「孤独の果て」           


 
      念能力を使えなくなったクロロ・ルシルフルに興味を失ったのか、
ヒソカは戦わずに去ってゆく。
その様子をクラピカとレオリオは、低速飛行で遠ざかる飛行船の
窓から眺めていた。

クラピカは全身を巡っていた冷たい感情に身も心も凍りつきそうな
気がして、固く拳を握り締める。
その白く浮き出た間接を包み込むように、レオリオの手が重ねられた。
「……とりあえず、一段落ついたな」
労わるような声が耳元でささやく。
「お疲れさん、クラピカ」
(レオリオ……)
ふいに、暖かく優しい空気がクラピカの周囲を取り巻いた。
レオリオのそばにいると、こういう事が侭ある。
張り詰めていた精神が和らぎ、硬化していた心が緩み、厳しく
刺々しかった表情も、元来の穏やかさを取り戻し始める。
精神的な重圧で息苦しかった呼吸が楽になるような感覚に、
クラピカは大きく息を吐いた。
同時に、目の前がユラリと揺れる。
─── 眩暈…?)
そういえば昨晩は一睡もしていない。その上、今日一日ほとんど
休まず動き続けていた。
緋の眼になっていた時間も今までで最長だろう。緊張が解けた
せいか、急に疲労が体に現れてしまったようだ。


「クラピカ」
ふと、別の声が名を呼んだ。そこに立っていたのは、ようやく戻って
来る事のできたゴンとキルア。
クラピカは彼らに向き直り謝罪する。
「危険な目に会わせて、すまなかったな」
「ううん」
ゴンたちは見る限り怪我も無く、無事な姿にクラピカは心底
ホッとした。
同胞を失った時の自分と同じ年頃の仲間たち。もしも彼らを
喪っていたら、今度こそ正気でいられる自信は無い。
「……だが、これで解決したわけではない」
偽らざる本音を漏らすクラピカをゴンはじっと見つめた。彼の目にも
クラピカの姿は痛々しく映っているのだろう。
「クラピカ……顔色良くないよ?」
ゴンの言葉に、レオリオもキルアも同感という顔をしてクラピカを見る。
「…疲れてるんじゃないのか?いろいろあったもんな」
「平気だ」
それは半分偽証で半分真実。確かに疲労はしているが、今後の
事を考えねばならないクラピカに、休んでいる暇などない。
「でも、クラピカ…」
「心配するな」
感謝しつつもクラピカは背を向ける。これ以上、余計な気遣いを
させたくなかったから。
しかし歩き出そうとしたクラピカの腕は大きな手に掴まれた。
「待てよ。せめて空港に戻るまでの間だけでも、休んだ方が良いぜ」
そう言って、レオリオはきわめて自然な動作で引き寄せる。
クラピカの背が、軽い音を立てて彼の胸に当たった。
そこは、癒しと安らぎに満ちた暖かい空間。
途端にクラピカの視界がブラックアウトした。全身から力が消え、
無重力に陥ったような錯覚を受ける。
「クラピカ!
─── ……」
誰かの呼び声は既に聞こえない。クラピカは一瞬にして意識を
失っていた。




暖かく優しい感情がクラピカの胸に沸き起こる。
それは『喜び』。仲間の無事を嬉しく思う心。
もう決して失いたくなかった大切なもの。
何よりも得がたい存在。


「……起きたのか?」
覚醒した時、クラピカの視界に映ったのは見慣れぬ部屋の天井
だった。
間を置かず聞こえたレオリオの声で我に返る。
クラピカはベッドに寝かされており、すぐ脇の椅子にはレオリオが
背もたれに腕をかけて座っていた。
(倒れてしまったのか……)
先刻の経緯を思い出し、クラピカは恥ずかしくなる。それほど軟弱な
鍛え方はしていないつもりだったのに。
「ここはどこだ?私はどのくらいの時間、眠っていた?」
「飛行船の中だよ。まだ15分かそこら経った程度だ」
身を起こそうとするクラピカを押しとどめてレオリオは返答する。
「無理すんなって。言っただろ、空港に着くまで寝てな」
「しかし……」
「聞かねえなら、ムリヤリ眠らせるぞ」
その脅し文句にクラピカは言葉を失う。レオリオの事だから、こういう
時はどんな手を使ってでも実行しかねないとわかっている。
ここはおとなしく彼に従うべきと判断し、クラピカは再度ベッドに横に
なり、胸まで毛布を掛けた。
「…ゴンたちは?」
「あいつらも向こうで休んでるよ。起きたらきっと腹ごしらえだって
騒ぐぜ」
クラピカが従順に言う事を聞いたのが嬉しいのか、レオリオは機嫌
良く返答する。
彼の笑顔を見ながら、クラピカは自分の心が随分軽くなっている事を
自覚した。その理由にも見当はつく。

───
仲間が無事だったから。
─── 仲間に大切に思われているから。

(『仲間』……か…)
「どうした?」
ふいに表情を翳らせたクラピカに気付き、レオリオが問い掛ける。
「……私は、無駄な事をしてしまったのかな」
─── え?」
言葉の意味を把握できずにいるレオリオに、クラピカは説明を続けた。
「私は蜘蛛
─── あの男から、すべての拠り所を奪ったつもりでいた。
仲間との会話も接触も帰還も不可能にして、今まで築いた何もかも
から引き離し、2度と戻れぬようにと……」
それはかつてクラピカが幻影旅団に受けた仕打ちと同じもの。
違うのは、会えなくなったのが血族ではないという点だけ。
「……だが『仲間』は、いつかどこかで再び得られるものなのだよ」
言いながら、クラピカの顔に少し寂しげな微笑が浮かぶ。
他ならぬクラピカ自身がそうだったのだ。血族の仲間も故郷もすべて
喪い、一人ぼっちになったけれど、やがてゴンと出会い、レオリオと出会い、
キルアと出会ったから。
─── 新たな『仲間』に。
ならばあの団長も、いずれ誰かと出会うかも知れない。念が使え
なくても、『幻影旅団』でなくても、彼が『仲間』と認識できる存在と。
だとしたら、いっときの孤独など無意味ではないだろうか。

黙り込んでしまったクラピカを、レオリオは静かな瞳で見つめる。
「……あいつを、殺したかったか?」
「否定はしない」
それは本心だが、殺さなかった事を悔いてはいない。なぜならゴンと
キルアの命がかかっていたから。

───
新たに得た仲間の身の保全の為に、憎い仇の生殺与奪を
変更した。
そんな私を、亡き同胞たちは何と思うだろう?

罪悪感にも似た思いがクラピカの胸に去来する。
「クラピカ」
呼びかけと共に、クラピカの額にレオリオの手が伸ばされた。
「さっきキルアに聞いたんだが、ゴンの奴、蜘蛛のアジトで連中に
啖呵きったそうだぜ。『クラピカは絶対に約束を守る、感情にまかせて
殺したりしない』ってさ」
─── ゴンが…?そんなことを……」
「信頼してんだよ。『仲間』だからな」
「…………」
嬉しいというより、面映ゆい。取引の時にクラピカは内心では逡巡
していたから、そこまで言ってくれたゴンに対して、少しばかり気が
咎めてしまう。
「これで良かったのさ。お前は何も間違ってないし、誰も責めたり
しねえぜ」
優しい手がクラピカの髪を撫ぜる。子供扱いされているようで普段は
拒むが、今はとても心地よく感じた。
「それに、お前とあの野郎とを同等に考えるな。あいつに、そうそう
仲間なんかできてたまるか。少なくとも4年間は苦しんでもらわな
きゃな」
「4年……?」
指定された年数にクラピカは心当たりがある。
─── クルタ族が
滅びてから、レオリオ達と出会うまでの期間が4年。
「先の事なんてわかりゃしねえけどさ。少なくとも神サマって奴は、
そこまで不公平じゃないと思うぜ」
「レオリオは神仏を信じているのか?」
「いいや」
一瞬の沈黙の後、2人は目を見合わせ、同時に吹き出した。
クラピカの中に蓄積されていた疲労が雪のように消えてゆく。
同時に、心を暗く曇らせていた負の感情も、清々しく洗い流される
ような気がした。
─── レオリオの気遣いがとても嬉しい。彼はいつもこんなふうに
癒してくれる。
それは普段、気を張っているクラピカにとって、唯一最大の安息
だった。
今のように心が弱くなる時は、つい彼に甘えてしまう。そばにいて
ほしいと望む気持ちを止められない。

─── とにかく、今は蜘蛛の事なんか忘れて寝ろよ。お前がゴン
たちの無事を願ったように、オレたちもお前に元気でいて欲しいん
だからな?」
「……ああ、わかった…」
クラピカは素直に承知する。そして、髪に触れる手に自分の手を
重ねた。
「お前は最高の医者だな…………感謝している、レオリオ……」
「……よせよ、照れるじゃねぇか」
照れくさそうに笑うレオリオに微笑を返し、クラピカは目を閉じる。


年齢も性別も境遇もすべて越えて出会った『仲間』。
同じ血を持つ一族では無いけれど、今ではクラピカが拠り所とする
大切な存在。
彼らがいるから強くなれる。優しくなれる。
─── 希望がある。



「なぁ、クラピカ……」
クラピカが眠りに入りかけた時、レオリオはボソリと問い掛けた。
「オレも……お前にとって、『仲間』なのか……?」
(……?)
何を今更
─── と思ったが、クラピカより先にレオリオは言葉を
続ける。
「ゴンやキルアと同じ……『ただの仲間』……か?…」
(レオリオの奴……)
言外の意味を察し、クラピカは心の中で苦笑した。しかし、あえて
眠ったふりをする。
─── 手を握って眠っているというのに、他の誰にも弱音など
吐かないのに、わからないものだろうか。
「クラピカ……もう寝ちまったか?」
口調から察するに、レオリオは残念そうな顔をしている。クラピカは
可笑しさを堪え、無粋な質問を無視した。
次の瞬間、ふと空気の変化に気付く。それはレオリオが近づく気配。
特徴的なコロンの匂いと体温が顔のそばまで接近して来た。
吐息がかかり、至近距離で視線を感じる。
(
─── ………)
─── ………」
しかし、触れる直前レオリオは身を離した。やはり寝込みにどうこう
するのは彼の主義ではないのだろう。
レオリオは苦笑にも似た溜息を漏らし、握られた手をほどこうとする。
ところがクラピカは彼の手をしっかりと掴んで離さなかった。
無理に離したら、起こしてしまうかも知れない。レオリオは困惑しつつも、
どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、そのままの体勢で椅子に背を
あずけた。
クラピカは心の中で静かに告げる。

(……大切な仲間だと思っているさ。…だが、レオリオ……お前は
ゴンたちとは違うのだよ……)


血族の仲間を喪って4年、孤独の果てにクラピカが得たのは
新たな仲間と、そして
─── ………


END     

休載のおかげで鮮度が落ちなかったシロモノ。         
素直に喜んでいーのか悪いのか(T▽T)