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周囲を緑の山と森に囲まれた小さな村は、唯一 近隣との
交流を繋ぐ鉄道の終点。
近代的なビルも無く、携帯電話も通じぬ片田舎。
日に数本通う列車の駅舎は、無人駅に等しい。
そこの駅長であり、車掌であり、改札係でもある老人は、
今日も一日の勤務を終えるべく、最終列車の到着を見届ける。
─── 最終といっても、時刻はまだ夕刻なのだが。
(おや)
ホームに出た老駅長は、ふと立ち止まった。
いつもなら、この時刻には外出した村人も既に帰村しており、
乗降客はいない。
しかしこの日は、珍しくも乗客がいた。
それは明らかに異国の風貌をした一人の男。荷物は小さな
トランク一つだけだが、着古したスーツが旅の長さを語って
いる。
男は姿勢良く歩き、改札口で切符を差し出した。
「お客さん、旅の人だね」
切符を受け取りながら駅長は親しげに、しかし内心では
細心の注意を払って話しかける。
村人は全員顔見知りと言って良いほどの狭い地域。
その玄関を受け持つ者として、見慣れぬ来訪者の観察は
怠れない。
「ああ」
しかし男は老人の猜疑を疑う様子も無く返答した。
「この村には観光名所も名産物も無いよ」
「そうみたいだな」
「旅館も無いんだよ」
「いいさ、その辺の橋の下で雨露しのぐから」
男は当然のようにそう言って笑う。彼の飄々とした態度は、
駅長の警戒心をあっけなく消し去った。
無人同然とはいえ、ダテに長年 駅を預かってはいない。
経験と実績に基づいた勘が、男を悪人ではないと判断した。
「宿は無いけど、教会に行って頼むといいよ。ワシに聞いて
来たと言えば、一宿一飯は保証する」
「そうか。ありがとな」
「ただし、美味い飯は出ないけどね」
「ああ、充分だよ」
男は感謝を込めて会釈する。そして村へと足を向けるが、
ふと立ち止まり、駅長に向き直った。
「─── 駅長さん」
「何かね?」
「この村にハンターはいるかい?」
思いがけない職名に、駅長は目を丸くする。
そして次には笑い飛ばした。
「こんな田舎の小さな村に、そんな立派な方がいるわけ
なかろう」
確かに、通信も交通も不便きわまりないこの村では、
ハンターの存在意義は無い。
「じゃあ、これを見てくれ」
そう言って、男は上着の内ポケットから一枚のカードを
取り出す。
それはプラスチックのフォトケースで、中には、わずかに
色あせた写真が入っていた。
時は黄昏。点在する家々からは夕餉の匂いが漂って来る。
行き交う人もまばらな道を、教会を目指して歩いていた男は、
やがて丘の向こうに十字架をいただく尖塔の影を認め、息を
つく。
ふと見ると、手前に建つ小さな家の門前では 一人の子供が
昆虫を追ってでもいるのか、ちょこちょこと動いている。
男は足を止めて問いかけた。
「なあボク、教会へ行くにはこの道をまっすぐでいいのか?」
声をかけられ、子供が振り返る。瞬間、男はハッとした。
─── どこかで見たような気がする。
─── 誰かに似ている。
─── とても懐かしいような気がする……
既視感だろうか。
相手はまだ4〜5歳の小さな男の子。初対面のはずなのに、
まるで再会したかのような不思議な錯覚。
微妙な空気が男と子供の間を流れた。
「レオリオ」
(!?)
ふいに名を呼ばれ、旅の男─── レオリオは、弾かれるように
そちらを凝視する。
家の中から聞こえたその声には、確かに聞き覚えがあった。
「はぁい」
「!?」
レオリオは再び仰天する。
なぜなら返事をしたのは、彼の向かいに立っている子供だった
から。
玄関が開き、呼び声の主が姿を現す。
「レオリオ、そろそろ暗くなるから中へ─── ……」
言葉は途中で途切れた。レオリオと目が合った瞬間、相手は
硬直する。
それは、レオリオの記憶から一日も消えたことのない人物
だった。
「クラピカ………!!」
搾り出すようにレオリオは名を呼ぶ。
二人の時間が停止した。
「おかあさん?」
母の異変に、子供が不安そうな顔でスカートの裾を引っ張る。
「お部屋に入っていなさい」
彼女はようやく我に返り、子供を隠すように家の中へ押し込むと、
ドアの前に立ちふさがった。
「……『お母さん』…って、…クラピカ。お前……」
「…人違いです」
どこかぎごちない声は拒絶の響き。
「何言ってんだ。クラピカだろう?」
「私の名はクラリオという。貴方とは会った事もありません」
彼女は毅然と否定するが、視線を落としたままでいる。
レオリオの脳裏には、先刻 駅長に聞いた言葉が蘇っていた。
『─── これを見てくれ。こいつ、この村にいないか?』
レオリオは写真に映るクラピカの姿を指差す。しばし眺めて
いた駅長は、やがてこう返答した。
『教会のそばに住んでる未亡人に似てる気がするね。でも
クラリオさんは大人の女性だし、こんなきつい顔つきでも
ないし、別人だと思うよ』
それでもレオリオは彼女に会いに来た。そもそも写真自体、
5年も前の代物である。
目の前の『クラリオ』は、記憶の中のクラピカよりも背が高く、
黒い瞳で、背を覆う長い金髪と優しい顔立ちをした、一児の母。
しかしレオリオは確信していた。家に入ろうと背を向ける彼女
より一瞬早く、その手を掴む。
「何を……!」
「あれから5年も経ってんだ、姿は変わるかも知れねえ。だがな、
ガキの頃から鍛錬してきたっていう二刀流の木刀ダコは、そう
簡単には無くならねえんだぜ」
「……!」
顔前に持ち上げられた白い指には、彼の言葉通り剣術使い
特有のタコが消えずに残っている。
「それに、オレがお前を見間違う事は絶対に無ぇ!」
この自信はどこから来るのかと思うほど強く、レオリオは
言い切った。
相手は暫しの間 黙り込んでいたが、やがて観念したのか、
ゆっくりと口を開く。
「………だったら、何だというのだ。……レオリオ」
その口調も、イントネーションも、まぎれもなく『クラピカ』の
もの。
安堵と懐かしさで、レオリオの胸が詰まる。
「……どうして、いなくなっちまったんだよ。クラピカ……」
レオリオは何よりも一番訊きたかった問いかけを口にする。
─── クラピカは、5年前から失踪していたのだ。
5年前、一族の復讐を終えたクラピカは、医大在学中の
レオリオのもとへ身を寄せていた。
レオリオは彼女が落ち着き次第、結婚するつもりでいたのに、
ある日突然クラピカは姿を消してしまったのだ。
『さようなら』という1行だけの置き手紙を残して。
「………。私は……過去を捨てたのだよ」
「……捨てた?」
思わぬ返答に、レオリオが問い返す。
「そうだ。…一族の復讐を果たした時、『クルタ族のクラピカ』の
使命は終わった。…だから今度は『私個人』としての新たな
人生を生きるべく、名前も素性もすべて捨てたのだ…」
「…………」
「今は…結婚し、家庭を持って幸せに暮らしている。昔の事は…
もう…思い出したくないのだよ……」
「─── …。…亭主は誰だ?」
「お前の知らない男だ。ここへ来る前に亡くなった」
「…………」
「わかったら、離せ」
「クラピカ」
レオリオはクラピカの体を自分の方へ向き直らせる。
そして言った。
「『偽証はもっとも恥ずべき行い』じゃなかったか?」
「偽証ではない。私は……」
「だったら、まっすぐにオレの目を見て言ってみろ!!」
レオリオは強引にクラピカの顔を上げさせる。
困惑の色を浮かべた黒い瞳が、逃げ場を捜すように揺れていた。
「レオリオ……」
強い力で拘束する腕からは逃れられない。拒む気力はあえなく
失せて、ずっと視線を逸らせていたクラピカは、躊躇いながらも
正面からまっすぐレオリオを見た。
─── 途端に流れ出る大粒の涙。
懐かしくて、せつなくて、我を失いそうな嬉しさが雫となって
あふれる。
レオリオがこんな辺境まで捜しに来てくれるなんて思わなかった。
そんなにも自分を想ってくれていたのかと考えると、堪えられない。
涙にむせぶクラピカを、レオリオは苦笑しながら抱きしめる。
「お前が、オレ以外の男の子供なんか生むわけねぇんだよ…」
「…………」
「会いたかったぞ。クラピカ……」
「…………」
同意を示すように、クラピカはレオリオの胸にしがみついた。
外はもう陽が落ちている。小さな家の客間では、テーブルの
上の旧式なランプが二人の姿を照らし出していた。
握り合った手は離さぬまま、レオリオは静かな声で問いかける。
「……なんであんな出て行き方をした?オレの事がイヤになった
とかじゃねぇんだろ?」
「違う。私は……お前にふさわしくないから……」
クラピカは目を伏せ、記憶を手繰るように答えた。
忘れたくても忘れられない、今はなき幻影旅団との戦いの日々。
憎い仇敵といえど、この手にかけた命は一人や二人ではない。
断末魔を耳にするたび、返り血を浴びるたび、そして、緋色の
視界に横たわる遺体を見るたび、己の穢れを自覚した。
そんな自分が、人命を救う事を旨とする医師のレオリオと
幸せになって良いはずが無い。
彼は気にしないと言うだろうけれど、自分の罪悪感が許さない。
「だったら、なんでオレの子を産んだんだよ」
「……もう、一人では生きてゆけなかったのだよ…」
幸福を知った後の孤独はいっそう辛い。
断腸の思いでレオリオの元を出たものの、クラピカには行くあても、
頼る者も無く、抜け殻のように放浪を始める。
しかしまもなく、彼の子供を宿している事実に気付いた。
少なからず戸惑い、悩んだけれど、レオリオの子を堕ろす事は
どうしてもできない。
クラピカは出産を決意し、消息を辿られぬよう各地を転々と
移動しながら、臨月にだけ正規の病院を頼って─── もちろん
偽名を使ったが───元気な男の子を産み落とした。
「子供の名前は?」
「『レオリオ』」
息子の顔を見ていると、その名を呼ばずにはいられなかったから。
歳を追うごとに父親に似てくる子供は、クラピカの心の支えだった。
不要となったハンター証を売り払い、それを生活費にして幼な子と
共に旅を続け、やがて、この片田舎に流れつくに至る。
文明や喧騒から離れた村と素朴な住民は、旅に疲れた母子を
優しく迎え入れてくれて、クラピカはしばしの休息を決意した。
以来2年間、村の子供たちに勉強を教えたり、教会の手伝いを
しながら、愛しい男の分身を慈しみ育てている。
はるか遠く離れた彼が幸せでいてくれるようにと祈りながら。
「─── ずいぶん勝手な言い草だな」
呆れたような口調でレオリオは言い放つ。
「一方的に出て行って、内緒で子供を産んで、お前はそれで良い
かも知れねぇが、オレの意志はどうなるんだ?」
「…………」
勝手はクラピカも充分承知していたが、レオリオの追求に胸が
痛んだ。
「残されたオレは一人ぼっちでも良いって言うのか?最愛の女に
逃げられたのに、幸せでいると本当に思うのか? この5年間、
ずっと、お前を探し続けていたんだぞ?」
クラピカが失踪した後、レオリオはあらゆる手段で彼女を捜した。
電脳ページの常連になり、情報一本にも莫大な賞金をかけ、
友人・知人にも協力を依頼し、もちろん、みずからの足も限界
まで使って、心当たりの場所には片っ端から出向いた。
クラピカのハンター証が売却されたと知った時も、手がかりを
求めて購入者に会いに行ったが、ネットを通じた売買だった為、
売り主とは顔も合わせていないと言う。
それならばとハンターの権限を駆使してIDを割り出し、取引当時の
居所をつきとめたけれど、当然のように引き払った後だった。
頭脳明晰なクラピカは、移動でも滞在でも、何一つ痕跡を残さない。
でなくても、この広い世界で一人の人間を捜索するのは困難を
極める。
それでもレオリオは諦めなかった。
「─── 数え切れない町を回った。似た奴がいると聞けば、どこへ
でも行った。何十人もの人間に会った。次こそは本当にお前じゃ
ないかと信じてな」
「レオリオ……」
抱き寄せる腕に力がこもる。それはそのまま、彼が苦悩した
日々の現れ。
「今度こその期待を込めてこの村に来たら…未亡人だって?
オレはまだ生きてるのによ」
「…すまない…」
「その上、まさか子供がいるなんて……考えてもみなかったぞ」
初めて見た息子の顔は、幼い頃の自分とよく似ていた。
髪の色も、肌の色も、故郷である南方の遺伝子を確かに備えている。
血の絆が、そして本能が、間違いなく父子だと教えていた。
罪悪感でうつむいてしまったクラピカの顔を、レオリオはそっと
上げさせる。
「…ずっと一人で育ててきたんだな」
「……ああ」
「苦労したか?」
「…そうは思わない。お前の子だから、私は幸せだった」
その言葉はきっと嘘では無いのだろう。駅長が言った通り、
クラピカは以前よりもずっと表情が穏やかで、優しい母親の顔に
なっていたから。
レオリオは改めてクラピカを抱きしめる。
「これからは、一緒に育てよう」
「…レオリオ…」
「オレと、お前と、あの子と。親子3人、一緒に暮らすんだ」
「─── ……」
クラピカの頬を新たな涙が伝う。
一度は彼のそばから逃げ出したけれど、もう離れようとは思わない。
─── 離れられない。
本当はずっと、ずっと帰りたかったのだから。この暖かい腕の中に。
嬉しさで声が出て来ない。クラピカは彼の胸に顔を埋めたまま、
力強くうなずいた。
─── やっと会えた。
─── やっと帰れた。
─── 本来の自分が在るべき場所に…………
「クラピカ……今でもお前を愛してる」
「……私も愛している。レオリオ…」
二人の唇が重なる。
最後に口接けをかわしたのは5年も前。
だけど、今でも鮮明に覚えている。このぬくもりを、優しい感触を、
胸に広がる幸福感を、忘れはしない。
離れていた年月と距離が一瞬にして埋まってゆく。
もう、二度と離れない。
「……おかあさぁん…」
隣室で待たされていた子供が心配そうに顔を出す。
幼いながらも、深刻な雰囲気を感じていたのだろう。
クラピカは涙を拭い、優しい声で呼びかけた。
「おいで、レオリオ」
子供は小走りに駆け寄り、母親の膝にすがりつく。
クラピカは子供の肩を抱き寄せ、レオリオと対面させた。
「レオリオ、お前のお父さんだよ」
「……おとぉさん?」
四歳という年齢ではピンと来ないのか、小さなレオリオは不思議
そうな瞳を向ける。
「よろしくな、レオリオ」
「……(///)」
初めて会う『父親』に照れ、小さなレオリオは恥ずかしそうに
クラピカの影に隠れてしまった。
「急に父親ったって驚くよな。少しずつ慣れてくれりゃいいさ」
苦笑するレオリオに、クラピカは子供の背を軽く押す。
「レオリオ。これからはお父さんと3人で暮らすのだよ。挨拶なさい」
その言葉に、小さなレオリオは、自分とよく似た父親を見上げる。
レオリオは膝を折り、幼い息子と目線を合わせた。
「抱っこしていいかな?」
「……うん」
本人の了承を得て、レオリオは子供を抱き上げる。
「けっこう重いな」
父親の実感は今ひとつだが、それでも嬉しそうに、照れくさそうに
彼は笑った。
対して小さなレオリオは、まだ緊張が取れないらしく、腕の中で
固まっている。
「レオリオ、お母さんのこと好きか?」
「うん」
「お父さんも、お母さんが大好きなんだ」
「……」
「二人で、大好きなお母さんを幸せにしような」
「……うん」
意味を理解しているのかいないのか、それでも小さなレオリオは
同意した。
かたわらでクラピカは、心の底から湧き上がる幸福感に微笑する。
それは今まで見たことの無いような、極上の笑顔。
─── 長い長い旅の終わりだった。
そこは単線車両が日に数回通るだけの片田舎、終着駅のある
小さな村。
旅人だった男は妻子と再会し、共に暮らし始めた。
彼は医者だったので、やがて村の老医師に請われて診療所の
跡を継ぎ、その腕の良さと人望で次第に評判が広まり、数年後
には近隣諸国からも患者が訪れるようになる。
仲むつまじい夫婦には、まもなく二人目の子供も誕生した。
一家は円満な家庭を築き、いつまでも幸せに暮らしました。
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