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─── 9月8日、リンゴーン空港。
そこは、わずか数日前に訪れた場所と同一とはとても思えない
ほど明るく賑わっている。
あの夜の、戦場のように張り詰めた空気は今は皆無で、周囲の
誰もが旅の期待に浮き立っていた。
クラピカとセンリツを見送りに来たレオリオは、不思議な感慨と
共にロビーに入る。
表面上は普段通りに振る舞っている彼の、複雑きわまりない
胸中に気付いているのは、今のところ一人だけ。
センリツは、意識しなくても聞こえて来る鼓動から感情を読み
取っていた。
形容しがたい寂しさと孤独感。
名残り惜しくて引き止めたい、だけどそれができない意地と
プライド。そして、同じ比率で存在する決意と期待の音がする。
先刻からかすかに含まれている焦燥で、なんとなく察知できた。
「私が搭乗手続きをして来るわ。クラピカは、彼と待ってて」
センリツはそう言い、単身窓口へ向かう。
残されたクラピカは、どこか所在なげに佇んでいた。
別れが寂しいのは、レオリオだけではなかったから。
気丈に振る舞うのも、ふたりきりだとさすがに辛い。
やっと会えたのに、もう別れなくてはならないなんて。
個人の我侭を通せる状況ではないのだから仕方ないけれど、
本心では、もっと一緒にいたかった。
──── できれば、この先ずっと。
「─── クラピカ」
ふいに名を呼ばれ、クラピカの胸がドキリと鳴る。
「何も立ちっぱなしで待たなくても、座れよ」
「あ……ああ」
それは体調を崩していた自分に対する労わりの言葉だとわかる
ので、クラピカは素直に、示された椅子に腰掛ける。
その隣に、レオリオも座った。
途切れない喧騒を遠く感じるほど、沈黙が重い。
再会してからの三日間、ほとんど離れず一緒に行動していた
為か、別離の時を思うと、まるで身を裂かれるようだ。
「…なんか、パドキア空港の時を思い出すな」
「……そう…だな……」
先に口を開いたのはレオリオで、クラピカも無難に相槌を返す。
そう、半年前にもパドキアの空港で、今と同じように別離を経験
した。だけど、あの時は再会の日時を明確に指定できたから、
今回とは違う。
「─── けど、あの時と今とは違うぜ」
「!」
心の内を読まれた気がして、クラピカは思わず息を飲む。
しかしレオリオの言葉は真実だった。
前回と今回との、最大の違いは次の約束の有無ではなく、
自身の心。
半年前の淡い想いは予想外に成長し、もう自分でも止められ
ないほど強大な感情に育っていたから。
自分の中に、こんな激しい独占欲が存在していたなんて
信じられない。
だけど確実にわかる。
目の前の相手と、これほどまで離れたくないと思う理由。
自覚は前からあったけれど、再会した瞬間、それは確信に
変わっていた。
「次は……いつ会えるかな……」
「─── さあ…な…」
二人は目を逸らしたまま、つぶやくように言葉をかわす。
互いの現状を考えれば、不確実な口約束などできない。
飛び出しそうな言葉を堪え、クラピカは唇を噛み締める。
「クラピカ」
ふと、レオリオの口調が変わった。それはどこか覚悟を決めた
ような、強さを秘めた呼びかけ。
「……何だ?」
「言っておきたい事があるんだが……」
怪訝な思いでクラピカはチラリと目線を向ける。レオリオは
変わらず正面を向いて、こちらを見ずになにごとかブツブツと
反芻していた。
「─── 」
「!?」
瞬間、発せられた言葉にクラピカは驚いてレオリオを振り向く。
それは、もう何年も聞いていない─── 二度と聞くことは無いと
思っていた、懐かしい言語。
─── クルタ語だったから。
「」
「……!!」
続く言葉に、クラピカは驚愕の表情で硬直する。
どうしてレオリオがクルタ語を知っているのかという疑問にも
まして、言われた言葉が信じられない。
目を見開き、口もポカンと開けたまま凝視するクラピカに、
レオリオは少し赤い顔をして照れ笑う。
「その反応だと、ちゃんと通じたみてーだな?」
ハッと我に返り、クラピカは今更ながら理解する。途端に、顔
ぱかりか全身が真っ赤に染まる自覚があった。
戸惑いと恥ずかしさと信じられない気持ちが入り混じり、思わず
目を逸らしてしまう。
「な……何なのだ、それは!一体どこで、その言葉を……」
口から出たのは、まるで可愛げの無いセリフ。
こんな事を言いたいわけではなかったのに。
「ダテに200種類の民族言語通訳機能付きのケータイ買って
ないって事さ」
レオリオは得意げに返答し、そして真摯な声で続けた。
「…どうしても、お前の母国語で言いたかったんだよ。クルタの
お姫様に対する最低限の礼儀としてな」
レオリオの紳士ぶりと思いやりにクラピカは、胸の奥で甘い
くすぐったい感情の広がりを覚えた。
(……まったく…何を勉強してきたのやら……)
動揺も当惑も越えて包み込むような暖かさを感じ、彼に
気付かれぬように微笑する。
「─── 発音が全然棒読みだったぞ。それに、今のは単なる
ルクソ地方の公用語で、厳密にはクルタ語と言えないな」
「しゃーねぇだろ、ヒアリング機能は付いてねぇんだし。だったら、
お前が教えてくれよ。正しいクルタ語ってやつをよ」
クラピカらしいツッコミに、レオリオも軽快な調子で返す。そして
顔をのぞきこむようにして問いかけた。
「で、返事は?」
「…………」
心の中に満ちるのは、先刻までとはうってかわった歓喜の感情。
とはいえ場所もシチュエーションも、あまりにも考え無しだ。
素直に返答してやるのが悔しくて、クラピカはささやかな反撃を
試みる。
「……」
「─── あ゛?」
クラピカの口から流れた言葉は流暢ではっきりとした発音だった
けれど、レオリオには、まったく意味不明に聞こえた。
「.」
それがクルタの現地語であるという事はすぐにわかったが、何を
言われたのか理解できなくて、レオリオは困惑する。
「おい、何て言ったんだ?」
「クルタ語だ。学んだのだろう?」
「いや、でも、基本的な単語くらいしか……辞書があるわけでも
ねーし」
「学習するのだな。私は二度も同じ事を言う気は無い」
「ずりぃぞ、お前ー!オレは決死の思いで言ったってのに〜…」
子供のように憤慨し、抗議するレオリオが可愛くもあり、彼の
思いに免じてクラピカは、作為を持って立ち上がった。
「!?」
瞬間、レオリオの顔に風が触れる。
否、正しくは唇に何かが触れた。かすめるように、ほんの一瞬。
それはまぎれもなくクラピカの唇。
「ク……クラピカ…?(///)」
「次に会う時までに、私の返答を解読しておけ。さもないと撤回する」
なかば呆然と赤面して見つめるレオリオに、クラピカは笑いかける。
それはどこか悪戯っぽくもあり、だけど嬉しさにあふれた笑顔。
「クラピカ!」
レオリオは追うように立ち上がり、クラピカの腕を掴む。
「今の、も一回v」
「公衆の面前でバカな事を言うな。場所柄をわきまえろ」
満面の笑みで要求する彼に、クラピカはきわめてクールに拒絶
する。
たった今、場所柄をわきまえなかったのは誰かと思ったが、
レオリオは口には出さなかった。
「んじゃ、これだけ」
そう言ってレオリオはクラピカを抱きしめる。この場でも珍しくない
普通の恋人同士の惜別シーンのように。
クラピカは内心、人目をはばかったけれど抵抗しなかった。
彼の腕の中が、あまりにも心地よかったから。
目を閉じると、埋めた胸からレオリオの心音が聞こえてくる。
それは、ゆるやかで、あたたかくて、広がりのある優しい鼓動。
この音を常に聞いていられたセンリツを、クラピカは羨ましく思った。
「大変な宿題をもらっちまったな… けど、解読したら報告に行くぜ」
「受験を優先しろよ。それで落ちたら本末転倒だぞ」
「わかってるって」
笑い合いながら話す内、いつのまにか生木を裂かれるような辛さが
薄れている事実に気付く。
これからの別離の期間、決して『平気』とは言えないけれど、耐えて
ゆけるような気がした。
ただひとこと、言葉を伝えただけなのに。
こんなにも心が強くなれた。
きっと、信じて待っていられる。
─── 遠からず再会できる、その日を。
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