼のこの夜の収穫は、言葉が通じない相手にはハンター証を 提示するだけでも身分証明になるのだと知った事のみである。 パドキアの平和な旅は終わりに近づいていた。 |
〜シークレット・エピローグ〜 「……この数字があの人を探す手掛りになるかも知れない。 よく覚えておきなさい、クラピカ」 そう言って母親は12桁の数字を娘に教え続けた。 …………*********287………… |
END 最後の行はコミックス5巻P59参照。 |