ハンター試験第4次試験が開始されてから五日が過ぎた。
レオリオとクラピカが同盟を組んでからは四日目。
異変に気付いたのは、その日の朝からだった。
─── クラピカの様子がおかしい。
どこか態度がよそよそしく、目が合えばすぐに逸らせる。
本人は平静を装っているつもりだろうが、だからこそレオリオは
不自然さを感じた。
知り合ってからの日にちは浅いが、第一次試験以前から何日も
共に過ごした仲だ。そうそう隠せるものではない。
かといって追求する必然性があるかというと微妙で、レオリオは
何も聞かずにいる。
二人は不自然な空気をわざと無視して、試験を続けていた。
ターゲット捜しに集中しなくてはならないのに、それよりも目先の
相手が気になって困る。
だからなのか、レオリオの標的はなかなか見つからない。
深い森を歩き回る中、時間だけが過ぎ、焦りがつのってゆく。
「─── あっ!」
「危ねぇ!!」
不意にクラピカは、地面を覆う苔で足をすべらせた。
一歩後ろを歩いていたレオリオは咄嗟に肩を掴み、抱きとめる。
「─── っ! さわるなっ…」
瞬間、クラピカは思い切りレオリオの手を振り払った。はずみで
体勢を崩し、その場に倒れ込む。
あからさまな拒絶に、レオリオは不快そうに眉を寄せる。
「…何だよ、助けようとしてやったのに」
「…………」
クラピカの方も無礼な態度だったと気付いたのだろう。バツが
悪そうにうつむき、か細い声で詫びた。
「……すまない」
その様子は、常に自信に満ち 生意気なほど冷静だった彼女
らしくない。
不審感は残るが、謝られた以上 責める事もできず、レオリオは
座り込んだままのクラピカに手を貸すべく差し出した。
「!」
その途端、クラピカはビクリと反応し、大きく後ずさる。まるで
彼の存在を拒絶するかのように。
「─── 何なんだよ!」
さすがにレオリオはムッとした。触れれば嫌がり近づけば逃げると
いうのは、どう考えても好意ではない。
「さっきから変な態度とりやがって、一体何が気に入らねぇんだ!?」
「───── ……」
クラピカは返答に窮して黙る。とても言えたものではない。
─── レオリオが『男』だから意識しているなどと。
「何、黙ってんだよ。何とか言えよ!」
困惑のあまり目を逸らすクラピカにレオリオは苛立ち、乱暴に腕を
掴んで引き寄せた。
「いやっ…!」
クラピカは思わず叫び、我が身をかばうように前面で両腕を交差
する。その仕草に、レオリオはハッとした。
(─── 怯えてる…?)
心のどこかでは、薄々そんな気がしていた。自分を見るクラピカの
瞳に、そして言動の端々に、ガードめいた硬さを感じていたから。
しかし、なぜ今更。仮にも同盟を組んだ仲だというのに。
昨日までは、まったく自然に接していたのに。
(まさか……)
レオリオはよもやの考えに行き当たる。
─── もしかすると、自分の邪心に気付かれたのかも知れない。
それならこの態度も納得できる。欲情している男を警戒するのは、
女なら至極当然のこと。
「…離せ、レオリオ」
身を硬くしたまま、緊張した声で言うクラピカに、レオリオは自分の
考えを確信した。
同時に、思考が暴走を始める。
下劣な欲望を見ぬかれた羞恥。
そんな感情を抱いていた自己への嫌悪。
─── きっと軽蔑されてしまった。
レオリオは激しく戸惑い、動揺する。それは混乱を呼び、理性を
侵食して、やがて理不尽な憤りに変わった。
(人が必死で我慢してるのに、なんで疑われなきゃなんねぇんだ!?)
頭に血が上り、世界中から蔑まれている気がする。そして怒りの
矛先は、発端であるクラピカへと向けられた。
「お前、ずっとオレをそんなふうに見ていたのか」
憤怒をにじませた口調にクラピカは当惑する。
「わ…私は……」
レオリオには、戸惑いに揺れるクラピカの瞳が、野蛮な下等動物に
対するまなざしのように思えた。
「ああ、そうだろうぜ。どうせオレは育ちの悪い下品な男だからな!!」
自棄のあまり己を卑下してしまう。生まれや境遇の違いなど、気に
した事もなかったのに、むしょうに悔しくなった。
「今頃ビビるんなら、なんですぐ逃げなかった!?同盟を組んだ手前か?
それともプレートの代償か?─── どのみち、最初っから信用なんか
してなかったんだろ!!」
怒声と共に、レオリオの頭の奥で何かがブツリと切れる。
「だったら、その通りにしてやるよ!!」
叫ぶや否や、レオリオはその場にクラピカを押し倒した。
「レオリオ!? なっ、何を─── …」
クラピカは驚いて抵抗するが、上腕と膝を押さえ込まれた為に
身動きができない。のしかかるレオリオの体は予想以上に重く、
押しても突いても、びくともしなかった。
己を失ったレオリオは、クラピカの襟元を破らんばかりの勢いで
はだけ、細い首筋に噛みつくような口接けを降らす。
厚手のマントが邪魔で、上着ごと思いきり捲り上げた。
露出した肌の白さも、やわらかさも、女ゆえのもの。
高まる欲望のまま、胸元を覆い隠しているサラシに手をかける。
きつく巻かれたそれを引っ張ると、はずみでクラピカの体も共に
持ち上がった。
─── その時。
(…!?)
レオリオはクラピカが人形のように動かない事実に気付く。
抗っていた腕はいつのまにか地面に落ち、拒否の声も聞こえない。
気絶でもしたのかと、思わず顔を見上げる。
「!!」
瞬間、レオリオの激情は一気に冷えた。
クラピカは目を見開き、凍りついたような表情をしている。力の
失せた体は意志を持たず、ただ震えるばかり。
レオリオはようやく自分が何をしようとしていたかに気付いた。
それは彼自身がもっとも嫌っていたはずの人権の無視、そして
蹂躙に他ならない。
しかも相手は、自分が好意を寄せている女。
認識した途端、レオリオは頭上に天が落下したような衝撃に打ち
のめされた。
激昂していたとはいえ、己の行動が信じられない。組み敷いて
いたクラピカから飛びのき、愕然とした表情で後ずさる。
(オレは……)
─── 取り返しのつかない事をしてしまった。
(……なんて事を……)
─── クラピカを傷つけた。
(最低だ……!!)
レオリオは後悔に唇を噛み締める。謝罪の言葉も思いつかず、
この場に存在するのもいたたまれなくて、身を翻して駆け出した。
残されたクラピカは、呆然としていても意識は確かで、レオリオが
中途で我に返った事も理解していた。
いまだ震えの残る体を起こし、宥めるように我が身を抱きしめる。
なぜか、襲われかけた恐怖や嫌悪よりも、純粋に驚きと戸惑いの
方が大きかった。
─── 『男』の強さを思い知らされた気がする。何より、レオリオが
男で、自分が女である事を、改めて自覚した。
男と女とでは身体が違う。力が違う。そして考え方が違うのだと。
次の瞬間、クラピカの耳に聞きなれた声の叫びが届いた。
(─── レオリオ!?)
間を置かず、滑落とおぼしき音が聞こえる。
事態を直感し、クラピカは駆け出した。
まもなく、不自然に空間が空いた茂みを発見する。無数に突き出た
枝葉に隠されて見えなかったのだろうが、その向こうは崖だ。
足を滑らせた痕跡に息を飲み、クラピカは恐る恐る覗き込む。
案の定、レオリオはそこに転落していた。
しかし幸いというか崖の高さは5メートル弱ほどで、ぐったりとして
いるが、大きな怪我は無いように見える。
クラピカは迂回して崖下に降り、レオリオの元へ向かった。
そこは岩と樹木の根に囲まれた狭い空間で、平坦な土壌部分は
一帖ほども無い。レオリオは、そのわずかなスペースにひっかかる
ように倒れていた。
「レオリオ……?」
「…………」
呼びかけに反応するのは意識がある証で、クラピカは息をつく。
「……残念だったな…」
つぶやくようにレオリオが声を出す。
「あいにく……まだ生きてるぜ…」
「…何を言っているのだ」
口がきけるくらいだから、とりあえず大丈夫なのだろう。安堵しつつ、
クラピカはカバンの中から救急キットを取り出した。
「かまうな」
しかし、手当てしようとするクラピカの手をレオリオは拒んだ。
「きっと天罰が当たったのさ。お前を襲った奴なんか、放っとけよ…」
レオリオは目も開けず、仰向けに倒れた姿勢のままでいる。後悔と
自棄で動く気力が無いのだ。
しばし無言でいたクラピカは、意を決したように口を開く。
「……レオリオ、お前は誤解をしている」
「何の事だよ」
レオリオは無関心そうに聞き返した。
「私は別にお前が…、その……狼藉をはたらくと疑っていたわけ
では無いのだよ」
「─── え?」
「私は……ただ、…お前が『男』だから……戸惑っていただけだ…」
「…なに?」
レオリオは思わず顔を向ける。
「お前は『男』で…、私は…『女』だから…」
「!!」
レオリオは突然理解した。
クラピカは恋愛経験など無い思春期の少女だ。そばにいる異性を
意識するあまり態度が硬化しても不思議は無い。
自分は心情的にも年代的にも、その段階を既に越えていたから、
そんな当然の事に気がつかなかった。
─── なんという迂闊。
(……つまりオレは、勝手に勘違いして、勝手に怒って、自分から
クラピカの信頼を裏切ったのか……)
あまりの愚かさ加減に、呆れるのを通り越して情けなくなる。人生
最大・そして最悪の失態だ。
もはや言葉も無く、レオリオは がっくりとうなだれる。
「…それに私は、どんな事情があろうと 怪我人を捨て置くことなど
できない」
そう言ってクラピカは彼の手当てを始めた。
怪我と言っても軽い擦り傷や切り傷・打ち身程度で、緊急かつ
特別な措置を要するほどのものは無い。頭部を打撲していないかと
いう心配はあったが、レオリオは人体の急所を心得ている為、滑落の
際、無意識にかばったようだった。
「……ありがとな」
手当てを終えたクラピカに、レオリオは岩壁に背もたれて座ったまま、
ボソリと礼を言う。しかし、自己嫌悪のあまりクラピカを正視できずに
いた。
痛いような沈黙が二人の間を流れる。
「もういいから、行けよ」
レオリオは自虐的な気分のまま、どこか投げやりに言い放つ。
「お前はもう点数分のプレートを手に入れてんだし、用は無ぇだろ。
……オレのそばにいると、また襲われるかも知れねえぞ」
レオリオは言外に同盟の破棄を告げる。こんな言い方は不本意だが、
信頼関係が崩れた─── 自分の手で壊してしまったのだ─── から、
もう成り立つまい。
─── 心の片隅に抱いていた淡い想いも、これで終わりだ。
自業自得とはいえ、レオリオは自嘲と共に胸の痛みに耐えていた。
「……それは、私が誤解させるような態度を取ったせいだろう。…
…驚きはしたが、怒ってはいないのだよ」
クラピカの言葉は却って辛く、自分の卑しさを実感してしまう。
「誤解じゃないぜ」
ふいにレオリオはクラピカの手を取った。
「オレはマジで下心あったんだからな。気が変わんなきゃ、最後まで
やっちまってた」
「…………」
不穏な台詞に、クラピカは緊張を隠せない。
レオリオは彼女を脅かすつもりは無かったが、先々の為にも、今、
釘を刺しておきたかった。
「これに懲りたら、男なんか気安く信用すんな。所詮、こういう生き物
なんだからな」
レオリオはクラピカの手を離し、先刻同様 岩壁にもたれて目を閉じる。
再び沈黙が訪れた。
「─── 私は……」
止まった時間を動かすように、クラピカが口を開く。
「……同盟の継続を希望する。一方的な破棄は認めない」
意外な言葉に、レオリオは振り向いた。
「…!」
そして硬直する。いつのまにか、クラピカがすぐそばに来ていたから。
ほんの少し手を伸ばしただけで接触できる距離にまで。
クラピカは膝立ちして目線を合わせると、無言で彼の手に触れた。
「お、おい…」
レオリオの手は大きくて、クラピカが両手で包んでもなお おさまり
きらない。そんな些細な事さえ、性別の違いを実感させる。
だが、恐怖も嫌悪も感じない。戦闘に有利という点だけは羨ましいが、
もう自分の性別を悔やんでもいない。
クラピカは改めて自分の心と向き合い、みずから彼に触れることで
確信していた。
「───私は女だから、男の…お前の考えなど、わからない…」
胸の奥で揺れる鼓動は戸惑いの音。
それは理性が作り出した壁。
「……だが、理解したいと思う。今、とても必要な気がするから…」
「…クラピカ…」
レオリオは不安気に、だけど、かすかな期待にすがって問いかける。
「お前……オレを許すのか?」
「女と見れば見境なくあんな真似をするのなら許せないが、そうでは
ない事を知っているからな」
この戸惑いに囚われ続けない為にも、壁を壊す勇気を持ちたい。
でなければ、いつまでも何も変わらない。何も得られない。
そんなのはイヤだ。
「私はお前を信頼している」
「クラピカ…」
レオリオは遠慮がちに、クラピカの手を握り返した。
互いの視線が絡み合う。
目の前にいるのは、自分にとって特別な、たったひとりの異性。
その瞳に、いつまでも自分を映していてほしい。
(─── お前と 一緒に いたい………)
言葉で告げる代わりに、クラピカはレオリオに口接けた。
やがて目を開けると、間近には 驚きで声も出ないレオリオの顔。
その表情に思わず微笑する。
つられるようにレオリオも笑った。
きわめて自然に、そして穏やかに。─── 心に正直に。
もう一度、口接ける。
戸惑いの音は次第に遠く、聞こえなくなっていった。
裏に続く
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