「You are Light, I am Shadow」 |
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旅団員パクノダとの取引を終え飛行船を降りたクラピカ・レオリオ・
センリツの3人は、空港に隣接するホテルに部屋を取り、約束の
時間まで待つ事にした。
もちろん用心して、誰にも怪しまれぬようチェックインはレオリオが
一人で行い、クラピカとセンリツは人質と共に裏口から人目を避けて
入り込んだ。
選んだ部屋は宿泊客の少ないフロアで、メインの他にゲストルームが
付いている。
それはクラピカに仇敵と同一の部屋で顔を付き合わせて過ごさせたく
ないという配慮からだった。
出入り口に鍵をかけ、ゲストルームの奥に置いた椅子へ人質を座らせる。
彼の体には今なおチェーンジェイルが幾重にも巻きついていた。
念使用を禁ずる掟の刃を打ち込みはしたが、それでも相手が相手
だけに警戒を怠れない事と、クラピカの心の隅にある、ようやく捕らえた
蜘蛛の頭をそう簡単に解放してやりたくないという感情ゆえである。
─── そのクラピカは、先刻からずっと凍りついたような表情をしており、
ひとことも口をきいていない。
センリツはその理由を心音で知っていた。
「─── クラピカ」
労わるようにセンリツは呼びかける。
「疲れたでしょう。隣の部屋で少し休んでらっしゃいよ。…彼は私が
見ているから」
虜囚の自覚もなく無表情に、悠然と座している男を視線で指しながら
センリツは言う。
これ以上同じ部屋で同じ空気を吸っていたくなかったクラピカは、
彼女の申し出に無言でうなずき、立ちあがった。
鎖をはずす事はできないが、距離を置く事はできる。クラピカは長く
伸びた鎖をひきずったままゲストルームを出た。
「クラピカ……」
隣室に入ったクラピカのそばに、レオリオが心配そうに歩み寄る。
「…大丈夫か?」
問いかけは無意味だ。いくらポーカーフェイスでも、今のクラピカが
平静なわけがない。端麗な顔は蒼ざめ、いつもの毅然とした面影は
無く、レオリオと目も合わさずうつむいている。正に『痛々しい』という
言葉を体現していた。見えない傷で心も体もボロボロになっている。
パクノダと対峙するクラピカを廊下の影から見守りながらレオリオは、
怒りにも近い苛立ちを感じた。
蜘蛛とクラピカとでは踏んできた場数に差がありすぎる。そして基本的な
人間性が根底から違う。事態は有利に進行していると思われるが、
精神的に追い詰められているのはクラピカの方なのだから。
床に向かって垂らされたクラピカの手から伸びた鎖は、敵を捕縛して
いるものなのに、逆にクラピカが蜘蛛に囚われているように錯覚せず
にはいられない。
こんなに誰かをたすけたいと思ったのは、親友を喪った時以上かも
知れない───
心臓が締め付けられるような衝動に耐えられず、レオリオはクラピカを
引き寄せた。
クラピカも抵抗せず、為されるがまま 彼の胸の中におさまる。
言葉は無い。
互いに何も言えない。
だが、感情は伝わっていた。
クラピカの胸で黒いモヤのように渦巻く負の想いがレオリオには手に
取るようにわかる。
憤怒、憎悪、殺意、逡巡、─── そして悲哀。
誰よりも高潔で清廉な心にそんな感情を宿らせたのは蜘蛛。その頭は
既に捕獲している。
─── しかし、仇を討つ事はできないのだ。
「クラピカ……」
いとおしさと切なさと、己の無力さを痛感しながらレオリオは呼びかけた。
「辛かっただろ…?……よく耐えたな。偉かったぜ、クラピカ……」
包み込むように抱きしめていたクラピカの肩が一瞬揺れる。
「心配すんな。きっと、何もかもうまくいくさ」
それは根拠の無い希望的観測にすぎない。しかし大きな手が優しく髪を
撫ぜる内に、クラピカの心は徐々に軽くなってきた。
─── 本当は、人質交換の交渉をした時、復讐を取るか仲間を取るかで
迷ってしまったから。
もしかしたら二度と無いかもしれない仇討ちの機会を逃すことになるかも
知れない。
その葛藤は思いがけず激しくクラピカの心を揺さぶったのだ。
「─── レオリオ……」
人形のように力無く体をあずけていたクラピカの腕がレオリオの背に
回る。
彼の言葉は、やはり正しい選択をしたのだという確信と安堵感を与えて
くれた。今にも壊れそうに不安定だった心が静かに凪いでゆく。
クラピカは目を閉じ、心と体を包む優しさに身を任せた。
─── レオリオと出会えて本当に良かった。
5年前からずっと、一人で生きる事を覚悟していたのに。
誰も信じず、誰も受け入れず、誰も愛さないという決意は、気付いたら
覆されていた。
レオリオにだけは素の自分を晒してしまう。どれだけ理論武装しても、
彼の率直なひとことには叶わない。初めて言われた言葉を、彼の存在を
嬉しいと思った瞬間から、もう、レオリオの前では虚勢を張れなくなって
しまった。
その優しさに、ぬくもりに触れるたび、心の中で硬化した何かが緩和される。
彼は見えない傷を癒し、押し殺していた感情を蘇らせ、復讐心で鬼と化しそうな
クラピカが『人間』であることを実感させてくれるのだ。
─── それは暗黒の夜を消し去る黎明にも似て。
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「お前は………光だな……」
「……なに?」
「私の暗闇を照らす………唯一の灯……」
「…何言ってんだよ」
クラピカらしからぬ言葉に、レオリオは戸惑いのまなざしで見下ろす。
スーツの胸に半分埋まった顔は先刻までの緊張が解け、穏やかに
目を閉じていた。
愛しさがつのり、レオリオは抱きしめる腕に力を込める。
「オレにとっては、お前の方こそ光なんだぜ……?」
─── クラピカはクルタ族の中でも高い身分の生まれだ。本人が何も
言わなくても、立ち居振舞いや物腰、何よりその誇り高さで確信できる。
対してレオリオは下町で生まれた貧しい子供。格式だの血統だのとは
一切無縁で、親友の死が無ければ、ストリートギャングの道に分け入って
いたかも知れない。
そんなスラムの暗がりで育った彼にとって、高貴な匂いの漂う美しいクラピカは
文字通り光り輝いて見えた。それは決して黄金色の髪や美貌のせいだけ
ではない。
不似合いな闇の世界に在っても、少しも翳る事の無い、本来なら決して
手の届かなかったであろう高嶺の花。
─── 誰よりも何よりも眩しい存在。
「……こんなこと、いつまでも続きやしねぇ。じきにカタがつくさ」
愛しい光を抱きしめながらレオリオは言う。いつか、ふさわしい輝きの中へ
帰してやりたいという願いと共に。
付き従う影のように後衛しかできない自分だが、それだけは必ず成し遂げると
誓った。
「そう…だな……」
暖かい光に包まれて、クラピカは返事を返す。影の道を進むと決めたのは
他ならぬ自分なのだから、救われたいとは思っていなかった。だけど今は、
唯一の存在を支えにして生きている。
そして、無限の暗黒地獄にも堕ちる事は無いと信じられた。
─── この光が傍に在る限り───
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END
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