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眩しい光が周囲を包む。
思わず目を閉じたクラピカは、一拍置いて瞼を上げた。
目前に広がるのは、白い柵に囲まれた緑の庭。快晴の空
には眩しい太陽。
涼やかな風が吹く中、クラピカは一人 立っている。
(……?…ここは一体どこだ?…私は…何をしようとしていた
のだ……?)
なぜか記憶が曖昧で、自分の在る状況を思い出せない。
手にしている籠に視線を移すと、それは洗いたてとおぼしき
洗濯物。
(…何だ、これは…?なぜ、こんな物を…?)
下を向くと、長い金髪がさらさらと背から流れた。
(私の髪は、こんなに長かったか……?)
ひとふさ手に取り、クラピカは不思議そうに眺める。見覚えは
確かにあるのだが、何か表現しがたい違和感があった。
「クラピカー、朝メシできたぞー」
突然響いた聞き覚えのある声に、クラピカはハッとして振り返る。
そこには新築らしい一戸建ての住居があり、ウッドデッキの
掃き出しには、予想通りレオリオの姿があった。
「…何を…している?」
「何って、朝メシできたから呼びに来たんだよ。そっちこそ、
まだ洗濯物干してねぇのか?」
(朝食……洗濯物……?)
クラピカはまだ思考回路がまとまらない。
「しゃーねぇなあ。手伝ってやるよ。一人で先に食うのも虚しいし、
冷えちまったら、レオリオスペシャルブレックファーストが不味く
なるからな♪」
そう言って、レオリオは庭に出るとクラピカの手から籠を取り、
詰められていた衣服を物干し竿に並べ始める。
その後ろ姿を見つめるクラピカの視界を、ふいに鳥のような
影がよぎった。
「レオリオ先生ー、取ってー!」
名を呼ばれ、声のした方向を向いたレオリオは、飛来した
フェザープレーンを危うく正面衝突寸前でキャッチする。
「…っぶねーなぁ…」
柵の向こうの道は通学路で、登校途中の小学生たちがよく
通る。
その中から、クラピカもよく見知っている子供がヒョイと顔を
出した。
「ごめーん、レオリオ先生。手元が狂っちゃってー…」
「よぅ、ゴン。こいつぁ、お前のか?」
「うん!親父が作ってくれた最新作だよ!」
「へェー。相変わらずスゲェな、お前の親父さん」
「ゴンの親父さんは器用だもんな♪オッサンと違って」
「なぁんだとぉ?こら、キルア!」
─── 『ゴン』、そして『キルア』……
クラピカは少しずつ思い出し始めた。
ここはレオリオと自分の住む新居。
レオリオは医師で、自分の夫。
ゴンとキルアは近所に住む小学生。子供好きのレオリオが
よく一緒に遊んでいる。
「…んじゃ、しっかり勉強して来いよ」
「センセーも、奥さんの尻に敷かれてんなよー」
「キルア!ガキが生意気言うんじゃねぇ!」
素直で無邪気なゴンと、大人びて生意気なキルアのコンビ。
そして彼らと父子のように、兄弟のように、友達のように親しく
笑うレオリオ。
それは確かに、クラピカが何度も目にしている光景だった。
「─── さてと。んじゃ、メシにすっか」
ぼんやりと立ったままのクラピカにレオリオが声をかける。
─── そうだ、自分は彼のこの笑顔がとても好きなのだ。
出会った当初は互いに反発していたが、いつしか惹かれ合い、
なくてはならない存在となり、周囲の皆に祝福されて結婚
したのだった………
クラピカはにっこりと笑った。
「お前は料理が上手いから、いっそ毎日作ってもらおうかな」
「おいおい、よせよ〜☆一日交代だって決めたばかりだろ?
それに、たまにはクラピカの手料理も食いたいぜ。たとえ
不味くてもな」
「一言多いのだよ!」
微笑ましい会話を交わしながら、2人はダイニングに入る。
「昨夜、ピエトロから電話があったぜ。子供、無事に生まれた
ってよ。女の子だと」
ピエトロはレオリオの親友で、互いに言葉は悪いが兄弟の
ように仲が良い。
彼はレオリオよりも先に故郷で結婚しており、親友の結婚式
には夫妻で参列してくれた。
その夫人が臨月だったことはクラピカも聞いている。
「そうか。では、出産祝いを贈らなくてはな」
「ああ。ピエトロの奴、自分にそっくりだって言ったけど、
そいつぁ、ある意味気の毒だよな♪」
「失礼なのだよ、レオリオ」
「かまわねぇって。でもさー、ちっとうらやましくもあるんだよな。
なんか先を越された気分でさ。クラピカ、オレたちもがんばろうぜ!」
「何を言うかと思えば……」
身を乗り出すレオリオに、クラピカは頬を染めて苦笑する。
「お前んとこの両親にも期待されてるんだぜ?『一人娘だから
孫はたくさん欲しい』って言ってたじゃねーかよ」
「それはそうだが……」
(……両親?)
クラピカは再び違和感を感じた。
「…私の両親が…、お前に…?」
「ああ。結婚の挨拶に行った時、一族総出で歓迎してくれただろ。
あの時にな。少数民族だから、子孫繁栄の責任は重大だ!
なんてさ」
(一族……私の一族─── ……クルタ族が………?)
そのキーワードがクラピカの脳裏に引っかかる。
手に持っていたコーヒーカップがソーサーの上に、落ちるように
降ろされた。
「……私たちは……いつ結婚した……?」
「何言ってるんだ?クラピカ」
「……答えろ」
「今日が九月一日だから、半年くらい前だな。なんだよ、結婚
記念日を忘れちまったのか?」
─── そう、確か夏が来る前に……
「…私たちが出会ったのは……」
「医師国家試験を受けに会場へ向かう船の上だろ?」
─── 試験会場に向かう…船の上……
それは間違ってはいないはずだ。しかし、何かが違う。
無意識に立ちあがるクラピカの背で、腰まで届きそうに長い
髪が揺れる。
─── 私の髪は、こんなに長くないはずだ。
なぜなら、5年前に切ったから…
クラピカは額に手を当て、記憶を探る。
髪を切った理由は……邪魔になるから。
─── 何の邪魔?
長すぎると動きにくい………闘いづらい……
(……闘い─── ?)
「どうしたんだ?クラピカ……」
クラピカは心配そうな表情のレオリオに視線を向ける。
─── 優しく誠実な夫。彼といつ、どこで、どんなふうに結婚した?
無理矢理に記憶を掘り起こすと、その当時のヴィジョンが
浮かぶ。
鐘の音、純白のウェディングドレス、祝福してくれる家族や
友人たち。
(─── !!)
瞬間、映像の中に不自然な欠落が見つかった。
レオリオの親友ピエトロには、顔が無い。いくら考えても、
どうしても思い出せない。
─── 『思い出せない』のではなく、最初から『知らない』のだ。
なぜなら───
クラピカはカッと瞳を見開く。
(これは現実ではない……!!)
「─── いい加減に、こんな茶番はやめろ!!」
クラピカの怒号が響くと共に、音を立てて虚像の世界が砕けた。
「おかえり◆」
クラピカは改めて目を開く。
そこはヨークシンシティの一角にある廃屋の中で、ヒソカとの
待ち合わせに指定した場所だった。
「……何の真似だ?あんなくだらない幻を見せて─── 」
カラーコンタクトに覆われていても鋭い瞳は健在で、睨みつけ
られたヒソカはクスクスと笑う。
「くだらないとは心外だナ◆キミの望みを叶えてあげたつもり
だったんだけどv」
「ふざけるな!」
クラピカの右手の鎖が怒りに揺れ、ヒソカは大げさに後ずさって
みせた。
「おっと、怖いなァ★…まあいいや、ドリームワールドから戻って
来るくらいだから、意志の強さはよぉくわかったよ◆約束通り、
蜘蛛の情報を教えてあげるv」
腹の読めない笑顔を浮かべて、ヒソカは語り始める。
幻影旅団の事、メンバーたちの事、そして、ヒソカ自身の目的。
彼が饒舌に話すのは少し意外で、クラピカは警戒を解かぬまま
話を聞いていた。
「─── ボクと組まないか?」
そう言われた時、クラピカは正直、戸惑った。同盟を組むほど
ヒソカを信用できない。
だが幸いと言うか、返答する前に携帯に入ったセンリツからの
連絡でクラピカはその場を離れる事になる。
立ち去りかけたクラピカの背に、ヒソカは揶揄するような口調で
問うた。
「ところで、キミはどんな夢を見たのかなァ?」
「─── 貴様に関係無い!」
クラピカは一蹴して廃屋を出る。冷静を装うつもりだったが、
つい声を荒らげてしまった。
(『ドリームワールド』だと……?)
おそらく、顔を合わせた瞬間にヒソカは何らかの術をかけたの
だろう。
暗示か、奇術か、それとも『念』かはわからないが。
クラピカは己の不覚を恥じた。下手をすれば殺されていたかも
知れなかったのだ。
─── それにしても、なんという『夢』だったことか。
ヒソカは『望みを叶えた』と言っていた。では、あの幻はクラピカが
望んでいる理想の世界だというのか?
平穏な世界。円満な日常。父親と一緒に生活しているゴン。
『普通』の子供のキルア。医師のレオリオ。
─── そして、彼の妻となり『女』としての幸福に満たされている
自分。
ふと、夜の街のショーウィンドーに映る己が姿が目に入った。
短い髪、少年のような容姿、戦闘の為の強さだけを追求した体。
これが現実のクラピカ。
女らしい姿も生き方も、5年前に捨て去った。
なのに、心のどこかでは未練を残していたというのか。
クラピカは否定できない。レオリオと出会って以来、封印して
いた『少女』の心が目覚めた自覚はあったから。
(─── もしも……)
かすかに早まった鼓動に乗って、淡い想いが頭をもたげる。
(…いつか、あんな日が来るのなら……)
考えかけて、クラピカは想像を打ち消した。
そんな甘い思考を持っていてはいけない。来ないかも知れない
未来の夢を見るよりも、今は現実を直視しなくては。
幸せを望むのは万民に許された権利だが、今のクラピカに
とっては保留の選択肢なのだから。
進路は闇に溶け、先が見えない。
しかし行き着く場所は決して消失点ではなく、いつか目に見え
手に取れる位置に来ると信じている。
終着地が絶望と破滅の地獄か、希望に満ちた幸福な世界かは
わからない。
それでも、クラピカはただ歩み続けた。
『今』を後悔しないために。
─── 来たるべき『その時』の為に。
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