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─── ようやく再会したクラピカは、左の眼を失っていた。
それでも生きて戻っただけマシだと思ったのに、一目見て
わかるほど彼女は憔悴しており、蜘蛛との戦闘で、どれだけ
生命力を削ったのかが察せられた。
クラピカはレオリオの手を取り、自らの左胸に当てさせる。
痩せてしまったふくらみの奥の鼓動は、今にも止まりそうに
儚い。
それは言葉よりも早く、そして確実な説明。レオリオには
クラピカの命が風前の灯火である事がわかってしまった。
「……私は故郷へ帰る。最後に、お前達に会えて良かった」
無理に笑顔を作り、クラピカは背を向ける。
「待ってよ、クラピカ!!」
引きとめようと呼びかけるゴンの肩を、背後からレオリオが
止めた。
「行かせてやれ。あいつはもう……戦いとも、『ハンター』とも
関わらせちゃダメだ」
「だって、あんな状態のクラピカを一人になんてさせられないよ!」
間髪入れずゴンは反発する。
「ああ、わかってる。─── だから、オレが行く」
その言葉に、ゴンはハッとしてレオリオを見た。彼の目に閃く
のは、ゆるぎない決意の光。
「……オレがあいつのそばにいる。そして、必ず救ってやる」
「レオリオ……」
─── 二度と大切な存在を喪ったりしない。絶対に死なせない。
ゴンにはレオリオの心の声が聞こえる気がした。張り詰めて
いた気がフッと緩み、少し寂しい笑顔が浮かぶ。
「レオリオ、クラピカを頼むよ」
「ああ、言われるまでもねぇさ」
二人は握手をかわす。
それは対等な友情で結ばれた男同士の約束。
そしてレオリオはクラピカの後を追って駆け出した。
「クラピカー!」
背後から近づく呼び声に、クラピカはふと足を止めて振り返る。
つい先刻、断腸の思いで別れを告げた男が目前に駆け寄って
来た。
「……何だ?」
「忘れ物だぜ」
「……?私が何を忘れたと…」
「オレ」
一瞬、言われた意味がわからなかった。理解した途端、
クラピカは驚きに目を見開く。
「…何を、バカな事を…!」
「バカじゃねぇよ。お前には医者が必要だ。だから一緒に行く」
「─── レオリオ、私は…」
「お前が何と言おうとついて行くからな。もう決めたんだ」
「レオリオ!」
レオリオの断定的な物言いにクラピカは困惑する。
─── きっと、本人の言う通り、何を言おうと彼の気は変わるまい。
意志の強さはよく知っている。口先の偽証も通用しないだろう。
ならば真実をつきつけて諦めさせるしかない。
レオリオを思えばこそ、彼の為に───
「………私の命は……もう長くないのだよ…」
細い心音を奏でる胸がズキリと痛む。
「……だから誰にも迷惑をかけたくない。医者も必要無い。
このまま一人で……故郷で、同胞たちと共に眠りたい。それが
私の最後の願いなのだ……」
「ダメだ」
レオリオは端的に言い切った。思わず見上げたクラピカの目に、
怒ったような─── むしろ泣きそうなといった方が近い、レオリオの
顔が映る。
「そんなことオレが許さねぇ。一人になんかさせねぇ!…お前は
生きるんだ、この先も、ずっとな!!」
言葉が終わらぬ内にレオリオはクラピカを抱きしめた。体力の
落ちているクラピカには抗うすべも無い。
「レ…レオリオ……」
「お前はオレのだ!…ずっと待ってたんだ、もう離さねぇ。誰にも
─── 死神なんかにも、絶対に渡すもんか!!」
「…………」
慟哭にも似たレオリオの言葉が胸にしみる。クラピカには彼の
愛が痛いほど感じられた。
だけど同時に哀しみをも煽られる。
「……レオリオ……お前には私などより、もっとふさわしい女が、
いくらでもいる……」
涙を堪えてクラピカは告げる。
本当はレオリオの隣で微笑む女は自分でありたい。その思いが、
どうしても心の片隅に残っているから。
「じきにいなくなる私の事など忘れて、もっと優しくて女らしい、
似合いの女と……幸せな家庭を持つがいい。その方が、私も
嬉しい……」
偽証の辛さが身を裂くようだ。しかしレオリオは即座に反論した。
「オレにとって女はお前だけなんだよ!他の誰かとじゃあ、幸せに
なんかなれねーんだ!!」
「レオ…」
「ずっとずっとお前だけを愛してた!─── 今も愛してる、この
先も愛してる!! オレにはお前が必要なんだ!!……死なせねぇ、
絶対に!!」
「…………」
「オレがお前を生かしてやる!だからクラピカ─── ……頼む、
オレと一緒に生きてくれ……!!」
もうクラピカの口から言葉は出なかった。代わりに、堰を切った
ように涙があふれている。
限りある命なら、最後の最期まで望み通りに生きてゆくべきかも
知れない。
クルタ族の末裔としての使命を果たした今、そのくらいは許される
かも知れない。
─── たとえ短い期間でも、幸せになっても良いのなら…………
「……本当に……私で…良いのか……?」
「言っただろ。お前でなきゃダメなんだよ」
「レオリオ、私は……」
涙の止まらぬまま、クラピカはレオリオの胸から顔を上げる。
今まで口に出せなかった、だけどいつも伝えたかった言葉を、
今こそ言おう。
「─── お前を…愛している……」
「……んな事、とっくに知ってたよ……」
華が咲くような笑みがクラピカに浮かぶ。それを見てレオリオも
優しく笑った。
二人はもう一度抱きしめ合い、そして口接けをかわす。
〜BGM/「太陽は夜も輝く」〜
荒天の船の上で初めて出会った。
『生意気な奴』
『品の無い奴』
それが第一印象。
嵐の甲板での決闘。そして和解。
あれが恋の始まり。
苦難の連続だったハンター試験。
長い地下道、霧の湿原、南海の孤島、最終試験。
いつもそばにいた。
誰にも話さなかった秘密を語り合った。
深まる好意を自覚しながら。
再会を約束して別れたパドキア空港。
あの時の寂しさを期待に変えて、待っていた。
今日のこの瞬間を。
二人が共に歩める日を。
一緒に生きる事が許される時を………………
〜BGM終わり〜
……クラピカ……
(…………)
─── クラピカ
(……?……)
「クラピカ」
「!」
何度目かの呼び声に、クラピカは覚醒した。
瞬間、視界に飛びこんだ眩しい陽射しに思わず目を閉じる。
「大丈夫か?クラピカ」
「……レオリオ…」
そこは明るい陽光の降り注ぐ緑の庭。デッキチェアーで休んで
いる自分の目の前には、心配そうなレオリオの顔。
「昼寝の邪魔して悪ぃとは思ったけど…イヤな夢でも見たのか?」
「え?……」
言われて初めて、クラピカは頬を伝う涙の存在に気付く。
どうやら、夢を見ながら泣いていたらしい。
何だか気恥ずかしくて、クラピカは慌てて涙を拭った。
「気にするな。何でも無いのだよ」
「何でもないったって……」
気にしないわけにはゆかないらしく、レオリオは何か言いたげに、
だけど何も聞かずに見つめている。
彼の気遣いを察して、クラピカは苦笑した。
「本当に大丈夫だ。夢は見たが、悪夢ではない。嬉し涙だ」
「そうなのか?ならいいけど……」
「ああ。良い夢だった。6年前、お前が私にプロポーズした時のな」
途端にレオリオの顔が照れくさそうにほころぶ。彼にとっても、
それは良い記憶らしい。
─── 二人が共に生きると決めてから6年になる。
余命わずかと思われていたクラピカは、死ななかった。
一緒に暮らし始めた最初の半年はほとんど寝たきりで、末期
患者の様相だったけれど、つきっきりで看護するレオリオの祈りが
通じたのか、徐々に回復してゆき、翌年には日常生活が可能に
までなった。
更に一年後、二人は正式に結婚し、レオリオの故郷へ移住した。
以前のような高い戦闘能力は戻らなかったが、それはクラピカに
とって もはや必要の無いものだし、レオリオの妻として、また、
開業医をしている彼の助手として働けるだけで充分だから。
失われた左目に関しては、二人とも気にもしなかったし、それで
クラピカの美貌が損なわれる事も無かったが、診療に訪れる
幼い子供を驚かせてしまうからと、クラピカが望んで義眼を入れた。
彼らの共通の友人である細工師が提供した義眼は本物と見まごう
ばかりで、一見すると両眼健在としか思えない精巧な出来だった。
平和な街、穏やかな生活、優しい隣人、時折届く友人たちからの
便り。
ハンターとしてではなく、一人の男と一人の女、一対の夫婦と
して過ごす日々。
二人は本当に幸せだった。
共に生きられる以上の幸福は望まなかった。
しかし5年目の春、更なる幸せが訪れたのだ。
「マー マー」
レオリオが腕に抱いていた赤児がクラピカに向かって手を伸ばす。
「こいつ、やっぱりママの方が好きみたいだな。オレとじゃ一緒に
遊ぶのも限界あるぜ」
困ったように笑うレオリオから子供を受け取りながらクラピカも
微笑する。
「もう少し大きくなったら、パパと一緒に遊びたがるようになるさ。
この子はお前に似て活発だからな」
得られるとは思わなかった新たな命。
それは愛し愛され、この世に生きている証。
幼い我が子を抱き寄せながら、クラピカは幸せを実感する。
そして思う。自分の命を永らえてくれたのはレオリオだと。
彼の願いが、愛情が、運命を超越して 二つの命を存在させて
くれたのだ。
「レオリオ……」
「ん?」
「愛しているのだよ」
「ああ。オレも愛してるぜ」
日常的にかわされる愛の言葉。そして口接け。
手に触れ、肌で感じられる愛する者の存在。
─── これは夢ではなく現実。
幸せな夢が終わっても、もっとずっと幸せな現実がある。
辛い過去は、すべて現在の幸せに辿り着くまでの通過点に
すぎないのだ。
クラピカが微笑う。
今、とても幸せだから。
幸せな現実を生きているから。
これからも、ずっと。
愛する者と一緒に………………
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