「時空の彼方の恋人」
           〜Leorio〜



パドキアでキルアと合流した後、夜行列車のコンパートメントで
再会の祝杯を上げていた四人は、いつのまにか酒盛りに突入
してしまっていた。

やがてゴトーのコイン技の話から余興でゲームを始めたが、
アルコールが入った頃から皆、次第にはずしつつある。
「最後の勝負は、負けた奴が勝った奴の言う事を聞くっての
どうだ?」
テンションの上昇にまぎれてそんな提案も受けてしまい、つい
真剣に勝負を挑む。
結果、勝利者は言いだしっぺのキルア。敗者はレオリオ及び
クラピカの二名。ちなみにゴンは慣れないアルコールにつぶれて
しまい、勝負を棄権して眠り込んでいる。
キルアは勝利の優越と共に満面の笑みでこう言った。

「二人の初恋の話を聞かせてくれよ」

「ませた事言ってんじゃねえ」
「くだらないのだよ」
と、軽くかわそうとしたレオリオ&クラピカだったが、キルアが
相手ではごまかす事も逃げる事もできず、結局、降参せざるを
得ない。
レオリオは諦めて、ふんぞり返ってソファに座り、グラスに残って
いた酒を飲み干して語り始めた。

「オレの初恋はなぁ……だいぶ前だな」
記憶を手繰るようにして一旦言葉を切る。
対面のソファからニヤニヤ笑いを向けるキルアとは対照的に、
隣に座っている人物からの視線を痛く感じながらもレオリオは
続ける。
「んーと、確か10歳前……7〜8歳だったか」
聞いた途端、キルアは目を剥き、クラピカは酒を吹き出した。
「一ケタでぇ?オッサン、やるじゃん」
「そんな年頃から女好きだったのだな」
見直したような口笛と、刺のある言葉がレオリオに降り注ぐ。
「相手は、評判の美少女で金持ちの令嬢ってトコだろ」
「いや、人妻だ」
キルアの予想を、レオリオは意外なセリフで否定した。
「人妻ぁ?うっひゃー、ストライクゾーン広いねー」
「お前という男は……女なら見境が無いのか」
期待と軽蔑の視線を浴びつつ、レオリオは開き直る。
「いーから黙って聞け。オレの記念すべき初恋の話なんだからな」



その頃、既に両親は亡かった。
当時、レオリオの生まれ育った町に身よりの無い子供は多く、
彼らは自主的にグループを組み、互いに協力し合いながら
細々と、そして逞しく生き延びていた。
中にはストリートギャングを経てマフィアの仲間に入る者も少なく
ない。
真面目に貧しく生きるか、危険な橋を渡っても一攫千金を狙うか。
それはスラムの子供なら誰しも迷う選択肢の一つだった。
いずれにせよ、治安の良くないこの街では、犯罪は必要悪とも
言うべき処世術でもあったのである。
レオリオは年齢的に、まだ犯罪らしい犯罪に手を染めては
いなかったが、置き引き・ひったくりぐらいは日常的だったし、
生きてゆく為に、いずれその方向へ進むのは自然な事のように
思っていた。
そして、ある夏のこと。

その日は朝からとても暑かった。
レオリオは仲間とは別行動で、日銭稼ぎのネタを探しながら
街を歩き回る内、外国人観光客向けの大きなホテルの近くに
来た。
観光はこの国の売りでもあり、外国人が訪れる地域の治安は
そこそこ守られている。
けれどストリートチルドレンにとって、外国人観光客は絶好の
カモだったのだ。
しばらく観察していると、一人の女が玄関から現れた。
地元の者ではありえない、光を織ったような長い金髪が腰まで
届き、高級そうな白いワンピースをまとっている。
レオリオの視線は、ワンピースと同色のショルダーバッグに
向けられた。
彼女に狙いを定め、忍び寄って隙を待つ。
女は連れが出て来るのを待っているのか、背後を気にしながら
じっと立っている。
警備員もいない。迎車も見当たらない。
─── チャンス!)

「!?」
レオリオは一気に駆け出すと、彼女の肩からバッグを奪った。
一瞬、二人の目が合う。
驚きの表情を向けた女を見て、レオリオも驚いてしまった。
その女は、今まで見た事が無いほど美しかったから。
しかし見惚れている暇は無く、レオリオは全速力で逃げ出す。
後ろも見ずに走り続け、やがて人通りの無い路地へ入った。

─── ここまで来れば大丈夫。

レオリオはバッグの中身を確認しようとして、顔を上げる。
ところがその時、思いがけないものを見た。
「……!?」
レオリオの前方数メートルに、先刻の女が立っている。
この暑い中、走って来たにしては呼吸も乱さず。
まるで蜃気楼のように悠然と。
「……!」
我に返るや、レオリオは再び駆け出した。
掴まって警察に突き出されたら、矯正施設
─── といっても
実態は看守の虐待が必至の牢獄
─── 行きは確実。
細い道を通り、壁の穴を抜け、更に奥の路地へ入る。
もはや表通りからは遠く離れ、観光客なら間違っても入っては
来られない裏道だ。
レオリオはバッグを抱えたまま苦しい息をつき、おそるおそる
背後を振り返る。

─── いくら何でも、もう来ないだろう。

大きく深呼吸をして、その場にへたり込む。
その時、ふいに頭上の空が翳った。
「…!?」
反射的に見上げたレオリオは言葉を失う。
背後の塀の上に、例の女が立っていたのだ。
2メートル以上の高さがあり、幅は10センチ程度。その上、
古くて崩れかけているというのに、土上に立つが如く自然な
体勢で。
何より、いち観光客にすぎない女が、どうやってここまで追跡
できたというのか。
驚愕に固まるレオリオの前に、女はフワリと髪をなびかせ、
体重を感じさせない身軽さで舞い降りた
─── 実際は飛び降り
たのだが、レオリオにはそう見えた
─── のだ。
しばし固まっていたレオリオは、彼女に対する恐怖と自棄で、
乱暴にバッグを投げ返す。
そして金持ちに対する憤懣と、顧みられない子供の窮状を
まくしたてた。
なぜそれらを言ったのかわからなかったけれど、彼はまだ
幼かったし、動揺のあまりパニックになりかけていたし、何より
世の理不尽さを誰かにぶつけずにはいられなかったので。

親も無く、家も無く、路上生活を余儀なくされている事。
読み書きすらまともにできない子供が大勢いる事。

ケガをしても、病気になっても、治療費どころか薬ひとつ無い事。
それを知っていながら、政府は何ひとつ救済してくれない事。
生きる為には絶対的に金が必要だという事。
呑気に観光などしている外国の金持ちには絶対にわからない
─── 等々。

女はしばし黙って聞いていたが、やがてバッグを開けた。
「これは夫に贈られた物だから、渡すわけにはゆかないけれど」
そう言って自らの細い指に嵌めたのは、一個の小さな指輪。
レオリオはその石に見覚えがあるような気がした。
次の瞬間、彼の眼前に、女がバッグを差し出す。
中には、高級そうなハンカチや財布や化粧ポーチが入っている。
それを丸ごとレオリオにくれようと言うのか。
レオリオは呆然と立ち尽くしてしまう。
こんな女は
─── いや、こんな金持ちに出会ったのは初めてだ。
しかし、だからといって。

「いらねぇよ」
レオリオはキッパリと拒絶した。
「同情されて、恵んでもらうなんてまっぴらだ!」
年齢に似合わぬ気丈さでレオリオは言いきる。
同情されるような事を言ったのは自分だったけれど、それと
これとは別。幼くても、貧しくても、プライドはあるのだから。
そんな彼を無言で見つめていた女は、優しく微笑してバッグを
下げる。
それからレオリオに歩み寄り、話しかけた。

─── この時に何を言われたのか、レオリオはほとんど覚えて
いない。
ただ印象に残ったのは、『友情』、『努力』、そして

『ハンターを目指せ』

─── という意味の言葉だけだった。

立ち去ってゆく女の後ろ姿を見送りながら、レオリオは彼女
こそ噂に聞く『ハンター』ではないかと思った。
そんなものは選ばれた特殊な人間が就く職業だから、自分の
ような普通の子供がなれるわけないではないか。
しかし普段なら教会での説教も聞き流すのに、不思議と心に
焼きついている。
美しくて、強くて、神秘的な異国の女の印象と共に。
(……そういえば)
レオリオはふと気付く。
彼女の指輪は、自分が大切にしている琥珀の指輪と似ていた。
それは母が死の間際まで身につけていた唯一の形見で、
レオリオは首から紐でぶら下げ、肌身離さず持っている。
安物だし、売ったとしても知れているが、どんなに貧窮しても
手放すまいと誓っていた。
それとよく似た指輪を、あの金持ちそうな女は、夫にもらった
という理由だけで、高価なバッグや財布より優先したのか。
─── なんだか、とてもうらやましいような、同時に嬉しい
ような気がした。

この時からレオリオは犯罪をやめた。
貧しくとも、苦しくとも、懸命に働き、やがて彼に同調した仲間
たちと共に、一日一日を真面目に生き始める。
時には羽目をはずしたり、背に腹は変えられぬ事情で法の網を
くぐったけれど、決して他人を踏みにじるような事はしなかった。

しかし数年後、兄弟同然だった親友を亡くした時、やはり世の
中は金がものを言うのだと思い知らされてしまう。
医者を目指すにしても、莫大な金がいる。
だったらどうすればよいのかと考えた時、頭に浮かんだのは、
あの女に言われた台詞だった。

─── ハンターを目指せ───

もう顔も声も会話も忘却の彼方だけれど、その言葉だけは
鮮明に覚えている。
まもなくレオリオはハンター試験を受ける為に町を出た。
   



─── 以上。これがオレの初恋の顛末だ」
室内には何とも言えぬ微妙な沈黙が流れている。
「……それが初恋?」
「ああv」
「名前とか、どこの誰かとかは?」
「知らねぇ」
「その上、顔も声も忘れてんだろ?」
「しゃーねえよ、ガキだったんだから。でも、ものすげぇ美女
だったのは確かだぜ」
そう言いながら、レオリオはチラリと隣に視線を走らせる。
クラピカはツンとした態度で酒をすすっており、レオリオの方を
見ないまま、冷たい口調で言った。
「当時の年齢から推測すると、今は子供の数名でも産んで、
良い母親になって、豊かに年を重ねているだろうな」
「……お前ね、美しい初恋のイメージを崩すなよ」
しかし反論するレオリオに対抗するように、クラピカは更に続ける。
「子供の頃の記憶などあてにならないのだよ。無意識に美しく
修正してしまうと言うしな」
「いーや、絶対に美人だった!キラキラした長い金髪がスッゲェ
キレーだったし!だからオレはあれ以来、金髪美人には弱ぇーん
だよ!」
「…………」
ふと、不自然な空気が流れる。
二人は一瞬顔を見合わせ、即座に視線を逸らせた。
クラピカは己の頬が酒のせいだけでは無く赤い事を自覚している。
しかし曖昧な記憶のくせに、断言するレオリオが どうにも気に
くわない。
とりあえず、今後は腰に届くまで髪を伸ばしてやろうと決意した。

(アホらし…)
二人をからかうつもりで初恋話の暴露を持ち出したキルアも、
いい加減あきれずにはいられなかった。




 
〜シークレット・エピローグ〜



─── どこに行ってたんだ!?」
ホテルへ戻って来た女を見て、夫が心配そうに駆け寄って来る。
「オレ自身そうだったから知ってるんだが、この辺は昔っから
観光客狙いのスリかっぱらいが多いんだぜ。お前が強いのは
わかってるけど、あまり
一人でウロウロすんなよ
そこまで言って彼は、妻が かつて贈った
母の形見の琥珀の指輪を
普段は大切にしまっているのに、なぜか今、嵌めている事に気が
ついた。
「…何かあったのか?」
女はにっこりと笑い、夫に告げる。

「何でもない
のだよ」


         END
    ファンタジーかミラクルかSFか(^^;)