「深い森」

 
   

パドキアで仲間たちと別れて数ヶ月後、クラピカは念の修行の為、
とある山中の森に在った。
弟子入りの際、師匠は、本来なら何年もかけて開発するべき念を
半年以内で会得したいと言うクラピカに驚き、理由を問うた。
というか、「言わなければ教えない」と、なかば脅迫的に聞き出し
たのだが。
それでもクラピカの過去と目的を知った後は、多少の無茶は承知の
上で、本人の望み通り短期集中型の特訓で、念の早期修得に協力
してくれている。
性格的に今ひとつ円満とは言い難いが、クラピカの修行は順調に
進行して行った。


師匠は以前にも何人か弟子を取った事があるが、クラピカのような
タイプは初めてだった。
生まれも育ちも良さそうな、聡明で綺麗な子供。なのにその表情は
思い詰めたように厳しくて、見ている方が痛々しくなる。
その身に背負った宿命を思えば納得できるが、応援したい気持ちと
共に、制止したいとも思ってしまった。
─── せっかく残った命を粗末にして欲しくない。
己の老成した思考に、師匠は苦笑する。
共に過ごしてまだ日は浅いが、クラピカの性格はよくわかっていた。
第三者が何を言おうが、どう説得しようが、止まりはしないだろう。
まして開始した修行を中止する事もできず、時間の経過と共に彼は
ジレンマを持ち始めていた。


そんな中で、一つ気付いた事がある。
森に留まった当初からクラピカは、時折 携帯電話を手にしていた。
誰かに電話をかけているのかと思ったが、会話している様子は無い。
指が動いていないから、メールを送っているわけでもない。
ただ、無言で液晶画面を見つめているだけ。おそらく保存メールを
読んでいるのだろう。
修行に入ってから、クラピカは誰とも連絡を取っていない。それでも
どこかから定期的にメールが来ているようだった。
それを読むクラピカの表情は、普段とは打って変わった穏やかさで、
ほんの少しだけれど微笑している時もある。
偶然垣間見た師匠は少なからず驚いた。
(こいつは、こんなふうに微笑えるのか)
そんな当たり前の事を奇跡のように不思議に思う。
誰かは知らないが、クラピカには心の支えとする存在があるのだ。


その人物は、クラピカを救ってはくれないのだろうか。
クラピカの目的を知らないのだろうか。
知っているなら、なぜ止めないのだろうか。
大切に思う相手に止められたなら、クラピカも少しは考えるのでは
ないだろうか。




現在、クラピカは鎖を具現化するイメージ修行の段階に入っている。
電源を切ったままの携帯には、今もメールが届いているのだろうか。
冷たく沈黙する携帯を横目に見ながら、師匠は嘆息した。
師弟などといっても、自分たちには念の指導以外に何の繋がりも
無いのだ。弟子の内面や将来にまで干渉はできない。
しかしクラピカが目指す道は明らかに『幸福』ではないとわかって
いる。
まるで丸腰の子供に武器を与える悪徳商人のような気がしてきた。
─── やはり師事するべきではなかったかも知れない。
だが、たとえ自分が指導を断っても、クラピカは諦めず他の師匠の
元で念を習得しただろう。
それだけの資質も行動力も意志の強さもあるのだから。
(オレが何をどうやっても、無駄か……)
弟子として関わりを持った相手に、自分は何の救いにもなれない。
その無力感に、苛立ちを覚えずにはいられなかった。




師匠が逡巡している間に、クラピカは鎖の具現化に成功した。
気を失って川の中に倒れ込んだクラピカを水から抱き上げ、師匠は
複雑な感慨と共に見つめる。


ここまで才能を開花させた弟子の成長が嬉しくないわけではない。
しかし、それは同時にクラピカを止める術が無くなった事でもある。
念という武器を得た以上、もはや本人の意志以外では止まらない。
─── きっと。





「─── お世話になりました」
森を出る夜、クラピカは今までになく神妙な態度で師匠に頭を下げた。
ただし彼の背後からではあったが。
明日には改めて斡旋所に赴き、正式なプロのハンターとして仕事を
捜すのだろう。
闇社会に関わる為に。


念能力を得た弟子がその力を何に使おうが師匠は関知しない。
そもそも悪意を持つ者には最初から指導しない主義だ。
しかし今回ばかりは考えずにいられない。誤った使い方ではないが、
正しいとも言い切れない気がする。
思案していた師匠は、思い切って口を開いた。
言っても無駄だとわかっているが、それでも言わずにいられないから。
「やめちまえよ、復讐なんか」
「私が選んだ道に口出しされる筋合いは無い」
案の定、速攻で拒絶される。しかしそれも想定の内だ。
「たとえ本懐を遂げたとしても、それで何が得られるんだ」
「何も得ようとは思っていない。仇を討てればそれで良い」
淡々とした冷静な口調は、そのまま意志の強さの現れ。
「お前の同胞とやらは、お前にそんな事を望んでいるのか?」
「少なくとも私はそれを望んで生きてきた」
正に取りつくしまも無い、というところか。おそらくクラピカは顔色一つ
変えずに返答しているのだろう。
口が達者な事は承知していたが、これほど頑なだったとは。
ありきたりな文句を並べるだけでは説得にもならない。
「お前はそんな人生で良いのか」
「良い」
「─── メールの相手も、それで良いと言ってるのか」
「!」
瞬間、それまで即答で返していたクラピカの言葉が止まる。
「そいつは、お前が身命を危険に晒して、その手を血に汚して、何一つ
得られない暗闇の道を進む事に賛成なのか?」
「…………」
「復讐なんかやめて、もっと自分の人生を大事に生きろ。─── 誰かの
為にもな」
クラピカは初めて返答に詰まっていた。内心の動揺が微かにオーラを
乱している。
しかし、それはすぐに平静に戻った。
「……あいつは、そんな事は言わない」
「─── なに?」
予想外の言葉に師匠は思わず問い返す。
振り向くと、同時にクラピカも背を向けた。
「あいつだけは私を止めなかった。─── 同じ痛みを知っているからな」
二人共、かけがえのない存在を理不尽に喪う怒りと悲しみを経験して
いる。だからこそ、止めても止まらないこと・止まるわけにはゆかない
ことを、誰よりも理解してくれているのだ。
断固とした意志に満ちた背中を見つめる内、師匠はそれを察知した。
苦笑と共に嘆息を漏らし、再び前方に目線を戻す。
「わかった、だったらもう好きにしろ。─── ただし、オレが師事した
半年間を無駄にするのは許さんぞ。いいな?」
それは暗に『早死にするな』との意が込められている。クラピカには
明確に師匠の意志が伝わっていた。
「承知した。……感謝する、─── 師匠」
静かな声でそれだけ言うと、クラピカは歩き始める。
一度も振り返ることなく、そのまま森の闇にまぎれるように消えてゆく。


遠ざかる足音を聞きながら、師匠は寂しさにも似た感情を自覚した。
かつて師事した弟子たちが巣立って行った時とは明らかに違う。
クラピカの背負う『特殊な事情』のせいで情が移ったのだろうか。
いつのまにか、師というより兄のような、または父のような目で見て
いたのかも知れない。


そこまで考えて、ずいぶん深く思い入れたものだと師匠は苦笑する。
結局、クラピカを止める事はできなかった。しかし、『早死にできない
理由』があれば、やたらに無謀な真似はしないだろう。
─── 特別扱いする相手もいるようだし。


一番優秀だったくせに、一番手を焼かされた弟子。
クラピカはこの先、どんな運命を歩むのだろうか。
「手のかかるガキほど可愛いって事かな……」
つぶやきながら、師匠はもう一度苦笑した。
そして頭上に散らばる星々を仰ぎ見る。
今更、お星様に願をかける歳でも無いけれど。
願わくば──────



 I ask for that child to become happily ……



                
  END  
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