「時の雫」 | ||
気がつけば、そこは白い世界。 白く曇った空と白い霞で、周囲は何も見えない。 どこまでも続くかのように長い白い道を彼は歩いていた。 時折、誰かが傍を追い越してゆく。 無数の人影は、個々の顔はよく見えないけれど、皆 同じ形の 白い服を着ている。 そして同じ所を目指しているらしく、同じ方向へ向かっていた。 何処へ行くのだろう。 何故、歩いているのだろう。 いつから自分はこうしている? 記憶が曖昧で思い出せない。 それでも、歩を進める足だけは止まる事なく。 見えない何かに導かれるように、前へと進む。 「——— ポックル…」 ふいに、高音の声が耳に届いた。 それが自分の名前だと気づいたのは、数秒ほど経ってから。 顔を上げると、やはり同じ白い服を着た少女の姿が見えた。 他の者たちとは違い、はっきりと。 「ポックル」 「ポンズ……?」 その名を口にして、ポックルは初めて不思議に思う。 どうして今まで、彼女の名前を忘れていたのだろう? 「ポックル!」 ポンズは大きな瞳に涙を潤ませ、駆け寄った。 そのまま彼に抱きつき、声を上げて泣き出してしまう。 「ごめんね、ごめんね、ポックル。あたし……」 号泣と共にポンズは謝罪する。 「助けてあげられなくて、ごめんね——— ……」 ようやくポックルは理解した。 (……オレは、殺されたんだ…) 一つ思い出せば、記憶のピースが次々と蘇る。 あの化物達に捕われて。 隠れていた所を見つかって。 『念』の事を吐かされて。 ………………。 思わず頭を触ってみるが、傷や痛みはどこにも無い。 それでも、自分は確かに殺された。 すると、ここは死後の世界だろうか。 そんなものの存在など信じてなかったのに。 いや、それよりも。 ここにポンズがいるという事は。 「…君も、殺られたのか?」 無言のまま頷くポンズに、ポックルの胸が痛んだ。 「泣くなよ、ポンズ。……謝るのは、オレの方だ…」 『何か危険な事があれば、オレが守ってやるよ』 そう言って、仕事仲間に誘ったのに。 「あの後……オレより先に殺されたんだな?……ごめん」 彼の謝罪を否定するように、ポンズはぶんぶんと頭を振る。 「……あたし、何の役にも立てなくて……」 ポンズの涙がポロポロと頬を流れ落ちてゆく。 「あたしが…正式なハンターだったら… …もっと力があったら… こんなことには……」 「……オレだって、ハンターだけど何もできなかった。…きっと、 誰にもどうしようも無かったんだよ。……残念だけど」 それは彼女に対する慰めだけではなく、本心である。 相手が強すぎたのだ。負け惜しみではなく、それが真実。 だから自分達は手も足も出なかった。 けれど世界屈指の歴戦のハンターなら、何とかできるかも知れない。 「きっと誰か、もっとずっと強いハンターが斃してくれる。オレ達の 仇を討って、あいつらを駆除してくれるはずだよ。そう思おう」 もう自分達には、他に何もできないから。 「………うん…」 真っ赤になった目を拭い、ポンズは顔を上げる。 ポックルは彼女の頬を伝う涙を指先で掬った。 涙の冷たさ、体の質感、そして確かな存在感。 こんなに現実的なのに、自分達が死者だなどとは思えない。 だけど、記憶を辿れば生きていられるはずが無いから、信じるしか 無いのだろう。 「…ここ、どこなんだ?……天国か?」 「天国は、まだずっと先よ」 そう言って、ポンズは前方を指差した。 指し示した霞の先には、白く巨大な扉が立っている。 彼らの傍を通り過ぎる人々は皆、その扉の向こうへ吸い込まれるように 消えていった。 「死んだ人は皆、ここへ来て、あの扉を越えて、それぞれの行き先へ 旅立って行くんだって。……門番の人に教えてもらったの」 「ポンズは、どうしてここにいたんだ?」 純粋な疑問でポックルは問う。 先に死んだのなら、先に旅立っていてもおかしくないのに。 「…ポックルがどうなったか、気になって行かなかったのよ。そしたら、 門番の人が……もうすぐここへ来るって言うから…」 ポンズは涙を浮かべたまま、淡く笑った。 「……待ってたの。最期にポックルと会いたくて…」 「ポンズ……」 ポックルの胸に、忘れていた感情が蘇る。 彼女に生き延びて欲しかった。 そして、もう一度会いたいと願っていた。 ——— 死の間際まで。 「ポンズ」 ポックルはポンズの手を取り、再び腕に抱きしめる。 ずっと、友人・仲間として付き合っていたから、こんな事をするのは 初めてだった。 なのに不思議と、照れも恥ずかしさも感じない。 「……オレ、一人前のハンターになったら、ポンズに言いたい事が あったんだ」 「……あたしも、ハンターになれたら、ポックルに言いたかった事が あるよ」 同じ事を考えていたのだと気づき、二人は抱きしめあったまま、顔を 見合わせて微笑する。 「——— 一緒に行こう」 「うん」 失った世界に未練が無いとは言わないけれど、もう戻れない。 ならば、行くべき先へ進むのみ。 「いつか、また一緒に仕事できると良いね」 「その時は、今度こそちゃんと守るから」 もう涙は無い。 キラキラと輝く時の雫が笑顔を照らしていた。 扉が開く。 二人は固く手を握り合ったまま、光の中へと進んで行った。 遂に言葉には出さなかった思いを感じながら。 ——— スキダヨ——— |
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END |