「空白時間」      
            〜selfish〜      
      

雇い主の帰還に伴い、クラピカもヨークシンシティを去らなければ
ならない。
それは最初からわかっていたけれど、あと数日の猶予を見込んで
いたのに、別離の日は、思いがけず早く訪れてしまった。

クラピカとセンリツは、旅団の目から逃れる為に潜伏していたダウン
タウンを出、元のホテルへ戻る。
ネオンと共に護衛団の荷物もまとめて送り返されたらしく、手持ちの
私物以外はほとんど残っていない。
手間取るほどの事もなく、帰還準備は早々に終了した。


「ゴン君たちに挨拶して来なくて良かったの?」
降下するエレベーターの中で、センリツはクラピカに問いかける。
「ああ。修行中は一分一秒が惜しいはずだ。邪魔をしては悪いからな」
「残念がるわよ、きっと」
「またすぐに会えるさ」
クラピカの強がりをセンリツは見ぬいていた。表面上は冷静で
ポーカーフェイスだけれど、心音は正直に本心を伝えているから。
「クラピカ」
一階に到着し、エレベーターから降りると、センリツはもう一度
問いかけた。
「忘れ物は無い?」
「ああ、忘れるほどの物も持参していなかったからな」
玄関へ向かいながらクラピカは返答する。まるで、一刻も早く
ここから去りたいと言わんばかりの早足で。
「本当に、何も忘れていない?」
「ああ…?」
念を押すセンリツを不思議に思い、クラピカは彼女を振り返る。
センリツは足を止め、相変わらず静かな瞳でクラピカを見つめて
いた。
「……本当に、何も忘れ物は無いのね?」
センリツの声は優しく、問いかけというより、むしろ確認の意図を
感じる。
物品に対する意でないとすれば言動だろうか。確かに旅団との
決着は未だ着いていないが、センリツの穏やかな口調はその事を
指しているとは思えない。
「じゃあ、きっと私が忘れているのね」
クラピカが問いかけるより先に、センリツは明るく言い放った。
「私、急用ができたわ。片して来るから、空港で待ち合わせましょ。
ごめんなさい、また後でね、クラピカ
「え…?用って、センリツ?」
センリツはにっこりと笑い、クラピカを残してスタスタと玄関を出て行く。
そして二人を空港に送る為、駐車場で待機していたレオリオに何やら
告げると、手を振って去って行った。

なかば唖然と見送りながら、クラピカはレオリオに問いかける。
「…センリツは、何と言っていたのだ?」
「飛行船を夕方の便に変更するって。時間とかは後で連絡するから、
間に合うように連れて来てくれってさ」
「…………」
「かなり時間あるよな。茶でも飲みに行くか?」
「あ…ああ」
思わぬ展開に戸惑いながらも、クラピカは助手席に乗り込んだ。



「この前オレが入った店、紅茶とか種類多かったぜ。そこ連れてって
やろうか?…それともメシにするか?いや、まだちょっと早いかな。
どっか観光スポットでもまわってみるか?」
メイン通りを流しながら、レオリオは軽快な口調で話しかける。
クラピカは窓に頭をもたせかけ、ガラスに映るレオリオの横顔を
憮然と睨んだ。

───
彼の明るさが恨めしい。どうしてこんなに陽気でいられるのか。

「どうする?クラピカ。どっか希望あるか?」
「別に」
「…何だよ?」
クラピカの不機嫌な声音に気付き、レオリオは横目で問いかける。
折しも赤信号で、車を停めた。
「顔色良くねーな…。やっぱ、まだ調子悪いのか?」
「平気だ」
不調なのは体ではなく、むしろ心。自分はこんなにも沈んでいるのに、
レオリオの態度は平生と変わらず、それが不愉快に思えて仕方ない。
「嘘つけよ。オレに偽証は通用しねえぜ?」
車内という狭く閉ざされた空間で二人きり。沈黙は痛いほどだ。
見つめるレオリオの視線は無言の詰問。黙っていると息が詰まり
そうで耐えきれずクラピカは言葉を漏らした。
「…お前は…」
「ん?」
「どうして……そんなに明るいのだ…」
「…あ?」
一度飛び出したら、もう止まらない。次から次へと、クラピカ自身、
予想もしていなかった言葉が流れ出る。
「なぜ、そんなに楽しそうにしている? 何がそんなに嬉しいのだ!?
私はもう帰らねばならないのに、お前はそれでも平気なのか!私が
いなくても、楽しく過ごせるというのか!?
─── 人の気も知らないで、
この薄情者!!」
クラピカは一気に言い放ち、車内は再び沈黙に包まれる。
それを破ったのは、後続車のクラクションだった。
信号はいつのまにか青に変わっており、前方に詰めていた車は
既にいない。
レオリオはすぐにアクセルを踏み込み、発車させた。

一方クラピカは、あまりにも感情的な発言をした自分に驚かずには
いられない。
まるで駄々をこねる子供のようではないか。
帰ると決めたのは自分自身なのに、行動と言葉が正反対だ。
恥ずかしくて、レオリオの方を向く事ができない。

その間にも車はわき道に入り、細い路地で停車する。
─── !」
エンジンが切れると同時に、クラピカは強い力で抱き寄せられた。
「バカ野郎…!マジでオレが平気だと思ってんのか!?」
叫ぶように言われ、クラピカは一瞬硬直する。それは怒声というより、
むしろ嘆きに近い響きを含んでいた。
「半年だぞ!? 半年以上もの間、離れ離れになってて、ようやく会えたと
思ったのに、三日後にはもうサヨナラなんて、ハイそうですかと聞ける
もんかよ!!」
その言葉は、まさにクラピカの心境でもある。早過ぎる別離を惜しく
思っていたのは、レオリオも同じだったのだ。
「……だけど、オレのワガママでお前を引き止めるなんてできねえ。
お前には仕事も使命もあるんだから。…わかってるんだ、そんな事は…
…でもな、クラピカ……」
レオリオは一旦言葉を切る。彼も、感情と理屈が葛藤しているのだろう。
抱きしめる腕にこもる力が、心情を如実に表わしていた。
「レオリオ……」
困惑に揺れる声でクラピカは名を呼ぶ。

───
ワガママは私の方だ。こんなふうにレオリオを困らせて…

胸の内に自責と罪悪感が沸き起こる。レオリオも内心は辛かったのに、
あえて明るく振る舞っていたのだ。
なのに疑って、感情をぶつけてしまうなんて。

「レオリオ……私…………」
「……だからな、クラピカ… …思い出作ろうぜ」
─── え?」
思わぬ言葉に、クラピカはレオリオを見る。
少し腕をゆるめて顔を向けたレオリオは、ニッと笑って言った。
「ヨークシンには、ろくな思い出がないだろ?だから、これから二人で
思い出を作りに行こう。半年分のロスを埋める為にもな」
それまでの重い空気を吹き飛ばすような悪戯っぽい笑顔と言葉。
それも彼一流の気遣いだろうか。
「デートしようぜ、クラピカ!」


レオリオはクラピカを車から連れ出し、近くのブティックに向かった。
ショーウィンドーに飾られたマネキンの服を品定めするように眺め、
やがて一着のサマードレスに目を止める。
「これ、お前に似合いそうだな。プレゼントするから、着替えて来いよ」
「な、何を言う。こんな軽装、私は……」
「いいからいいから。それと、これもつけろよ」
そう言ってレオリオが取り出したのは、変装に使用したロングのウィッグ。
不要になった時点で始末を頼んだのに、捨てずに所持していたらしい。
「何を考えているのだ、レオリオ。なぜそんな……」
精一杯拒否の姿勢を見せるクラピカだが、強引に店内に連れ込まれると
有無を言わさず店員に着替えさせられ、ウィッグもつけられてしまった。
そうして出来あがったのは、サマードレスに身を包んだ、初々しくも可愛い
ロングヘアの美少女。
「ほら、やっぱり似合うじゃねえか。スッゲー可愛いぜ、クラピカ」
「お前…ちょっと軽薄だぞ。何も、こんな姿をしなくても……」
「いいじゃねえか。当分見納めなんだし、少しくらいワガママきいてくれよ」
そう言われるとクラピカも逆らえず、渋々ながら文句を引っ込めた。
しかしレオリオは、単なる趣味でクラピカの見目を変えたわけではない。
ゴン達から、旅団の残党がまだヨークシンに滞在していると聞いていた
ので、用心を兼ねての行動である。
─── んじゃ、お手をどうぞ。お嬢さん」
「……バカっ(///)」


二人は雰囲気の良いカフェテリアでお茶を飲み、繁華街を歩いた。
道ゆく若者たちは一様にクラピカへ目を向ける。
「……なんだか視線を感じるぞ。やはり私にはこんな服、似合わなくて
おかしいのではないか?」
「違う違う。お前が美人だから見惚れてるんだよ」
そう言ってレオリオは、自慢そうにクラピカの肩を抱く。
─── ごく普通の恋人同士のように。


他愛の無いおしゃべりをかわす。
些細な話題は数限りない。

露店のアイスクリームを食べながら歩く。
礼儀も行儀も、今は不要。

ストリートパフォーマーを見て、笑い合う。
何の屈託も無い笑顔で。

誰も知らない街で、誰にも知られず、二人だけ。
無為な時間はとても楽しくて。
ずっと続いて欲しいと願わずにはいられない。
不可能だとは、とっくにわかっているけれど。


二人は港へ来ていた。

─── 前にもな、偶然お前に会えないかと期待して、街をウロついた事が
あるんだ。そしたら、いつのまにかこんな所まで来ちまっててさ。我ながら
バカだなーと思ったけど、あん時はけっこうマジだったんだぜ」
─── ……」
クラピカは微笑を浮かべながら聞き入っているが、その口数は時間の
経過と共に減ってきている。
「あと、他にどっか観るとこあったかなー…」
「レオリオ…」
街の方角へ視線を向けるレオリオにクラピカは歩み寄り、その胸に
コツンと頭をつけた。
「…どうした?」
「……もう良いのだよ…」
うつむいている為に、クラピカの表情はレオリオには見えない。だけど、
何となくは察せられた。
「もう充分だ……。お前がいれば…それだけで、どんな場所も、良い
思い出になるからな…」
「…クラピカ…」
いつになく素直に心情を吐露するクラピカに胸が高鳴る。
レオリオはその背に腕を回して抱きしめた。
「…………帰したくねぇ……」
「レオリオ…」
「このまま……オレと一緒に…………」
─── …………」
続く言葉を口に出せない。言っても無駄だとわかっているから。
夢は、そう簡単には叶わない。
だからこそ余計に、長く険しい現実の道をもどかしく思う。
─── レオリオ……」
クラピカが口を開く。
「……お前と過ごせた三日間は、半年間の別離よりも長く有意義な
時間だったと思う…。…とても、嬉しかった……
「クラピカ……」
「今日も楽しかった。…だから…これからの期間も、きっと耐えられる…」
「クラピカ…!」
愛しさがつのり、レオリオは抱きしめる腕に力を込めた。

このまま、どこか遠くにさらって行きたい。
もう二度と、旅団だのマフィアだのに関わらせたくない。
ずっと、普通の少女として過ごさせてやりたい。
蜘蛛と対峙した時のような辛く苦しい思いをさせたくない。
愛と幸せでクラピカを包んでやりたいと、切実に思う。

「愛している…」
「!」
涼やかな声が紡いだ言葉に、レオリオはハッとしてクラピカを見た。
美しい微笑みが腕の中に咲いている。
「愛している、レオリオ。……お前がいてくれたから、私は狂わずに
いられたのだよ……」

───
仇が死んだと思った時も。
───
初めて旅団と出会った時も。
───
旅団長と対峙した時も。

いつもそばにいてくれた。
口先だけの慰めではなく、心に寄り添ってくれていた。
そのあたたかさが、愛情が、安らぎと希望を与えてくれたのだ。

「お前の存在は私の支えだ。感謝している……」
「そんなこと言われたら…… マジで、さらっちまうぞ…?」
どこか拗ねたような口調のレオリオに、クラピカはフッと笑いかける。
「ワガママを言ってすまなかった。…私はもう大丈夫だ。良い思い出も
たくさんできたし……」
「クラピカ……」
手放しがたい未練を引いているのはレオリオの方になっていた。
『男が見苦しく引き止めるわけにはゆかない』と我慢していた反動かも
知れない。
もう一度、強く胸に抱きしめる。
「…絶対に、無茶するなよ」
「ああ」
「連絡よこせよ」
「ああ」
「…またすぐ会えるよな?」
「ああ」
二人は改めて互いの目を見つめ合った。
瞳の中に映っているのは自分だけ。
まるで、世界に二人きりのような気がする。

甘い空気の中、一隻の船が出航してゆく。
時報代わりの汽笛が残り時間の短さを教えていた。
「……レオリオ」
抱き合ったまま、クラピカは問いかける。
「……もう一つ、ワガママを聞いてくれるか…?」
「…何だ?」

───── …………」

耳元で囁かれた声に、レオリオはふと目を見開いた。それは彼が
望んでいる事でもあったから。
「クラピカ……」
照れくさそうに、だけど嬉しそうにレオリオは笑う。
恥じらいに頬を染めながら、クラピカも微笑した。

互いの顔が近づき、唇が重なる。
言葉だけでは足りない想いを表わすように。
胸の中に収まりきれない想いを伝えるように。
そして、確認するように………



  
 裏に続く(^^;)



空港でセンリツと合流したクラピカは、滞りなく出国手続きを終える。
搭乗時刻が迫って来ると、レオリオも、さすがに惜別の辛さを隠せない。
彼はこっそりセンリツを呼び、クラピカが無茶をしないようにと頼んだ。
センリツは優しく承諾し、レオリオに告げる。
「思い出は作れたようね。クラピカの心音、とても安定してる。良かったわ」
センリツの耳に届くのは、満ち足りた幸せな心音の二重奏。わずかに
残る寂しさの翳りを差し引いても、とても心地よい。帰り支度をしていた
時のクラピカとは別人のようだ。
「あんたのおかげだ。礼を言うよ」

センリツはホテルの前でレオリオに言ったのだ。
『クラピカに良い思い出を作ってあげて』
───── と。

「本当の意味でクラピカを癒せるのは貴方だけよ。早く一緒にいられる
ようになると良いわね」
慈愛に満ちたまなざしでセンリツは言う。きっと彼女には、すべてが
お見通しなのだろう。
なかば照れ、なかば降参の気分でレオリオは笑った。


クラピカとセンリツは手を振りながら搭乗ゲートに向かう。
これで本当に、しばらく会えなくなるのだ。
─── クラピカ!」
衝動にかられるまま、思わず名を呼ぶ。
クラピカは振り返り、レオリオを見た。
「あ、
─── ………」
「………………」
一瞬、時の流れが止まる。
言いたい事はたくさんあるのに、言うべき言葉が見つからない。
離れ離れになるのは辛いけれど、同時に、明日にでも再会できるような
気がした。

無言のまま、それでも微笑と共に二人は見つめ合う。
言葉にならない想いを視線に乗せて
 

You are my beloved.
Even if it becomes asunder, as for our heart, it is always nearby.
Always, it is possible to meet immediately……

.

END      

    心の叫びというヤツです(TvT)