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その日、クラピカはいつもよりも遅い時刻に目を覚ました。
静かな海沿いの町の一角、落ち着いた雰囲気のホテルの一室に
逗留を始めて、もう半年になる。
温暖な気温、見慣れた室内、かすかに聞こえる波の音。昨日までと
同じ穏やかな日常と違っているのは、太陽の位置がいつもより少し
高いことだけ。
ベッドサイドの時計は10時を回ろうとしている。薄いカーテンの向こう
から射し込む陽射しが眩しく、なかなか目を開けられない。
(……レオリオのせいだ)
毛布をかぶったまま、クラピカは声には出さず恨み言を投げかける。
昨夜遅く、レオリオから電話があった。
故郷で医大に通っている彼とは現在 遠距離恋愛中で、日々の
ラブコールも既に恒例だったのだが。
(……レオリオの…バカ……)
通話内容を思い出すと、頭に血が上りそうになる。こんなに感情が
乱れた状態では仕事に支し障りかねないが、幸いというか 今日から
暫くオフの予定だ。
たまには無為な時間を過ごすのも良いかも知れない。そう考えて
クラピカは、しばらくベッドの中にもぐっていたが、怠惰は性分に
合わないらしく、どうにも落ち着かない。
やがて、もそもそと起き出すとバスルームへ向かった。
湯の温度を熱めに設定し、頭からシャワーを浴びる。それは覚醒と
感情の沈静の両方に効果的で、少しずつ平常心が戻って来た。
シャワーを止めて一息つく。湯気が引くと、前方に設置してある鏡に
自分の姿が映っているのが見えた。
クラピカは改めて、鏡に映る自分自身を見つめる。
成長期を終了し、170cmに達する身長はだいたい標準だが、首から
下は お世辞にも女性らしい体型とは言えない。
もう19の歳を迎えているのに、貧相な胸は厚着をしたらまったく存在
不明だし、細くて皮下脂肪の少ない手足はむしろ『少年』に近い。
その上、戦闘術で鍛えた為に筋肉も発達してしまっている。
『恋をすれば女性ホルモンが増えて女らしい身体になる』という
一般論は、クラピカには適用されないらしかった。
(……ドレスなんて、絶対似合わないな……)
鏡の中の少女に同情するように自嘲めいた苦笑を浮かべ、クラピカは
バスルームを出た。
ブランチの後、クラピカはイメージトレーニングを始める。それは長年の
習慣だし、余計な思考を頭から取り払う為にはちょうどよい。精神を統一
すれば雑念も去るだろう。
だがこの日は、2時間ほど続けても一向に集中できなかった。
心が揺れている自覚はある。当然その原因も、考えるまでもない。
(……レオリオのせいだ)
何度となく繰り返している文句を内心でつぶやき、クラピカは椅子に
腰掛けた。
レオリオとはハンター試験を受ける際に出会ってから既に4年近いつきあい
だし、痴話ゲンカなら数え切れないほどしたけれど、今回のは別格だった。
(レオリオのバカ者……)
彼は以前からデリカシーが無いというか、多少 乙女心を理解していない
部分があったが、それは親しさの現れだとクラピカもわかっている。
言うなれば何を今更だが、それでも守ってもらいたい最低限のラインは
譲れない。
苛立ちをまぎらわせるようにクラピカは、本棚から適当な本を取り出した。
書物は心を鍛えてくれる。孤独を忘れさせてくれる。あらゆる知識を授けて
くれる。精神を安定させ、心の支えになる。クラピカは昔から読書が好きで、
いつも何時間でも読みふけっていられた。
だけど今日は文献の1ページ、1行たりと頭に入って来ない。字面を目で
追っていても、浮かぶのはレオリオの顔、そしてレオリオの発した言葉。
(レオリオ……)
クラピカの意識はレオリオの事だけで占められてしまっていた。
いつのまにか太陽は傾き、オレンジの色彩が空を染めている。
クラピカは少しも進まなかった本をテーブルに置き、代わりに携帯電話を
手に取った。
昨夜、会話途中で激昂し、そのまま電話を(電源も)切ってしまったが、
今は少し後悔している。せめて一言だけでも告げておくべきだったかも
知れない。
─── もしかしたら、嫌われたと思い込んで、もう電話して来ないかも
知れない………
その思考は刃のようにクラピカ自身の胸を痛めた。通電表示の無い
携帯の感触は妙に冷たく感じられ、無意識に電源を入れる。
次の瞬間。
RRRRRRR……
突然の呼び出し音がクラピカを現実に引き戻した。一瞬驚き、そして
受信ポタンを押す。
「……はい?」
『オレだよ』
まぎれもないレオリオの声に、クラピカは硬直する。
『おい、切るなよ?昨日の話、ちゃんとカタつけねーとな』
「……レオリオ、私は…」
『ストップ。お前の言い分はちゃんと聞くから、とにかく……ちょっと
窓開けろ』
「……窓?」
思わぬ言葉にクラピカは、不思議そうに窓を振り向いた。意図はよく
わからぬまま、それでもガラスを開けてみる。
「!?」
クラピカは一瞬、我が目を疑った。眼下の路上には、レオリオが立って
いたのだ。
「─── よぅ」
受話器の向こうと窓の下、2箇所から同時に同じ声が聞こえる。しかし
本人を目の前にしてもクラピカはまだ信じられなかった。
つい昨夜まで彼は何百キロも離れ、海峡さえも越えた遠い南方の国に
いたはずなのに。
呆然と見下ろすクラピカに笑いかけながら、レオリオはハンター証を
ひらひらと振った。
彼がいかにして半日あまりでやって来たのかは、それで察せられよう。
レオリオは近くの海岸にクラピカを連れ出した。おりしも時刻は夕暮れ、
波打ち際に2人きり。恋人同士にとっては最高のロケーションである。
「会いたかったぜ」
「…………」
しかしクラピカは視線を逸らせたまま俯いている。久しぶりの再会は
確かに嬉しかったが、昨夜の一件を思うと 素直に喜ぶのは抵抗が
あった。
「……まだ怒ってんのか?」
「……怒らせるような事をした自覚があるのか」
「だからこうやって、直に会いに来たんじゃねぇか。…なぁ、何が気に
入らなかったんだ?」
「…………」
「お前、オレのこと好きなんだろ?じゃあ何も問題ねーじゃん」
「─── 無神経な事を言うなっ!!」
クラピカはカッと頬を染めてレオリオを睨みつける。
「な、何だよ。だったら、どう言やよかったんだ?」
レオリオはレオリオで、クラピカの怒りの理由がわからない。
「……自分で考えろ!このバカ者っ!!」
それからクラピカは無視を決め込み、レオリオもそれ以上強硬には
迫れず、互いに沈黙したままで時間だけが過ぎてゆく。結局、2人は
そのままホテルに戻った。
夕食後、クラピカは自室でぼんやりと思考を巡らせながら感情を整理
している。ちなみにレオリオも宿泊を決めて隣室に入っていた。
今頃は部屋でくつろいでいるのだろうか。─── 人の気持ちも知らないで。
そう考えると情けなくなる。
─── と、その時クラピカの視界の端で小さな影が動いた。
「……!!!」
ガターン!!
椅子の倒れる大きな音は、隣の部屋のレオリオの耳にも届いた。
彼は驚き、急いで廊下に飛び出すと、クラピカの部屋のドアを叩く。
「どうしたクラピカ!何かあったのか!?」
クラピカの戦闘能力はレオリオよりもずっと上だ。それでも心配で、
何度も名を呼びながら、鍵を壊しかねない勢いでドアノブを回す。
まもなく内から鍵が開けられ、クラピカが現れた。
「クラピカ……!?」
その顔は青ざめ、凍りついたような表情をしている。そして、レオリオは
久しぶりに緋の眼を見た。
「……どうした?」
クラピカは無言のまま壁の一点を指差す。そこには、小さなクモが
貼りついていた。
幻影旅団なき現在でも、クラピカのクモアレルギーは治っていない。
こればかりは時が癒してくれるのを待つしかないだろう。
「─── ちょっと待ってろ」
レオリオは自室に戻り、カバンの中から常備薬の空き箱を取り出すと、
再びクラピカの部屋に入ってクモを捕獲した。
「どっかの草むらにでも捨てて来るから」
レオリオは特にクモ嫌いというわけではないし、むしろ益虫だと知っている。
クラピカの心情は充分理解しているが、医学を志している以上、虫1匹と
いえどやたらに殺生はしたくないのだ。
しかし退室しかけるレオリオの腕を、すれ違いざまクラピカは引き止めた。
「─── 私も行く」
2人は近くの雑木林に入り、そこでクモを放した。クラピカの表情はまだ
硬かったが、目の色は元に戻っている。
「……大丈夫か?」
「……ああ」
口調は静かだったが、それでもビリビリと張り詰めたオーラは残っており、
その痛々しさにレオリオはクラピカを抱き寄せる。
2人はしばらくそのままでいたが、やがてクラピカがボソリと口を開いた。
「………初めてだ…」
「…え?」
「今まで……クモを見たら、殺さずにはいられなかったのに……」
─── 今日はクモを殺さなかった。冷静でいられたわけでは決して無いが、
これは大きな進歩かも知れない。
「お前のおかげかも知れないな……」
「クラピカ……」
レオリオは胸に顔を埋めるクラピカの髪をそっと撫ぜる。傷ついた患者を
癒すように、幼な子を宥めるように、─── 愛しい想いを伝えるように。
「……昨日の事、ゴメンな。まだ早かったかも知れねぇ…」
「……え?」
伏せていた白い顔が見上げてくる。いつもと同じ落ち着いた表情で。
「でもいいぜ。オレは待ってるから。…お前の心が決まるまで、いつまででも
待ってるからさ……」
「─── その必要は無い」
返された言葉に、レオリオは驚いてクラピカを見た。
「…何だって?」
「待たなくて良いと言ったのだ。私の心なら、もう決まっている」
レオリオはしばし目を丸くしていたが、やがて理解すると、嬉しそうに そして
照れ臭そうに顔を綻ばせる。
「……それって、良い意味だよな?だったらなんで昨日、言ってくれな
かったんだ?」
「電話で話すべき事柄では無いからだ」
わずかに眉を寄せて言い切るクラピカに、レオリオはピンときた。
「もしかして、それが気に入らなかったのか?直接言って欲しかったのか?」
「……だからお前は無神経だと言うのだよ」
言外の肯定にレオリオは、今更ながらに納得する。同時に、つきあいの
長さに甘えて、細かい配慮に欠けていた己を反省した。
「…悪かったよ、クラピカ」
レオリオはクラピカの両肩に手を置き、改めて顔を見つめる。
「クラピカ」
その真剣な口調と表情に、クラピカの胸がドキンと鳴った。
「オレと結婚してくれ」
それはレオリオが昨夜、電話越しに言った言葉。そんな大事な申し出を
直でなく電話で言われるのはクラピカにとって無礼でしかなく、怒りのまま
答えもせず切ってしまったのだが。
「承知だ」
今回は即答だった。最初からそう答えるつもりだったし、断る理由など
何処にも無いのだから。
「必ず幸せにしてやるからな!」
「ああ。偽証は許さんぞ」
2人は互いを見つめて微笑み、誓うようにキスをした。
END
どこがキャラブックネタなんでしょーね(笑)
時間的に、いつにするべきか困ったので、未来の話です★
ある意味、少女マンガのよーな内容だわ(^^;)
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